傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ある腕時計の死

 わたしの時計が止まった。電池式の腕時計である。わたしはこの時計が永遠に止まらないような気がしていた。正確には、わたしが死ぬまで動いていて当たり前だというような、そういう気分で、毎日腕に巻いていた。でももちろんなくならない電池なんかないので、今日、止まった。六年とすこし動いていたことになる。

 ありふれた時計だ。ちょっとだけ良いもので、長く売れている機種で、ほどほどのかわいらしさと職場でも悪目立ちしない行儀のよさを両立している、ありふれた時計だ。それが六年も動き続けたことに、わたしは少し驚いてしまう。

 六年前につきあっていた人は嘘つきだった。人生の背景、すなわちわたしといる時以外についての話がほとんど嘘でできていた。息を吐くように嘘をつく人間がこの世にはいて、彼はそういう人間だった。自分の利益や見栄に寄与するような、意味のある嘘をつくのではない。つくりごとを話すこと自体にとりつかれていたのではないかと思う。

 彼は素敵な人だった。出身は千葉県だと言っていた。年齢は当時三十四歳だと言っていた。兄がひとりいると言っていた。母親は何年か前に亡くなり、父親は健在だと言っていた。誕生日は五月二十六日だと言っていた。高校まで県内の公立に通い、大学は都内の私学で、遠距離通学に耐えかねて二年生から一人暮らしをはじめ、社会人になってから二度引っ越しをして今のマンションに落ち着いたのだと言っていた。

 わたしは彼が嘘をついていると知っていた。なんとなく知っていた。ほんとうは結婚していて単身赴任で都内に独居しているとか、そんなところじゃないかなと思っていた。わたしは彼の嘘を確認したくなかった。その場その場の彼との時間、わたしと彼との親密さだけを求めていた。わたしがそんなにも彼に対して未来の希望のようなものを持たなかったのは彼が嘘つきだとどこかでわかっていたからだと思う。けれどもその嘘の内容はわたしの予測していたものとはちがった。

 六年とすこし前、彼と連絡がとれなくなった。何のメッセージもなく、何の予兆もなかった。彼のマンションは無人で、向かいの道路から見える窓にはカーテンすらかかっていないのだった。わたしはマンションのポストに自分の連絡先を入れた。彼に宛てたものだけれど、彼の弟から連絡があった。兄とふたり兄弟だと彼は言っていた。嘘だった。

 彼はふだんろくに連絡をよこさないのだと、そのきまじめそうな弟は言っていた。でも僕がこのマンションの保証人だったのでね、解約したから精算だけしておいてくれ、敷金はやる、とだけ連絡が入りましてね、どこに行ったのか知りません、昔からわけのわからない兄で、仲も別に良くないんです、保証人になんか、なるんじゃなかった。その「弟」の口にした彼の名はわたしの知っている彼の名ではなかった。写真を見せると、たしかに兄です、と確認してくれた。わたしは彼について矢継ぎ早に質問した。年齢も、出身地も、出身校も、わたしの知るものではなかった。弟さんは律儀に自分の身分証明書を見せ、兄がどうしてそんな嘘をつくのかわからない、と言った。自分の知るかぎり嘘をついて隠すような過去はないのに、と。

 わたしの恋人は二重に消えてしまった。第一に、物理的存在として。第二に、名を持ち歴史を持つひとりの人間として。第二の彼ははじめからいなかった。わたしが知っている彼は存在しなかった。わたしはその事実を、長いことかけてのみこんだ。わたしは静かに仕事をして静かに暮らした。今は別の人と暮らしている。

 彼がわたしに腕時計をくれたのは六年とすこし前のクリスマスのことだった。彼がいなくなったのは翌年の二月のことだった。だから時計は明確に彼の記憶と結びついていた。彼はわたしからお金をだまし取ったのではなかった。彼は妻がいるのを隠してわたしとつきあったのではなかった。わたしは警察や裁判所に訴えるような被害に遭ったのではなかった。でもわたしは傷ついていた。自分の存在の一部が無効にされたかのような感覚を持っていた。とても深く損なわれたのだ。そのことを、六年経ってようやく自覚した。あまりに根の深い感情は、それが消えたあとにしか自覚できないんだな、と思った。ごっそり持って行かれた穴が目に入らないふりをして、それがふさがってから、ああ穴があった、とわかるのだ。わたしは時計を見た。それはただの死んだ時計だった。わたしはその時計を捨てた。

