読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ゆるやかな減少とその終わり

 友人の新居に行くと新しいソファがあったので、連れだって行ったもうひとりとそろって褒めそやした。えらいねえ、がんばったねえ、いいの買ったねえ。
 友人は新卒時代から同じアパートに住んでいて、去年取り壊しになったので越した。学生寮から引っ越しておよそなんにも持っていなかった彼女に、一人暮らしをやめるからとか、新しいのを買うからといって、いろんな人が家具や家電をあげて、アパートに入居したころには、いちおう格好がついていた。私たちはほっと胸をなで下ろした。彼女は仲間内でいちばんお金がない、というか、有り体に言うと学費免除とアルバイトによる学生生活を送っていたので、就職活動とアパート入居費用で財布が空であることは容易に想像がついたからだ。
 そのあと十数年のあいだ、彼女の入った小さい会社は一度つぶれかけ、復活し、大きくなり、彼女はその浮き沈みのすべてに対して平気な顔をしていた。いちばん給与が低かったときにあっけらかんとその額を口にして、その場にいた友人全員が彼女の生活を心配したのだけれども、なければないで、学生時代と同じようにすればいいだけじゃん、と彼女は言った。一般的には、一度あげた生活水準を落とすのは難しいとされている、と誰かが教えてあげた。生活水準、と彼女はつぶやいた。それってお金のこと?生活に水準なんてあるのかな。よくわかんないや。
 彼女は会社が順調なときには休暇を取ってふらりと旅行に行き、そうでないときは近所をほっつき歩いていた。服飾品は友人とバーゲンやなにかに行ってああでもないこうでもないと話しながら買い、少し贅沢な食事をしたりもしたけれど、彼女はたぶん、買うことや食べることそのものより、人と遊ぶのが楽しいのだ。そして会社がつぶれかけたときには、「おかねがないから行かないよ」と平気で言うのだった。そうかいとみんなはこたえた。お金があると読みたい本をばんばん買って読んだそばから次に読みたい人にあげ、なければ図書館を利用していた。
 彼女のテレビが壊れた。彼女はテレビを捨て、テレビ台を捨てた。彼女のオーディオが壊れた。彼女はそれも捨てた。みんな新卒時のもらいものだったから、何年かすればもちろん壊れる。私は彼女の古いアパートがわりに好きで、ときどき遊びに行っていた。彼女の会社は復調して少しずつ大きくなっていて、彼女にも役職がついて、収入に問題はないはずだった。それなのに行くたびにものが減るのでなんだか不吉な気分になり、テレビを買わないの、と訊いた。だってあまり観ないもの、と彼女はこたえた。電子レンジがなくなったとき、ごはん冷凍したりしてるでしょ、どうしているの、と訊いたら、鍋で蒸してる、と当たり前のようにこたえた。洗濯機が壊れたときにはさすがに自主的に買ったけれども、買うのを面倒がってしばらく風呂場で手洗いしていた。何が面倒かという基準がだいぶ人とちがう。あなたには必需品というものはないの、と尋ねると、屋根と壁はできればほしいなあ、とぼんやりこたえた。あと、おふとん。
 いいかい、と私は言った。ものは壊れる。壊れたら捨てる。そこまでは良い。でもそのあとたいていの人は代替品を買う。「なければないで、べつに」という感覚のままでいると、あなたの部屋のものは順次なくなっていく。こぎれいな独房みたいになる。私たちと買い物に行こう。そして電子レンジを買おう。オーブンレンジのちょっといいやつにしよう。カーテンも取り替えよう。もうだいぶ日に焼けているよ。
 会社が復調し、少しずつ大きくなり、彼女には役職がついた。住んでいたアパートが取り壊されて引っ越すとき、私たち友人は彼女に収入に応じた適正な家賃について教授し、彼女は素直にそれにしたがった。腰が痛いというので椅子生活に変えるよう助言した。自宅で映画を観たがるボーイフレンドの要請によりテレビとブルーレイも導入された。その結果、新居はわりと「独房」感が減り、私たちは彼女をおおいに褒め称えた。
 いいかい、と私は彼女に言い聞かせた。ものには寿命があり、私たちの前からは、結局のところ、あらゆるものが去っていく。あなたはものと別れるのがとてもうまい。それができなくて部屋が狭くなっちゃってる人もたくさんいる。でもね、捨てたら新しいのを手に入れることも必要なんだ。細胞の代謝のように。消えるばかりで増えないのは生物でいえばただ死に近づいている状態だよ。私はそれがあなたのある種の心象風景のように思えて不安になるんだよ。私がそのように語ると彼女は相変わらずなんにも考えてないみたいな顔で、マキノはへんなこと想像するねえ、と言って、笑った。