傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

あなたの不潔な感情

 私たちのメールには赤青黄色の信号がついている。文頭あるいは末尾に。たいていは青だ。本題から一行あけた数文字の信号。たとえば「槙野です。新米おいしい」「羽鳥です。明日から大阪」。OK、私たちは無事に生きている。私たちのやりとりは月に一度か二度、ちがう会社で同じ種類の仕事をしているから、情報交換の必要が生じた場合はこのかぎりではない。私たちはそこに自分たちの状態を書きこむ。
 秋の日の深夜にそれをひらいて黄色、と私は思う。「羽鳥です。この数日すっきりしない」。私はウェブ上の彼の所在を確認しSkypeを選択する。三十分後、と彼は書いて送る。こちらからかけます。それからメールを一本。見ておいてください。ありがとう。私たちはしばしばスマートフォンからSkypeを使うので、それが電話であるかのような気になっている。
 メールに添付された企画書を見てなんだ羽鳥さんが少しに書いたものじゃないかと私は思った。それは羽鳥さんの会社の同僚が主催している勉強会で内々にシェアされたもので、しかるべきタイミングが来たら提案したいと羽鳥さんが考えている文書だった。その内容は実におもしろいものだったので、私たちは彼を褒めた。羽鳥さんは少しうれしそうだった。
 添付ファイルに彼の名前はなかった。知らない名前があった。スマートフォンが鳴り私はそれを取る。羽鳥さんがなんだか他人事のように語ったところによると、同じ会社の若い人がそれを自分のものとして出したのだという。参照したというのがその人の物言いで、「参照元」を提供した人物は羽鳥さんのおそらくもっとも親しい友人である、勉強会を開いている羽鳥さんの同僚だった。彼は私の友人でもあった。私はたいそう憤り、切る、と言った。羽鳥さんとしゃべってる場合じゃないから切るよ。
 切ってどうするんですかと羽鳥さんが訊く。小野塚さんにかけるに決まってますと私は諸悪の根源の名を口にする。「参照された資料」とやらを提供した羽鳥さんの同僚、羽鳥さんをその職場に引っ張りこんだ張本人だ。羽鳥さんはそこでたいそうたのしそうに働いているけれども、そんな恩義はこの際問題ではない。小野塚さんが今すぐ出るなら言い訳を聞いてやらないこともないと私は言う。そういうつもりじゃないと羽鳥さんは言う。この通信を切ってはいけないと言う。槙野さんの感想を聞きたかった。ぼくだけに教えてください。他の人は抜きです。私はしぶしぶ通話を続行する。私は彼の感覚と思考について想像し、それから再度腹を立てる。
 羽鳥さんは私の大学のゼミの先輩で、なにごとにも執着が薄い。他者との結びつきはゆるやかでつねに節度をそなえ、嫌いなものからは静かに遠ざかる。誰かと誰かの諍いに遭遇すると具合が悪くなる。恋愛というものも一切しない(正確には大学生の時分にそのような自分を病気ではないかと考え、「治療」のために努力してそれに類似する関係性を築いたことがあって、私はその相手の女性の友だちで、それをきっかけに羽鳥さんと仲良くなったのだった)。
 ありがとうと羽鳥さんは言う。僕は、それがわからないので、槙野さんに訊きました。わからないでどうすると私は言いつのる。羽鳥さんあなたねえ、三十六年なにして生きてきたんですか。おもに仕事を、と羽鳥さんは生真面目にこたえて私は絶望し、口をきわめて小野塚さんとその下にいる、企画書を出した恥知らずの若い人を罵倒した。自閉しがちな私や羽鳥さんのきれいな線対称の、いつも気が散ってそこかしこにエネルギィを撒きちらして他者を巻きこんでごめんねごめんねと謝りつづけている小野塚さん。「羽鳥さんの清潔な人格」と私が口にしたときひどく喜んで賛同した小野塚さん。当人のいないところで「俺この世でいちばん羽鳥が好き」なんて言って、奥さんと子どもの立場はどうなると、私たちに叱られていたくせに。羽鳥さんは私がそうしているよりもっとずっと強く小野塚さんを信頼していた。小野塚さんはそれもこれもまとめて完全に裏切ったのだ。
 ありがとうと羽鳥さんは言う。それから少し笑う。槙野さんは色とりどりのことばを遣う。僕にはそういう語彙がない。ちゃんと言うから、オリジナリティを出してくださいと、そうでないと若い人にとってよくないと、きちんと言いますから、小野塚さんとの話は、どうかそのあとで。私は今日何度目かの不承不承の肯定を伝えて、それから言う。羽鳥さん、私もそれからたぶん小野塚さんも、あなたのそういう清潔な人格を好きだけれど、でもいくらなんでも今回は、不潔な感情の処理を外注してる場合じゃないです。