皮膚接触のリテラシー

 ため息をついてからだを離す。自分の肩が下がっていることに気づく。その肩をあらためて上下させてみる。引き攣るように痛い。少しほぐれたときの痛みだ。僕の背面は首から背中まで常時ひどく凝っていて、ほぐれるとぱちぱちと痛む。気持ちのいい痛みだ。運動もマッサージもなしにほぐれるなんて久しぶりだ。

 いつぶりだろう。そう思う。なんとなく左側を見る。左側は車道である。夜、夜中、繁華街、その外れ、人通りは少なく、みな大人で、道ばたでハグというにはちょっと長いこと人を抱きしめたくらいで文句を言う人間はたぶんいない。いたら謝る。どうも申し訳ございませんね、みっともないところをお目にかけまして、ええ、いい年をしてねえ、お見苦しいところを。

 見苦しいことをする場所がほかにない。見苦しいなんてほんとうは思っていないけれどーー人前で抱きあって許されるのは年若く見目麗しい男女だけ、というようなジャッジを、僕は永久に憎むーー単に抱きあうべき場所がない。僕らはもう一緒に住んでいない。僕らが密室で服を脱ぐような間柄でなくなって久しい。かといって並んで食事しておしゃべりしてそれで終わりという関係でもない。どう考えても僕らはそうはならない。僕らは出会った日から皮膚接触を第二の言語とする恋人同士だった。そうでなくなったときからは「元恋人」だ。元がついて何年たとうが、友人だとかそういう、別の名前はぜったいにつかない。その結果として路地を、都市を、夜を、僕らは必要とする。たぶん。

 右側のあごに髪が触れ、元恋人が僕に言う。下手になったねえ。何が、と尋ねるとわずかに動いて僕のこめかみと鎖骨のあいだに頭をおさめ、その距離にふさわしい大きさにチューニングした声で言う。こういうことが、ですよ。自転車なら乗り方を忘れることはないけど、他人の皮膚に触れる技能は、衰えるんだよ。ちゃんと、まめに、やっておかないと。

 失礼だなあ、何もしていないのに、昔より上手くなっていたらどうするつもり?僕がそのように茶化すと元恋人はちらと首をもたげて僕を見て、それから言う。ばかだなあ、そんな話をしているんじゃないよ、単に触れるときの話をしているんだよ、子どもを抱き上げるのと同じカテゴリの動作の話だよ。ねえ、きみ下手になった、とっても下手になった、こちらから抱きかえそうと思っても腕を固定して放してくれないんだもの。昔はそうじゃなかった、相手の動きを受け取っていたし、たいていの場合、その意味をちゃんとわかっていた、今はそうじゃない、きみ、能力が下がってる。

 そうか、と僕は思う。僕は下手になったのか。あらかじめ接触を許されていると信じて疑ったことのないこの人を相手にしても、抱きしめるのが下手なのか。枕にしがみつくみたいに相手をまるごとぎゅうぎゅう締めつけて動けなくしていたのか。自分の背中に腕を回してもらうことを想像できないほど、鈍くなっていたのか。

 しばらく誰にも触れていないだけならいいんだけどねえ。路地を抜けて落ち着き、飲み直しながら元恋人が言う。伴侶とか子どもとか、親密に触れる相手をつくらないという選択はもちろんある。そもそも誰にも触れる必要がない人だっている。きみが誰にも触れない生活を選んだ、あるいはしばらく誰に触れる必要も感じなかったというなら、だから下手になったんだな、と思うだけなんだけど。

 元恋人は口をつぐみ、僕を見る。僕は首をかしげてみせる。元恋人は首を横に振り、言う。もしもきみに抱きしめる相手がいて、それであんなふうに身勝手な、あるいは切羽詰まって何も見えてないようなやりかたをするのなら、その人かきみか、どちらかがかわいそうだと思って。つまり、きみは相手のことを考えていないか、相手からじゅうぶんなものをもらっていないと感じているか、どっちかなんだと思う。

 僕は口をひらく。それから閉じる。僕が誰かを粗雑に扱っていても、あるいは誰かから粗雑に扱われていても、この人には何もできないのにな、と思う。少し可笑しかった。何もしてもらえないのに嬉しいと感じる自分が可笑しいのだった。理解されることは皮膚に触れられることに似ている。もっと僕について想像してほしい。もっと僕のことを心配してほしい。そう思った自分の甘えぶりを恥じて、それから、開き直る。道ばたで僕らを非難する他人を想像する。僕はその他人に向かって、ぜんぜん悪いと思ってない顔で謝る。いい年をして、ほんとうにお見苦しいところを、ええ、気持ち悪いところをお見せして、すみませんねえ。

