傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

無意味さを飼い慣らす

 彼のことは左利きだと思っていた。同じ部署ではないが、私よりひとまわり以上年長の、社歴の長い人なので、私が先だって管理職に就いてからはいくらか接点がある。ペンも箸も左手で持っていた。だから左利きなのだと思っていた。

 今日の会議で彼がちょっと複雑な説明をはじめ、立ち上がって「じゃあホワイトボードに書きます」と言った。そしてすらすらと図解した。図がうまいなあと思って、それから、あ、と口に出してしまった。彼は右手で図を画いている。

 会議が終わったあと部屋を出ると後ろから彼が出てきて、言う。さっき、あ、って言いましたね、あ、って。マキノさんって思ってることだいたい顔とか声とかに出ますよね、僕は嫌いじゃないですが。

 失礼しましたと私は言う。どうということはないんです。ただ、左利きでいらっしゃるものと思っていたので。彼は笑って、右利きですとこたえた。

 マキノさんはたしか四十かそこらですよね、それならもう気づいているんじゃないかと思うのですが、人生にはどうしようもなく退屈というものがついてまわります。背中にぺったりとはりついたもうひとつの影のように。

 若いころはその影を、ときどきしか感じることがない。あるいはうまくごまかすことができる。若ければ無知で、経験が少なくて、何か新しいことをすれば退屈を感じなくてすむからです。なかには退屈そのものをべたべた触ってみっちり体験する人もいます。僕の友人で美大に行ったやつは留年して六年くらい延々とそれをやっていました。芸術家だとか、そういう人種の中には、そうやって退屈を、言ってしまえば人生の無意味さを、真っ向から取り上げようとする者もある。

 でも僕は芸術家じゃない。ホワイトボードに書いた図がよかったですか。どうもありがとう。でも僕は小器用なだけで、そういう能力で食う気もなかった。会社員としてうまくやっていけると思ったし、実際、このまま定年までそれなりにやっていけます。たぶんね。

 ええ、退屈です。マキノさん、その顔は、さてはもう、知っている人だな。そう、人間は、中年になると、最終的に自分を殺すのは退屈だと気づく。あのね、僕の息子、去年就職したばかりなんだけど、なかなか気の利いた男でね、初任給で僕と妻にプレゼントをくれたんですよ。小旅行のチケットです。普通の旅行券じゃなくて、二人で何かちょっと珍しいことを体験するメニューを選んで行くっていう商品です。ええ、親孝行でしょう。

 でも僕はそれを見て思い出してしまったんだ。だってそのメニューの多くを、僕はすでに体験していたんだ。乗馬だとか、パラグライダーだとか、ワイナリー体験だとか、着物を着るだとか、そういうやつです。もっと変わったものもあった。ええ、僕だって、もちろんぜんぶやったことがあったわけじゃなかった。妻は喜んで選んで、僕も楽しみました。

 でも僕は思い出してしまったんだ。そして思い出したことはなしにはならない。息子が就職して、子育てという最大のイベントが完膚なきまでに過ぎ去った。僕の人生にはもう、退屈から目をそむける要素がひとつも残っていない。ええ、幸福な生活です。そしてできあがった穏やかな生活というのはね、マキノさん、きっとおわかりになるでしょうが、人生にべったりとはりついた無意味さをいやでも直視させられる生活でもあるんです。人生にもう新しいことは起こらないだという宣告をずっと受け続ける生活。

 だからといってメランコリックを手玉に取って芸術の主体になることもできない。僕にはその才能がなかった。今の僕が持っているのはこの、ちょっとガタがきた身体ひとつです。

 それで右利きなのに左手で生活をしはじめたんですか。私が尋ねると、彼はうなずいた。そこで筋トレとかじゃないのが、なんか、いいですね。そのように感想を述べると彼は声を出して笑って、言った。

