傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

遭難のあと

 夜中まで仕事をしていて手洗いに立ち眠気覚ましに歯を磨いてると、顔見知りの別の部署の社員が入ってきた。彼女はぱっと顔を輝かせて私の使っていた電動歯磨きの商品名を宣言した。うれしそうだった。かわいい人だなと私は思う。中年にさしかかった私よりさらにひとまわり年かさだけれども、でも、ずいぶんと無防備に見える。
 彼女が自動販売機の前で立ち止まったので、コーヒーか日本茶でよければ淹れますよと私は言う。彼女はふたたび、見ていて不安になるような邪気のない笑いかたをして、コーヒー、と発音する。
 私のセクションにはもう誰もいなかった。彼女は私の出したカップをうれしそうに両手で包んだ。私がうつむいて笑うとどうしましたと訊くので、だってあんまりうれしそうだから、と私は言った。彼女は左手の親指でこめかみを二度三度と押さえ、それからひっそりとほほえんで言う。私は今なんでもうれしいんですよ。どうしてかっていうと、遭難のあとだから。
 彼女は介護のための休職から復帰したばかりだった。彼女は記憶のゆるみの激しくなった母親を保護するためにそれを必要とした。その二ヶ月だけはどうしようもなかったのだ。彼女がすべてをおこなうよりなかった。
 彼女の母はもはや彼女を彼女として扱ってくれなかった。いいんだ、と彼女は思った。おかあさんは、私のこと忘れたって、いいんだ。私のこと知らないおばさんと思っても。
 そう思って、だから彼女は、ひとりになった。彼女の母はそこにいて、そうして、彼女の母ではなかった。彼女がそのように決めた。このひとは、私のおかあさんではない、私にいろいろのことをうるさく言う人ではない、私がいろいろのことを要求していい人ではない、私のお誕生日を絶対に忘れない人ではない、この人は、無力なおばあさんだ。ぼけちゃってなんにもわかんないんだ。
 その町には高校がなく、だから友だちは彼女と同じようにみんな外に出てしまって、それだから彼女は、戻ってきたその場所で、ひとりだった。テレビが彼女の知りあいについて話をしていた。ふうんと彼女は思った。珍しいこともあるものだ。彼女は掃除をし、洗濯をし、その隙に歩いていってしまった老女を追って探してつかまえ、戸締まりをして(入ってこさせないための、ではなく、出て行かせないための)、眠った。
 テレビは彼女の話をしていた。ふうんと彼女は思った。ずいぶんと変なことがあるものだ。ちかごろテレビはよく彼女の話をする。彼女は炊事をし、洗濯をし、ずいぶんと汚れてしまった老女を洗って、それから自分を洗った。腰がひどく痛み、でもそれは遠くにあるもののようだった。
 着信音がして彼女は我に返る。何かを思い出す。月がきれいだった。彼女はそれを口に出す。月がきれいだ。彼女は雨戸をひらく。月がきれいだった。どうして私は雨戸まで閉じていたんだろうと彼女は思う。おかあさんは玄関の鍵とクレセント錠だけ閉じておけばどこへも行かないのに。
 彼女は携帯電話を見た。それは電源に挿したままになっており、大量のメールと着信が残っていた。田舎に帰ってから連絡がとれないから、と誰かがメールに書いていた。知っているだけの共通の知りあいにメールしてみてって言った。彼女は電話をかけようとして時計を見て、それを思いとどまった。彼女は母親が(まぎれもない彼女の母親が)よく眠っているのをたしかめた。私はさみしかったんだと彼女は思った。母の手を握って少しだけ眠り次の日を待って昔彼女をかわいがってくれた老夫婦の家を訪ねると彼らはひどく喜んだ。彼女はあいまいに笑ってそっとその家のテレビを盗み見た。それは決して彼女に関する話をしなかった。
 さみしかった、と私は言った。そうですと彼女はこたえた。東京を離れて私はさみしかった、そこには私の生活があり、私の親しい人たちがいて、私を必要とする場所がありました。そこから離れて私はさみしかった。そうして母は私のことをわかりませんでした、それで私は雪山の中の人のように孤独になりました。私はつまり、遭難していました。
 あんまりさみしいと誰かが自分の噂をするんですと彼女は言った。つまり自分のことを誰かが知っていると思いこむんです、あんまり孤独になるとね、テレビでもインターネットでもなんでもいいんですけど、人がその向こうにいるかもしれないなにかが、自分に関心を持っているって、そういうまぼろしを見るんです、私は思うんですけれど、それはそんなにおかしなことじゃないんです、誰にでも起こりうることなんです。