傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

だからその上に薔薇を

 1992年11月26日、14歳の少女Aさんが実父Bさんを椅子で殴打した。Bさんは脳震盪により一時意識を失い、軽傷を負った。Bさんが倒れた直後、Aさんの実母CさんがAさんの後頭部を掴み顔を壁に複数回たたきつけた。Aさんは前歯8本を損傷、その他の軽傷を負った。Aさんは直後に110番通報、「実父からの性的加害を防止するために椅子で殴った」「実母は実父に逆らった自分に激高して自分の顔面その他を壁にたたきつけた」と供述した。AさんBさんの双方に殺人の意思はなかったとされている。

 「ありふれたニュースだよ」。のちの元少女Aさんは言った。「だから誰も覚えていないでしょう」。 

 わたしたちの平和な大学で、彼女はものすごく目立っていた。髪はまだらな坊主、前歯がなく、左頬に大きな傷があった。それから頻繁に顔や首に蕁麻疹を浮き立たせ、まぶたや手足をしょちゅう痙攣させていた。教員は全員その状態をきれいに無視ししていた。

 ねえ、先週のノート見せてよ。英語の授業のあとで、彼女はわたしにそう言った。わたしたちは英語のクラスが一緒だった。わたしが彼女を見ていたことを、彼女は知っていたのだと思う。

 わたしはノートを見せてあげた。ありがとう、と彼女は言った。そしてにっと笑った。前歯がなかった。彼女は机に肘をつき、その肘に顎を寄せて、ねえ、と言った。あなた、わたしの顔、好きなの。

 好きだよ、とわたしはこたえた。こたえてからびっくりした。びっくりして、それから、でも、悪意がなくて見てしまうのは好きということだから、合っている、と思った。好きだよ。でも歯は作ったほうがいいと思うよ。髪はきれいに剃ったほうが、もっといいんじゃないかな。

 彼女は笑って、歯は保護されていたときに一度作って貰ったんだ、と言った。ああ、わたしね、未成年で保護者がいないんで、福祉で暮らしてたのね。作って貰った歯、ぼろぼろ取れちゃうんだ、でも、わたし、もう勤労学生で、福祉、切れてるから、歯医者のお金、作らないといけなくてさあ。

 わたし、夕方から工場で働いてるの。生まれたとこの近所の町工場で。友だちのバングラディシュ人の職人が辞めるっていうから、二人で「ぜひ後釜に」って工場主にめちゃくちゃ売り込んで雇ってもらった。配線の仕事。わたしさあ、配線の才能、けっこうあるんだ、バングラデシュ人が保証してくれたもん。寮費も安いし、大学の学費免除も通ったし、だから歯はすぐ作るよ。

 髪はねえ、無意識に自分で抜いちゃうの。1ミリでも生えると抜いちゃう。そういう種類の神経の病気なの。いつも、半分くらい、髪、ないから、残ったとこ、剃ってるんだけど、下手で、まだらになっちゃう。

 わたしは大学入学と同時に一人暮らしをしていた。それで彼女を自分のアパートに連れて行って、髪をきれいに剃ってあげた。

 そのようにしてわたしは彼女と友だちになった。彼女は町工場で配線に関する奇怪な才覚を発揮し、大学三年生になるとウィッグをつけ善良な笑顔で就職活動をし、組み込み系エンジニアとして職を得た。そのころにはもう歯はすべてできあがっていたし、強力な化粧品を買う経済力も得ていた。だから彼女は単にウィッグをつけ頬に隠しきれない傷があってたまに手足が変な動きをするだけの新卒の女性になっていた。

 就職が決まったから記念にお金を使う、と彼女は言った。何をするのかと思っていたら、いつも髪を引き抜いてしまう頭部左半分にタトゥーを入れるのだと言った。できあがったところでウィッグを外して、彼女はそれをわたしに見せた。大きくてすばらしい薔薇のタトゥーだった。いいだろう、と彼女は言った。いいね、とわたしはこたえた。

 それから二十年が経った。彼女は何度か転職し、今では組み込み系エンジニアリング大手に所属して、年間の半分はアメリカで仕事をしている。「二十代半ばからだいたい頭全体に髪が生えてるけど、ときどき気晴らしにぜんぶ剃る」と言う。同僚に手の甲までタトゥーのある人物もいるので問題ないのだそうだ(結構な社風である)。

 わたしは今でも衝動的だ、と彼女は言う。わたしはまた誰かを椅子で殴るかもしれない。今度こそ殺すかもしれない。でもそれはわたしが「子どものころに虐待されたかわいそうな人だから」ではない。「虐待されたから人を殺した」というせりふは、それを聞いた被虐待児全員へのナイフだ。「おまえも殺すんだ」という脅迫のナイフだ。わたしはそんなのは、死んでもいやなんだ。わたしはだから、わたしのこの、わたしだけの脳みその上に、消えない薔薇を彫ったんだ。