 いやいや、筋トレでもいいですよ、結構結構。ただ僕はもう、やっちゃったんですよ、あなたくらいの年齢で。それに筋トレは役に立ちますよ、だからこの場合「弱い」んだ。僕はもっと無意味さに対抗できることをやりたかった。それで左手を使いはじめた。左手で文字を書くのはものすごく難しい。箸なんか苦行です。ええ、なかなかいいですよ。もしも人生の無意味さを飼い慣らすメニューを増やしたかったら、一度おやりになったらいい。

 でも今日は突然のホワイトボードだったから、つい右手で書いちゃったなあ、だめだなあ、まだまだ訓練が足りないなあ。彼はそう言いながら、左手でドアをあけた。

生存税の納入

 差し歯がそろそろ限界です、と歯科医が言う。歯科衛生士がうなずく。わたしは彼らの説明を聞く。今の歯はどれくらい入れていますか、と歯科医が尋ねる。わたしは指折り数えてこたえる。八年もちました。いい子ですねと歯科衛生士が言い、孝行です、と歯科医が同調する。

 わたしの上顎のにっこり笑って見える歯はみんな作りものである。原因は家庭内の暴力だが、わたしは純粋な被害者ではない。いわゆる暴力の連鎖というやつで、わたしは加害を防ぐために人間を椅子で殴り、別の人間がわたしの顔面を壁にたたきつけた。あれから二十年が経過したが、いまだにたぶん全員自分が正しいと思っている。正当なことをした、しかたがなかった、そう思っている。生まれた家の自分のほかの人間には十代のころから会っていないから実際はどうだか知らないが、賭けてもいい。誰も反省していない。わたしも反省していない。誰も懲りない。わたしが生まれた家は、そういう場所だった。

 叩き折られた部分以外にも、ほぼ全歯にダメージが及んでいる。たとえば打撃の衝撃で歯の根が曲がっている。あるいは乳歯の段階からケアされていなかったために成人以降に治療した跡が異常に多くあり、定期的なメンテナンスを必要とする。叩き折られるのはレアだが、自分で稼ぐようになってから歯を大量に直すのは「虐待家庭出身者あるある」である。

 世界は暴力にあふれている。見えない人には見えない。でも当事者には見える。物理的な暴力もあれば、そうでない暴力もある。わたしたちはたがいのからだにしみついた暴力のにおいをかぎあてるかのように、人生のさまざまな時期に接近しあう。暴力を経験した人間にはつきあにくい性格の者も多いから(とくに若いころは高確率で情緒不安定である)、わたしは彼らと親しくならないことも多い。多いが、あとからその行く末を聞くことは少なくない。

 わたしの知る彼らの多くは若くして死んだ。はっきりした自殺は二件のみである。いちばん多いのは「限りなく自殺に近い事故」だ。たとえばアルコールを使いながら愉快に過ごして死ぬ確率をどんどん上げて、そしてある日、アタリを引く。そういうやつ。だいたい三十にならないうちに死ぬ。

 わたしはそれをしなかった。わたしは生きていたかった。だから現在は第一志望の未来、よかったですね、という状況なのだが、しかし、生き残るとカネと手間がかかってかなわない。これはたぶん中年サバイバーの多くが肯定してくれると思うんだけど、暴力のある家庭に生まれた人間が生き残った場合、けっこうな額の「税金」を生涯にわたって支払わなければならない。たとえばわたしは引っ越し先を探すたびに「緊急連絡先はいくらなんでもご親族でないと」と言われる。そこをクリアするために手間暇とカネがかかる。保証人の代わりに保証会社が使えるのはありがたいが、彼らに毎月カネを払っている。しじゅう歯医者に通い、数年に一度は前歯の取り替えのために大きな出費をする。

 それほど暴力的でない環境で育った友人たちは「そういう負担は不当なことなんだから、税金とか言っちゃだめだよ」と言う。でもわたしはそうは思わない。払ったほうが気が楽だからだ。わたしは「税金」を払ったほうが落ち着くのだ。どうして自分が生き残ってよかったのか、わからないからである。

 死んだ人間の中にはわたしよりずっと気の毒な人もいた。わたしより純粋な被害者、つまり(たとえば)殴られて殴り返さなかった人間もいた。わたしより有能な人も、わたしより高潔な人も、わたしより若い人も、いた。わたしは生きたかったし、だから生きたし、長生きする予定だが、しかし、同時にこうも思うのだ。どうしてわたしは死ななくていいのか?

