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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

愛に関する事後的な学習

 人を上手にだいじにできる人ってやっぱり生育歴上で親とかに上手にだいじにされてきたことが多いよ、つまり、愛情に関して育ちが良い。そりゃそうだ、愛情に関する学習は親とか養育者の影響が初期値だもの、だけどさ、私は初期値が不利だからって人を上手にだいじにすることができないとは思わない、人を適切なかたちで愛することは、訓練は必要だけど、誰にだって可能なことだと思う。
 断定するなあ、どうして。どうしてって、そりゃあ、私自身が、愛情に関して育ちが良くないからですよ、あとから学習すればOKだと仮定して努力してきたんだよ、親が悪かったらもうアウトだなんて、私はぜったい認めない、「養育者から抱きしめられず、褒められもせず、精神的サンドバックとして一定年齢まで使用されると、その後のリカバリは不可能です」みたいな話って、ときどきそこいらに落ちてるけど、そんなもの私は信じないね、燃えるゴミとして扱う。
 リカバリは可能なのかな。可能だとも、私を見ろ、上級者とはいえないかもしれないけど、それなりに人を愛したり大切にしたりしながら生きている。それは認めよう、表現がストレートすぎてときどき不審だけど。ストレートでなにがいけないんだ、みんなもっと素直に私の「褒め」を受け取ってほしい、なあに、無料ですよ、安心してください。ほんとうに無料なのかなあ。え、どういうこと。心情的に何らかの報酬を欲することはない?
 あんまりないなあ、恋愛は別だけど、恋はね、とても邪なものだから、愛を語ることは愛を欲することと簡単に結びつく、けれどもあとの関係、たとえば友だちのいいところを褒めたり、時間があればそこいらの人に親切にしたり、そういう行為には、報酬を欲することがないな、もちろん、迷惑がられたり、いやなことをされたら、もうしないけど、そういうことってあんまりない。
 そうかあ、私は、傍観者としてだけど、あなたがすごくわかりやすく人を褒めたり認めたり感謝したりするのが、物乞いみたいに見えたこと、ある。えっと、つまり、私がそうすることによって人から何か欲しているように見えるということ?そう、愛は、はたから見たときの関係性によって、だいたいの様式と容量が予測される、人に変に思われない程度の愛情表現というものがある、愛についても友だちとか恋人とか家族とか、関係性につく名前によって、ここまではOK、みたいな「常識」がある、それを大きく超えていると、疑わしく思われることがある、たとえば、自分に下心があるんじゃないか、とか。
 「常識」的な愛の様式と容量、ねえ。そう、関係につく名前ごとに、人々におおむね納得される愛の様式と容量。私は、常識よりちょっと大きいくらいの愛は、いつも投げてるけど、あんまり非常識な愛の発露はしないように気をつけてつもり、でも、明らかに「こいつ足りてない」みたいなケースがあるでしょ、そういうときは容量無制限。ああ、つまり過去のあなたと同類みたいな相手に対して、ってことか。はっきり言うねえ、うん、そのとおり。
 なんだ、結局、代償行為じゃん。そうだよ、つまり、相手に自分を投影することによって、報酬はあらかじめもらっている、だから、相手からは要らない。要らないっていうか、自分で自分にあげてる状態でしょう、世界はそれを自己満足と呼ぶんだぜ。いいじゃん、自己満足の何がいけないのさ。考えてみれば、投影対象が迷惑してなければ、いいのか。いいんだよ、迷惑してなければ。でもさあ、いやがられたり誤解されたりも、するでしょ。するよ。すると、どうなる。どうもならない、ちょっとしょんぼりして、忘れる。まじか、ちょっと引きずったり傷ついちゃったりしないのか。引きずる必要がないよ、世界が私を愛し返してくれるはずだなんて、どうして思えるんだ。
 自己満足がついでに気分よく受け取られることがあれば、いい、ということね。そういうことです、だいたい世界には褒めが足りてないよ、総量として。なにを根拠に。根拠とか、ないけど、いろんな人が、気持ちの栄養不足みたいな顔してると、私は思う、人を見て、褒めて、認めて、相手によっては抱きしめる、そういうのは、私をちっともそこなわない、迷惑だって言われたらすごすご引き下がる、そんなことで私は損なわれたりしない、だから今後とも、世界の褒めをささやかながら補填しつづける所存だよ。なんの勧誘だよ、「褒め会」でもつくるのか。よし、今からつくる、「褒め会」会員募集中です、あなたも、どうぞ、ご一緒に。