傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

機械としてあつかって

コンビニエンスストアに入ったら、おばあさんがレジの人に話しかけていた。何時までこうしてお勤めになるのかしら。こんなに遅くまでねえ。感心なことねえ。
私たちはおばあさんの隣のレジで買い物を済ませて外に出た。さっきの店員さん、困ってたねえ、と彼は言った。そうだねえと私はこたえた。彼はしばらく歩いてから言う。
なぜ困るかって考えると、定型の反応ではいられないからなんだけど、もっと推しすすめて考えると、コンビニで働いてるときは「レジを打つ機械」みたいにあつかってほしい、ということなんだろうと思う。職業を遂行しているときって、だいたいそういうものなんじゃないかな。俺も仕事中は「所定の書式を埋める機械」としてあつかってほしい。そりゃあ、昼休みには個人的な話もするし、ときどき仕事仲間と飲みにも行くけど、でも業務中はなんというか、機能としてあつかわれたほうが、楽なんだよ。メールを打つ肉のかたまり、電話をする装置、みたいにさ。
私は感心して賛同した。たしかに、仕事中に常時人間としてあつかわれては少し困る。いろいろな職種でそうなんじゃないかと思う。野菜を売る機械、図面を引く機械、他人のからだから腫瘍を取りだす機械、といったあつかいが、スムーズな業務の遂行を実現する。「うわーすいません血がついちゃった」みたいなことを患者にいちいち言われてたら医療現場は回らないだろうし、契約書を読んで「なに甲乙って」とか言ったらまずい。
そこまで考えて、じゃあ私的な関係にあるような振るまいをするのが仕事であるような場合はどうかな、と私は訊いた。彼はそれですよ、それ、となぜか急に敬語になり、片手の指をぱっと広げてみせた。
それで俺、個人的にキャバクラとか行かないんだ、えっと、つまり、彼女たちは業務として客と飲むわけだよね。ほかの仕事と違って、私を機械としてあつかってください、というメッセージは出てない。なぜかっていうと、それを出しちゃ成立しない機能だから。
私はうなずく。彼は続ける。
そんな人と飲んでたら、これはもしかして人なのではないか、っていう気がしてくるに決まってる。これはもしかして「親しげな会話提供機」ではなく、「むちむちのふとももをミニスカートから見せてくれる機」ではなく、人間なのではないか。うーん、かわいい女の子だなあ。電話番号教えてもらえないかな。今度ふたりで飲みに行きませんかって訊いてみよう。そう思っちゃうね、もう確実に。age嬢メイクってCGみたいでかっこいいし、絶対その気になる。それはまずいんだよ、だって料金に見あった機能としてそれが提供されているだけなんだから。
なるほどと私は言った。でもちょっと錯覚するのが楽しいってことはないの、みんなそれを求めて行くんじゃないの。
彼はまあそうだろうねと言う。そういう場に向いてるのは、フィクションとしてのふるまいをそうと知りながら楽しく消費できる人なんだと思う、俺は、機能だと思ったら醒めるし、人だと思ったらふつうに好きになったり嫌いになったりするから、向いてないんだと思う。