 健全な環境で育った友人たちは「どうして彼らが死ななくてはならなかったのか、とは考えられないの?」とわたしに尋ねる。友人たちの言いたいことがわからないのではない。でもわたし自身にその思考をインストールすることはできない。OSが合わない。そして友人たちもまた、わたしの問いにこたえることはできない。どうしてわたしは死ななくていいのか?

 わたしは歯科医院の椅子に腰掛けている。椅子の背がゆったりと倒れる。近ごろは痛いことを痛いと感じるようになって、「支払い」が増えた。以前は前歯が折れてもたいして痛くはなかったのだ。

 生き残った人間は毎日、毎月、毎年、生存税を払う。わたしはそれを、嫌いではない。

慰めのリザーブ

 そういうわけで会社を移るの、と友人は言った。そりゃあいいねと私はこたえた。私たちはいわゆる就職氷河期世代で、「職場はときどき移るもの」くらいの感覚を持っている。新卒の就職状況がなにしろひどかったので、ぼけっとしていたら食い扶持を稼げなくなるという意識が根強い。同世代の友人に資格職と外資系と公務員がやたら多く、ほとんど全員が転職を経験している。生まれた時代のせいである。

 私たちはもう四十を過ぎたが、同世代の友人のほぼ全員が現役で何らかの勉強をしている。高尚な意識をもって努力しているのではない。生まれた時代のせいで「いつも戦って新しい武器を研いていなくてはそのうち食えなくなる」と思い込んで、それで勉強しているのである。新卒の就職でつまずいて連絡を絶った昔のクラスメートが今なにをしているかわからない、生き残った自分たちだって今後どうなるかわからない、そういう意識が消えない。だから勉強するし、行動するし、決断する。そういうのは立派というよりかわいそうなのだと思う。

 今の会社も悪くはないの、と友人が言う。決して悪くはない。そして次の会社には、入ってみなければわからない大きな欠陥があるかもしれない。欠陥はなくても単にわたしに合わないかもしれない。会社全体は問題なくても、絶対に許容できないタイプの上司に当たるかもしれない。

 そうだね、と私は言う。それでも移ろうと思うだけの魅力が、その新しい会社にはあるんだね。そうなのと彼女は言う。つまりわたしは賭けをするの。それでお願いがあるんだけど、新しい会社でうまくいかなかったら、「そうか」って言ってほしいの。そしてわたしを肯定してほしいの。

 わたしをジャッジしないでほしいの。「前の会社にいたほうがよかったんじゃない?」なんて言わないで。「損をしたね」とも言わないで。「でも今のところでがまんするしかないでしょ」みたいなせりふもいやだし、「次の転職は慎重に」みたいな忠告もやめてほしい。

 私は気取ったしぐさで胸に手を当ててうなずく。そうして話す。もしもあなたが新しい職場に問題を感じたなら、私はたとえばこんなふうに言うよ。

 転職活動であきらかになったように、あなたには人材としての高い価値がある。だからこの先の選択肢がたくさんある。あなたはたったひとりで、そして短期間で転職先を見つけて、合格した。エージェントさえ使わなかった。たいへんなことだ。すばらしい行動力だ。もちろん、よりよい転職先を見つける必要があればエージェントを使うこともあるだろうし、末永く同じ会社にいることだってあるだろう。会社をかわらなくても職場環境を変えることはできる。あなたにはそれだけの実力がある。何も心配いらない。

