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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

愛と希望が救えないこと

 わたしは愛と希望で満たされている、のだそうだ。たぶん息子ふたり、夫(むかしは恋人)、あと両親と妹を指しているんだと思う。あるいは仕事があるという意味かもしれない。

 今、ぜんぶ、どうでもいい。

 わたしたち夫婦はどちらかになにかあっても子を育てられると思っている。そうでなければ結婚しない。一生恋人をやっていればいい。でもわたしはもう夫に恋をしていない。ほかの誰かに恋をするつもりもない。恋は強烈に「生きてる」感を与えるけどわりとすぐ消える。まったく永遠ではない。夫を信頼しているし、信頼されていると思う。けれども信頼は気力のブースターとしては出力が低い。そのうえ他人だから苛つくこともある。当たり前だ。

 子は命だというのはかなり嘘だ。わたしは息子たちになにかあったらあやういけど息子たちはわたしがいなくてもどうにかなる。だいたいもう小学生だ。いちばんたいへんな時期は終わった。彼らは自分で着替えるし歯磨きなんかもする。冷蔵庫の中の作り置きをレンジで温めるし、わたしのわからないゲームの話もする。ほとんど一人前だ。

 わたしの両親と妹は都内に住んでいて、子育て世帯の叫びたくなるような不自由を毎月のように緩和してくれている。それでわたしや夫になんの要求もしない。夫の両親は地方にいて、これまたなんの要求もしない。子どもの写真を大きくプリントして送り、夏休みや年末に家族で夫の実家に行くだけでたいそう喜ぶ。みんな腰が痛いだの血圧が高いだの低いだの言いながらしっかりしていて、わたしが心配する必要はない。

 だから今のわたしに安全装置はない。わたしはすごく疲れた。息しかしていない。寝て起きて夕飯の仕込みと洗濯をして(片付けと掃除は夫がする)息子たちに朝食を食べさせて送りだし、出勤し、帰り、息子たちと夕食をともにし、ときどきそれを夫に任せて残業し、寝ている。それで息しかしていないように感じる。愛していても。愛されていても。望んだことをしていても。大きな不幸や抑圧がなくても。

 わたしは、疲れた。ネットスーパーと全自動洗濯乾燥機と学童保育と学習塾をフルに使って、疲れた。夫はロボット掃除機と食器洗浄機を使って疲れているだろうか。それを尋ねる気にはなれない。会話はあるのに。仲も良いのに。

 眠りが途切れてリビングルームに行くとそこは水槽の表面のようで、わたしは、しばらく立っていれば、床が罅割れて溺れることができるんじゃないかと思う。作為には至らない。だから健康なのだと思う。少なくとも病気ではない。わたしは、すごく疲れた。

 そりゃそうだよと友人は言う。私たち、愛とか希望とかで生きてるんじゃないもん。生まれたから生きてるんだもん。忘れたの、思春期に結論出たじゃない。過去の資産を今、引き出して使おうよ。けっこう利子ついてるよ。たぶん複利だよ。

 私たちは定期的に生きてるのめんどくさくてしょうがなくなるし、あなたの結婚相手やご両親や妹さんもそうかもしれない。子どもによっては今の息子さんたちくらいから気配を感じはじめる。なんで生きてるのかなっていう、あのおなじみの疑問の。生きることが目的だから生きる意味はなくて、生き延びちゃったあと気が抜けたら、もうひたすらめんどくさい。

 あのさ、屋根のあるところで寝て起きてごはん食べてるってかなりすごいことだよ。ぜったい疲れる。みんな当たり前みたいな顔して、なんなら働いたり子ども育てたりまでしてるけど、疲れてないわけがない。愛も希望も関係ない。愛は地球もあなたも救わない。とりあえず休みなよ。

 そうか、とわたしはこたえる。そうだったね。わたしたち昔、なんで死なないのかみたいな話、よくしたよね。友人はスマートフォンの向こうで笑う。そもそも、人が愛と希望で生きてるんなら私あなたの半分も生きてないよ。なあに、半分って。えっと、小学生ふたりぶん。

 間の抜けたやりとりをして、わたしもすこし笑う。それから本音の半分をこぼす。家出しようかな。しろしろと無責任に友人は言う。半年くらいならうちにいてもいいと言う。口調は冗談だけれど、行けばほんとうに置いてくれるだろう。死ななきゃなんでもいいよと、手の中の機械が言う。古い友人の声で言う。ちがう。過去のわたしの、気難しい十六歳の声で、言う。死ななければそれでいいと決めたのだった。だからわたしは本音の残り半分をしっかりつかんで閉じこめる。