傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

事後的な運命

ごく軽い気持ちで、好きな人とかいないの、と訊くと、彼女は急に威圧的な顔つきになり、小さい声で、恫喝するように、「いない」と言った。
「そんなのはいない、少なくともあと二、三年はいない、もっといないかもしれない」
私はごめんねと謝り、食べることに集中した。蒸し餃子を食べ、ジャスミン茶を飲み、取りわけられたあんかけ焼きそばに着手し、またお茶を飲み、なくなったので急須から淹れ、それを啜っていると、彼女はごめんと言い、それから勝手にどんどんしゃべった。
前につきあっていた人がすごく好きで、もうどうしようもなく好きで、でもうまくいかなくなって別れたのだという。
彼女は彼とのいろいろなことを話した。出会ったときのこと、彼の好きなこと、彼の容姿、彼の声、彼の育った家庭、彼と行ったところ、彼と話したこと、彼がいなくなったときのこと。しばらく話して、彼女は黙った。食べるものもなくなったので、私は口をきく。
だから誰も好きにならないんだ。喪に服すみたいなことかな。相手のためじゃなくて自分のために、そのときの自分の感情に報いるために、自分を抑圧する。どんな人でもただの人の形をした殻みたいに感じるべきだ、そうじゃなければあんなに好きだと思ったのが嘘みたいじゃないか、って思って。
私がそう言うと、彼女はため息をつく。
「解説されるのって気持ち悪い」
悪かったね、気持ち悪くて。
運命は事後的に作ることができる。そのとき絶対の相手だと思った人とうまくいかなかったときには、あとから「証拠」をつくればいい。たとえばそのあと恋をしない、というような方法で。
「だから、どうでもいい人とだけ会う。誘われたら食事くらいは行く。どうでもいい男、ばかな男、価値がない男とだけ」
彼女は言い、私は適当に混ぜっかえす。いやあ、黙ってても男の人から声がかかって食事とか行けるなんていいなあ、うらやましい、私なんか自分から動かなかったらたぶん永遠に何も起きないよ、ははは。
「でもほんとにどうでもいい人っていない、そうだと思ってもちょっと話すとそうじゃない、すごいむかつく、だって結局、誰もモノじゃない、誰だって適当に扱っていい相手じゃない、私の気を紛らわせる道具になんかなってくれない、それがすごくいや」
私は少し驚く。ずいぶんまともな感受性を持っているんだなと思う。可哀想だ。
それで適当に流そうとしたことを少し後悔して、前の彼とは、ほんとに運命だったんだね、と言った。彼女は無遠慮に顔を顰めた。
「同情とか気持ち悪い」
申し訳ないね、気持ち悪くて。