 彼女はにっこりと笑う。合格? と私は尋ねる。合格合格、と彼女は言う。じゃあ、今の、予約するわ、わたしが新しい会社の愚痴を言いたくなったときのために。

 私はときどきこの種の「予約」を受け付ける。言語的な予約というか備蓄というか保険というか、そういうたぐいの約束を引き受ける。私の友人の多くは、人生のところどころで大きなリスクを取るタイプである。「値崩れの心配もあるがマンションを買う」とか「まだよく知らない人と遠距離の交際をはじめる」とか「予定になかったハイリスク妊娠を続行させる」とか「起業する」とか「海外で働く」とか。欲しいものがあったら走って行って取る、取れずにけがをして帰ってきてもかまわない、偶然目の前に良さそうなものがあらわれたら反射的に手を伸ばす、そういう人間が多い。

 でも彼女たちだって、ぜんぜん怖くないわけじゃない。というか、怖いに決まっている。だから彼女たちは私に言う。ねえ、もしもうまくいかなかったとしても、論評をしないでね。起きてしまったことを受け入れるようなことばをかけてね。失敗して弱っていたら、うんと甘やかしてね。

 彼女たちは自分が大きく傷つく可能性を把握している。傷ついたら平気でいられないこともわかっている。自分が鉄の女なんかじゃなくて、やわらかな生き物だと知っている。家族や恋人は距離が近すぎて傷ついたとき一緒に痛みを感じてしまうこと、だから落ち込んだり批判的になったりしやすいことを知っている。

 だから私は彼女たちの心理的な保険になる。備蓄になる。予約される。彼女たちはかしこいから、そういう相手もきっと何人か持って、分散していることだろう。

だから代わりに泣いてあげるの

 お正月? うん、いつもどおり帰省したよ。この年になるとこっちが親の保護者みたいなもんよ。ほら、わたしは、遅くにできた子だしね。それで今年は父に運転免許を返納させてきた。そりゃあもう、たいへんだったんだから。

 そりゃあ本人はいやに決まってる。うちは、田舎といっても市内だし、車なんかなくても実はどうにかなるんだよ。ちょっと不便ではあるけどね。でもその不便さもタクシーを使えば解消できる程度のものでしかない。そして車の維持費はタクシー代とは比べものにならないほど高い。

 父が運転免許と自動車を維持したがっていたのは、だから、結局のところ、利便性の問題じゃないの。彼らにとっては、えっと、彼らというのは、わたしの知る田舎の年長の男性たちのことなんだけど、あの人たちにとっては、運転免許と自家用車は「最低限のプライド」なの。

 なぜだかはわたしにもよくわからない。自動車に何かを仮託しているのかもしれない。同じ世代でも、女性たちは算盤たたいて「これなら車いらない、事故を起こしたらと思うと怖いし、タクシーで済ませたらいいでしょ」と思ってくれるケースが多くて、実際わたしの母はもう返納してるのね、運転免許。それで父の運転する車にも乗らないと宣言したの。それが去年のこと。

 もちろん根拠のない宣言ではない。母は、長年の経験から、父はもう運転しないほうがよさそうだと判断して、それで「無事故のうちに」というメッセージをこめて、範を示したわけ。ところが父は言を左右にして車を手放さない。目測を誤って軽くこすったりもした。昔はぜったいそんなことなかったのに。

 でもどうしても車を手放さない。その頑迷さに母はすっかりまいってしまって、わたしに電話をかけてきて言うの。「お父さん、ぼけちゃったのかもしれない、まだそんな年じゃないと思ってたけど、そういうのは人によるのでしょ?」って。でもねえ、認知症ではないのよ、わたしの見たところ。ほかの判断はまともなの。自動車に対する執着が強すぎてまともな判断ができないって感じなの。

 それでとうとう父はやっちゃった。自宅のガレージにがつんとぶつけちゃった。わたしはちょうど帰省するところだったから、母と口裏をあわせて「事故を起こしたと聞いて飛んで来た」ってことにした。正直、とっくにエアチケット取ってたんだけど。早割で。

 わたしは家に入る前に荷物を抱えたままガレージに直行した。そしてガレージに来た父の前で思いっきり泣いた。膝から崩れ落ちて泣いてやったよ。うろたえてわたしの荷物を持って「寒いだろう、部屋に入ろう」と言う父にひとことも返事をせず、しばらく泣いて、それから、「情けない」とだけ言った。

