傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

愛なき世界

 すれ違いねえ。そう、すれ違い。ほんとはおたがい好きなのに、ってやつ。それじゃ話は簡単じゃない、いや、そのふたりの話自体は、ぜんぜん、簡単じゃないけど、解決策は単純でしょ。どうすればいいっていうの。そりゃ、第三者が、お互い誤解してるよって言ってあげればいい、この場合、マキノが。ちょうどいいじゃん、あんたときどき見合いババアみたいだし。私は聞いたよ、今年の花見で、いい感じのふたりがいるときに、片方がひとりになったのを見計らってささっと近寄って「あの子、いま、彼氏、いない」ってつぶやいて去っていったって。なにその無駄のなさすぎるせりふ。助詞くらい使え。私がその男の子なら確実に、出た、妖怪見合いババア、と叫ぶね。
 そりゃあ私は、人がくっつくの見るの好きだけどさあ、でもこの場合は、だめなんだよ。だから、なんで。それはね、あのふたりの主観をそれぞれ聞けばわかる。そこには暴力が存在しているということが。DVとかじゃないよ、男には明確に暴力を行使しているという自責があり女には別のかたちで自分がぞんざいにされているという感覚があった。とても強く。ふたりとも病人の顔になってて、ていうか、まじで病人だと思う。
 そういうのは偶然じゃない。たとえ誤解であっても、暴力的なるものは、その本質のようなものは、彼らを毒していく。彼は最初、ちゃんとふつうに彼女を口説いてたんだけど、彼女ははなから信じてなかった。それは彼女の性格かもしれない。でも、それだけじゃないと私は思う。彼が行使するであろう暴力的ななにかを感じていて、つまり、自分は潜在的に被害者であると察知して、でも、好きだから、逃げない、そうすると、被害に遭う、遭うとわかっているから、表面上は「扱いが雑」という程度に感じているのに、心の芯みたいなところまで傷が深まる。
 もちろん、愛する人に愛されない、というのもこの場合は誤解ではあるんだけど、それ自体も人を傷つける。でもそれは、いってみればとても普遍的な痛みで、人類の多くが長い歴史上ずっと感じてきたものでしょう。あなたも私も知っているようなもの。片恋の傷と暴力による傷には大きなちがいがあって、後者はとても、邪悪なものなんだ。私は、誤解をとく手伝いくらいは、するかもしれない。でもあのふたりがくっついてほしいと私は思わない。少なくとも今は。だって今の彼らは、潜在的な暴力に中毒している。彼は、我欲に負けて愛している人を傷つけつづける苦痛と快楽に。彼女は、愛している人にいいように使用されるという苦痛と快楽に。それは悪い薬みたいなもので、関係性における悪い薬は、下手するとふたりとも腐らせる。少なくとも薬物を抜く入院みたいな期間がないと、つきあったってだめになると私は思う。
 暴力ねえ。それって、権力と言い換えてもいいんじゃないの。ふむ、それはなぜ。つまりさ、彼はリベンジポルノの材料という権力を持っていて、それをもとに彼女を虐げているという主観世界にいたわけでしょ。そして彼女は自分だけが彼を好きだからという理由で彼に自分を雑に与える権利があると思っていたわけでしょ。
 なるほど、そうだね、でも、同じことだよ、それは悪い権力だよ、私は、教師と生徒とか、上司と部下とかでも恋愛とかするべきじゃないと思ってるくらいなんだ、だって、それが権力によるものじゃないなんて、誰にわかるっていうの。権力のない相手なんかいくらでもいるんだからそっちに行けばいいのにわざわざ上下関係のあるところを選ぶの。
 それはさあ、マキノ、愛というものの本質が、資本主義的なものだからだよ。そこにはある種の通貨があり、ときにもろに現実の通貨が使用される。力関係のない愛なんかないよ。自分の恋愛とか思い出してみな、あるかねえ、平等な関係。ふふん、自信、なくなってきた?愛と暴力、愛と資本主義は、切っても切れないものなんだよ。
 私は確信してるんだけど、マキノは、甘ったるい夢を見ている。人と人とは平らかな関係を築けるものだと信じている。でも私はそうは思わない。恋愛にかぎらない。親子なんかもひっくるめて、ある種の上下関係のないところに、強烈な愛なんか、生まれるわけがない。そしてそれは容易に暴力と結びつく。それは避けられない。マキノが夢見る平等ってやつがみんなに訪れたら、人々はみなおだやかにほほえみあう。特定の組み合わせで熱烈に愛しあったりなんかしない。平和な平和な、愛なき世界。マキノが想像してるのは、そういうものだよ。でもだいじょうぶ、そんな世界は、きっと、人類が滅ぶまで、来やしないから。

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