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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

辻斬りガールと無害でお利口な大人

 マキノさんなんでしばらく予約取れなかったのと彼女は言う。予約という物言いが可笑しくて私はすこし笑う。受けたといいたげな顔で彼女は目をぴかぴかさせている。週末の半分は仕事で残り半分に数少ない親しい人たちとの予定をぎゅうぎゅうに詰めこんでいたのだと私は説明する。夏になるとみんな遊びたくなるから、年に一、二度子どもの成長を見に行くみたいな友だちからも連絡がある、そうしてあとの土日は、鬼神のように働いていたのですよ。
 そのように話を結ぶと彼女は毛先までつやつやの、肩口で丸く仕上げたやわらかな髪の、その感触を自分でたのしむみたいに指で透いた。するどい奥二重をだいなしにする野暮ったいつけまつげを見てかわいいなと私は思う。彼女はそんなことに頓着しない。自分の内面にだけ集中している声で言う。仕事するってたいへんなんですね。たいへんだけど、でも、自分で選んで、いいようにしていることだから、私のいちばんしたいことでもあるんだよと私は説明する。彼女はふうん、とつぶやく。穀潰しの学生にはわからない世界だね。そうして明敏で傲岸な十九歳の女の子にだけ可能な口調で言った。仕事が好きだなんて半分は嘘でしょ。マキノさん自己評価が低いから求められて褒められたらうれしくなってなんでもやっちゃうんでしょ。
 黙れクソガキ。間髪入れずに返すと彼女はころころ笑って、面と向かってそんなこと言われたのはじめてとうれしそうに言う。下品な大人がまわりにいなかったのだろう。嘆かわしい。
 ところでクソガキの動機はなんなのと私はたずねる。つまり唐突に相手について言及する、しかもマイナスの側面について、私は知ってるとでもいうみたいに不意打ちをかける、そういうのって、どうして。練習ですと彼女は即答する。私、人と話すとその人のことけっこうわかるし、そしたら、それを使いたい、できるだけ上手に。人を私の思ったとおりに動かしたい、私のいちばんいいようにしたい。相手が大人だって私、わかる、相手が言われたくないこと、半ば気づいてないこと。大人で、文章を書くみたいな、マキノさんみたいな人のことだってぜんぜん私、わかるもの。
 私はこの女の子が部分的にあんまり素朴なのでびっくりしてしまう。この子は私がものを書くから珍しいと思っているのだ。文章を書くなんてまったくたいしたことではなくってそこらいへんにごろごろしている行為だからあんまり珍重しなさんなと私は忠告する。それから言う。そういう辻斬りみたいなことしてると友だちなくすよ。刃物の切れ味自体がたのしくってそこらへんの人をばんばん斬るなんてほんとうに子どもだ、まったくクソガキとしか言いようがない。彼女は上機嫌で、傷つきやすいお友だちにはそんなにしないとこたえる。マキノさんにするのはそうしたらマキノさんは私をそこらへんのばかな大学生と区別して覚えてくれるから、それにマキノさんはそれくらい平気だし私に甘いからきっと許してくれる、だからしちゃうの。
 あのねと私は言いきかせる。試し斬りなら生身の人間じゃなく、わら人形でも切っていなさい。つまり、ブログでも書いてろ。彼女は楽器の早弾きみたいに笑って尋ねる。マキノさんのあれって試し斬りなの。そういう面もないことはないと私はこたえる。私は、基本的に無害な人間だし、そうありたいと思っている、でも私にも攻撃性はあるし、それは否定されるべきものではない。だから私はその出口として書く。そういう場合もある。攻撃性以外のものごとの出口として書くことのほうがずっと多いし、端的に出すことが気持ちいいから書くというのが基本だけれども。
 無害だなんて、と彼女の声の濃度が上がる。そんなの、私いちばんきらい、誰にも影響できない人間のままでいるなんて。私は、高校生までそうだったから、それがどれだけつまらないかよくわかってる。力のない人間に戻るくらいなら死んだほうがまし。誰かを傷つける力くらい私にはあるって思えないと私、死んじゃう。
 死なないとこたえて私は笑う。無害な人に安心してそれから仲良くなって感情を交換して影響を受けるのではどうしていけないの。そのほうがずっといいと私は思うよ。あなたが刃物をちらつかせなくてもいろんな人がちゃんとあなたを見てくれるよ。そんなに心配しなくていい。影響力が有害じゃないなんて嘘だと彼女は言いつのる。その嘘を上手にほんとうにしていくのが大人というものですと私はこたえる。何年かかけてゆっくり練習するといいよ、傷つけるほうの練習をするのではなくて。嘘は嘘だもんと彼女はつぶやく。かわいいなあと私は思う。でも言わない。