 うん、泣いたのは、まあ、芝居です。ナチュラルに膝から崩れ落ちるほどの衝撃はなかったよ。だって母から聞いてだいたいのことわかってたもん。

 父はね、いい人だよ。いい人だけど、自分の感情をよくわかっていないところがある。とくにマイナスの感情を把握していない。自宅の敷地内での自損とはいえ、車の後ろがへこむような事故をやったんだから、情けなくてしょうがないはずなの。だって父は運転が上手だったし、慎重で責任感が強い性格だもの。でも本人はそれをわかっていないの。だからわたしが代わりに泣いてあげたの。「お父さんは、自分で自分を情けないと感じていて、泣きたいんだよ」って教えてあげたの。

 あとは母との無言のうちの役割分担。わたしは風邪ひいたみたいだとかなんとか言って実家で寝込んだふりをする。母はしみじみと「あの子はほんとうにショックだったのねえ」なんて嘆いて、わたしが小さかったころ家族で車に乗って出かけた思い出話なんかをする。わたしが寝込んだふりして何してたかって? Kindleでマンガ読んでた。

 ここまでやって、ようやく免許返納。ほんとうに面倒くさいったら。でもその面倒を引き受けるのは、わたしも母も父をけっこう好きだからだよ。ほんとうに情けなくなるような事故、たとえば人を傷つけるような事故を起こすところを見たくなかったからだよ。わたしが泣き崩れた芝居は、ゼロからの芝居じゃなくて、もっと悪い事態を想定したら自然にできたことだよ。女優じゃあるまいし、ゼロからはできないよ、そんなおおげさな動作。

 ねえ、父は、わたしにも母にも愛されているから、ガレージ程度しか壊さないうちに運転を止めることができたんだよ。でも誰にも止めてもらえない人もいるんだよ。たとえば自分の代わりに泣いてくれる誰かを人生で獲得できなかったら、老いて衰えたときに、ガレージ以上のものを壊してしまうんだよ。

聖なる標準家庭の祝日

 なるほど、あんたのおばあちゃんが地元の霊能力者を呼んだと。そしてあんたにお嫁さんが来て子どもを産んでくれますようにという内容の祈祷を上げてもらったと。あんたは正座して神妙な顔してその祈祷を承っていたと。そりゃしんどいね。田舎ではカムアウトしない予定だもんね。もうさあ、きょう東京に帰ってきちゃえばいいのに。東京で年越しすればいいじゃん。だいじょうぶだよ、そんな人いっぱいいるよ。

 そうですか、今年からお子さんとお父さんだけで帰省することにしたんですか。そりゃあいいですね。だって、お正月あけ、いつもげんなりした顔で出勤していらしたもの。ええ、毎年そうでしたよ。さぞかしストレスフルな「義実家」ってやつなんだろうなと、そう思っていました。そこまででもない? そこまででもないからよけいに疲れる? ああ、そういうこともあるかもしれませんねえ。

 おうち帰らなくていいの? いいんだ。そっか。妹さんももう大学生になったんだものね。お友だちと夜更かししたりするよね。へえ、お母さんもお出かけするんだ。そりゃあよかった。みんな好きにすればいいよね。お母さんとあなたと妹さんと、女ばかり三人で、長いことよくがんばったよ。ああ、そう、「いったんチームを解散する」、いいせりふだ。だからそれぞれで楽しい大晦日を過ごすんだね。

 そうですか、年末年始はどこへも帰らない。東京のご出身だからですか。ああ、そうですか、もともとご家族と折り合いがよくないと。なるほど。いいじゃないですか。気の合わない人たちと無理に過ごすことないです。ひとりで年末年始を過ごして何がいけないんですか。私なんかずっとそうですよ。さみしくないかって。自分を害するような人たちと一緒にいるほうがよほどさみしいですよ。

 私は思うんですけど、日本には直系親族ベースの「家族」信仰があるんです。「標準世帯」って言葉があるんですけど、知ってますか。むかし役所が使ってた用語でね、お父さんがお金を稼いでお母さんが専業主婦で子どもがいる世帯のことです。ええ、そんなのぜんぜん「標準」じゃないし、多数派だった時期さえ二十年かそこいらの短期間なんですけど、でも「これが正しい家族だ」という思いが、日本ではいまだにめちゃくちゃ強いと思うんですよ。ふだんは平気な顔して「よそはよそ、うちはうち」と思えるような人たちでも、年末年始は「標準」にあてはまらないことが、ちょっとさみしくなったりするんです。

 年末年始は「標準家族」信仰が強まる時期なんです。ええ、もはや信仰といっていいんじゃないですか。ほぼ宗教ですよ、あれは。それで私は年末年始を「日本の聖なる家族の祝日」って呼んでます。血族と法律婚と嫡出子の祭典。稼ぐ男と家事する女が国家に届け出した上で子どもを作った「正しい家族」の祭典。

 私はその祭典に与しない。ずっと前からそう決めています。彼らは彼らの祭りを執り行えばいい。でも私みたいな極端な人間ばかりでこの世ができているのではないです。もちろん。

 祭りは言祝がれぬ者を排除し、「正しい」者を選別する装置です。だから「標準家族」教の祭典の中にあって、定型とされる家族に属さない者はえらく消耗します。属しながらその役割に疲弊する人もたくさんいます。割を食って消耗しながら「標準家族」をやる。そういう人もいっぱいいます。私みたいな極端な思想を持つ人間が簡単に「やめちまえ」と言えない事情を、みんな抱えている。

 日本におけるクリスマスが恋人たちの祭典として受容され需要されたのも、時期がよかったからじゃないかと私は思っているんですよね。その後の年末年始が象徴する直系血族の準備段階としての若き異性愛カップルを称揚するわけですよ。ちょうどいいでしょ。恋愛を選別して再生産体制である婚姻に結びつけるタイミングとして12月25日は最適です。欧米では家族の行事だったクリスマスが日本に来て恋人たちの行事に変更されたのはそういうことだろうと、私は思うんですよね。

 そんなわけでみんな疲れていると思うので、私は私の知っている人たちだけにでも、年末年始には「いいじゃん」って言い続けるつもりです。帰省がいやになったら帰ってくればいいじゃん、家族がばらばらに年末年始を過ごしたっていいじゃん、そもそも家族がいなくたっていいじゃん。そう言いつづけるつもりです。

 それでは楽しい休暇をお過ごしくださいね。ええ、私はいつもここにいます。ここであなたに「いいじゃん」って言います。だからだいじょうぶ。良いお年をお迎えください。

僕らは世界をハックする 二人目

 シンガポールのオフィスははじめからすぐにたたむつもりだったから一年間使い切りの契約にしていた。学生時代のやんちゃが思ったより早く飛び火したので海外にまで出るはめになった。正直なところ、計算違いをした。

 個人で使うカネなんかたかが知れている。俺ははじめから大それた資産は望んでいなかった。そんなに野心的なたちじゃないんだ。大富豪になりたいんじゃなかった。巨大な権力(カネは一定量を超えると権力になる)は巨大な責任を生じさせる。俺はそんなものはほしくなかった。

 ほどよくアッパーで、ちょうどいい余裕があって、人よりも優雅だけれど、抜きん出すぎて孤独になることなく、上等な連中とつるんでいられること。そして誰も知らない資産を持っていること。それが俺の好みだった。どうして誰も知らない資産が必要かというと、不安や不確定要素を抱えているとQOLをそこなうので、一般人の範疇で人のうらやむ暮らしをしながら社会の変動にそなえるためだ。そう、俺は根っからの小物、ただし優秀な小物なのだ。

 最初は、ただのゲームめいたベンチャー経営だった。でも俺のアイデアはあきらかにそれ以上の利益をもたらすものだった。ただしそれは長期的なビジネスではなく、短期的な荒稼ぎだった。そして確実に世間の非難を浴びるものだった。非難はごめんだ。俺の人生には必要ない。

 俺は「相棒」を探した。つまり犠牲者を。俺に全幅の信頼を置いて危ない橋を渡り、どんな方法を用いても漉せなかった泥を最終的にすべてかぶってくれる相手を。

 同級生に適任者がいた。あらかじめ彼の好みを調べてから近づくと彼はあっという間に俺になついた。犬みたいに。彼はものすごくプライドが高く、たかが東大に入ったくらいで鼻高々になるほど世間知らずで、自分はもっと評価されるべきだと感じていた。特別扱いしてくれ。特別扱いしてくれ。そういう声が全身から漏れているような男だった。

 そして彼には友人がいなかった。まわりにいつも人がいるように振る舞っていたけれど、それは単に何らかの手続きをして複数のコミュニティに属しているというだけの話で、友人がいるのではなかった。彼はそのことをどこかで自覚しているようにも見えた。彼女という名称の女ができてもそれは単に自分のスペックでどこかのスペック好きを引っぱってきているのであって、なんていうか、物々交換みたいなものだった。

 こういう情愛に恵まれない男は「友情」にハマる。俺はそう予感した。そしてその三年後、予感は確信に変わった。日本で受託した仕事の結果、元請けが新聞沙汰になって自分たちの会社をあわてて畳むに至ったというのに、彼は俺をつゆほども疑っていない。書面上、人から非難されるような仕事の元締めは自分だけになっている、そのことにまったく気づいていない。この先に追徴課税を要求されるのが自分だけだと気づいていない。シンガポールのオフィスでする仕事なんか存在しないことに気づいていない。

 書類だけ見れば、俺は大学生の一時期ダークな同級生と連絡をとりあったことのあるクリーンな青年にすぎない。彼とのビジネスもアルバイト程度しかしていない。別のベンチャーを経営していたことになっている。シンガポールにも移住していない。観光旅行で来てすぐに帰る、そういう身分である。

 この世のしくみに愚直にしたがうのは奴隷のすることだ。しかしそれを破壊しようとするのは愚か者のすることだ。技術系の連中の言う「ハック」ということばが、俺は嫌いじゃなかった。素敵に滑稽だからだ。要するに「ちょっとした裏道を見つけてこずるくやろうぜ」ってことだろ? わかるよ、俺もそういうの好きだよ。

 そういうわけで俺は三月のうちに「観光旅行」を終えて日本に戻る。日本には尊敬すべき両親、かわいい妹、大切な恋人、そして多くの友人たちが俺の帰りを待っている。三月三十一日までの俺の肩書きは修士課程の大学院生、四月一日からは大企業の新入社員である。ただの新入社員ではない。俺の犠牲になった「相棒」が絡んでいない、隅から隅までクリーンな学生ベンチャーでの実績をひっさげた期待の新人だ。ただでさえ裕福な側の人間なのに、両親も恋人も知らない隠し財産をたっぷり抱え、そして二十四歳の若さ。

 なあ、こういう状態を「ハックした」というんだろ。俺は何も法をおかしていないし、誰のことも騙していない。泥をかぶってくれる「相棒」? ああ、あいつは勝手に勘違いしたんだよ。俺が騙したんじゃない。だって、証拠なんかひとつもないんだぜ。

僕らは世界をハックする 一人目

 自分の頭の良いのは知っていた。僕には兄がいて、両親は兄にも僕にも熱心に時間とカネをかけたけれど、僕のほうがはるかに勉強がよくできたし、習い事やスポーツのたぐいもそつなくこなし、人間関係上も強者だった。兄はべつに落伍者なのではない。平均よりはずっといい。僕があまりにすぐれているのだ。

 そんなわけで、僕は天性の才覚を前提として、じゅうぶんに資本を投下され、必要な時に必要なコストをかける(勉強するとか、見た目を整えるとか)手間暇も惜しまなかったので、現役で東京大学に入った。そうして、地頭、コミュニケーション能力、外見、生まれ育ちなどにおいても、自分が同級生の中で上位クラスに入ることを確認した。その年のうちに彼女を三人取り替え、学生サークル四つに顔を出してばかばかしくなってやめた。三年生になったころにはベンチャー企業を立ち上げていた。

 ベンチャー経営自体はたいしておもしろくなかった。せいぜい大企業に買ってもらえば大成功なのだ。しょぼい。しょぼいなあと僕が言うと、まあね、と相棒は言った。相棒は僕が知るかぎり僕と同じくらい頭の良いただひとりの同級生だった。僕が手加減なく口をきける唯一の相手。相手の知的レベルや知識の範囲に合わせてやるストレスがない、たったひとりの対等な友人。

 俺たちの会社は、と彼は言った。しょぼくないことをするための皮にすぎない。いいか、俺たちはこれから世界をハックする。

 僕らはまず、いわゆるバイラルメディアで一発あてた。まあまあの資金がころがりこんできた。世間がそれを非難しはじめたころ、僕らはすでにそこから手を引いていた。僕らはイメージが悪い事業の矢面に立つほど愚かではなかった。現代においてイメージ戦略はカネよりはるかに重要だ。僕らが世界をハックするとき、その行為の最終責任をとるのは別の人間でなければならない。そのためなら儲けを半分他人にくれてやってもよかった。

 次に僕らは独自の「SEO戦略」を大企業に売り込んだ。簡単にいうと、Google検索結果の上位に来ることだけをめざしたマニュアルをもとに安いライターに大量の作文を書かせてアクセスを稼ぐという手法だ。だいたいの人間は愚かで弱いから、たとえばガンかもしれないと思ったら「ガン」と検索する。そのときに上位に来るページがカネを生む。だったら検索結果上位に置かれるページを作ればいい。内容はどうでもいい。クリックさえされればいい。そんなものはGoogleアルゴリズムリバースエンジニアリングすれば大量生産できる。

 そのころ僕らはすでに大学を卒業し、大学院生の肩書きを得ていた。研究なんてしょぼい行為に興味はなかった。教員もほとんど全員がしょぼくてコネクション上もまったく意味がなかった。それでも大学院進学をしたのは「学生ベンチャー」を継続させるためだった。

 大企業は僕らの「SEO戦略」を買った。そしてそれは驚くほどの利益をもたらした。僕らは「SEO戦略」の洗練に夢中になった。たかが作文の条件を工夫してマニュアル化してそれを回すシステムを作るだけでカネがごろごろ入ってくる。大企業が実質たった二人の僕らの会社に慇懃に依頼してくる。木っ端ライターどもが僕らの作ったマニュアルを必死に守って最低賃金以下の報酬で無内容な記事を大量生産する。相棒は僕にささやいた。なあ、こんなに愉快なことがあるか。ないね、と僕はこたえた。

 やがて僕らはその仕事から手を引いた。体調不良を心配している人間に「先祖の霊のたたりです」と書かれたページを見せるようなしくみを世間が長く許しておくはずがないからだ。もう少しやればもっと儲かっただろうが、僕らは金銭欲や物欲などという低俗な欲求の奴隷ではない。僕らは世界をハックしたいのだ。そしてそれができるのだ。そういう人間が世間の非難を浴びる必要はない。

 非難を浴びたのはだから、僕らに仕事を委託した大企業だった。ふだんは見ないテレビをつけると、黒い服を着た大企業の役員連中がマスコミ各社のカメラのフラッシュを浴びて頭を下げていた。「見たか」とメッセージが入った。もちろん相棒からだ。いま見てた、と僕は返した。痛快だよね。

 相棒のメッセージは続いた。どうやらあの委託を請けたのは誰かという話にまでなっているみたいだ。そろそろ海外でやらないか。

 僕はますます愉快になった。それでこそ僕の相棒だ。僕らは早々に当該ベンチャーを畳み(僕らはそのころすでに複数の会社の名義を持っていた)完璧なタイミングで大学院を修了し、クリーンな「学生起業家」の顔を保ったまま、シンガポールに新しいオフィスをかまえた。