五歳児の甘えの技術

 息子が晩ご飯を食べたくないと言う。なぜかと問えばスープがないからだという。保育園のごはんにはついているので、それがなくてはいやなのだという。まったく理屈が通っていない。わたしは保育園のごはんも把握している。息子の通っている保育園は献立だって教えてくれるし、ごはんをちゃんと食べているかも知らせてくれるのだ。ほんとうにいつも元気で、お友だちにもやさしくて、好き嫌いもなくて、と聞いている。めちゃくちゃいい子だそうだ。

 うちではそこまでではない。ちょっとしたわがままを言ったり、だだをこねたりもする。五歳なんだからそれで問題ない。だだをこねる部分も含めて彼はパーフェクトだとわたしは思っているし、夫もそう思っている。でも今日はちょっとしつこい。しかたがないからスープも出してみたが、これじゃないと言う。そのくせごはんを下げようとするといやだと主張し、ほとんど意地になったように文句を言い続けている。もはや「けちをつけている」というレベルではないか。

 わたしは息子の名を呼び、いちゃもんをつける行為がいかによくないか、長々と説明した。夫は「きみは誰でも話せばわかると思っているんじゃないか」と心配するが、いくらなんでも誰しもにわかってもらえるとは思っていない。五歳の息子ならわかってくれるとは思っている。というか、二歳くらいからわかってもらえると思って接してきた。

 翌日、保育園に息子を迎えに行った。自転車の後ろに乗った息子はいつもとさほど変わらない。わたしは自転車をぐいぐいこぐ。息子はどんどん重くなり、わたしの脚はどんどん強くなる。今日はちゃんと食べるだろうなと思いながら夕食の準備をしていると、息子が台所にやってくる。そうして言う。牛乳がほしいんでちゅう。

 でちゅう。わたしは思わずつぶやいた。息子は大まじめである。ふざけている気配、冗談を言おうとしているようすは見受けられない。すごくまじめに、なんなら切実に、でちゅう、という謎の語尾をつけているのだ。たいていの幼児は「でちゅう」とは言わない。現実の幼児語というより、アニメやなにかで使用される記号的なせりふだ。

 わたしは膝を折り、とても小さな子にするように話しかける。牛乳がほしいの?牛乳がほしいんでバブ、と息子はこたえる。まじめにこたえている。わたしは考えながら冷蔵庫をあけ、牛乳を取り出し、息子に与える。息子はそれをのみ、しかるのち、ハグをしてほしいんでしゅ、と言う。わたしはハグをする。息子はハグということばを以前から知っている。しかし、「バブ」「でしゅ」は新しい。どこで覚えてきたのか。離乳食はないので食事どきにまでバブだったらちょっと困るなあと思っていたら、息子は「五歳に戻りました」と宣言して、いただきます、と言った。

 翌日は夫が保育園にお迎えに行く日だった。わたしが帰ると息子はもう眠っていたので、夫に昨日のようすを話した。夫によれば、今日は赤ちゃんごっこをしていないし、今までもしてみせたことはないという。ちょっと見てみたいなあと夫は言った。少しのあいだ赤ちゃんになって「五歳に戻りました」というのはなかなかの知恵だ、巧いと思うよ。甘やかされ慣れているというか。赤ちゃんごっこをしたがるなんてあの子も大きくなったね、逆説的だけど。

 わたしの脚はどんどん強くなると思っていた。つまりどこかで、わたしは永遠に幼児の母であるような気がしていた。でもそんなはずはないのだった。あの子はもうじきわたしの自転車の後ろの席を必要としなくなる。わたしたちが仕事を調整して朝晩の送り迎えをする日々はもうすぐ終わる。もうじき子は小学生になって、ひとりで学校へ行く。そのことを知っているから、息子はきっと大人になるために努力をしているのだろう。そしてそれに疲れてしまうと、「バブ」とか「でしゅ」とか言ってみせるのだろう。それが嘘で、お芝居だとわかっていて、言うのだろう。そんな技術を身につけるほどに、息子は大きくなったのだろう。もう大きいから、必要なのは牛乳とハグだと自分でわかっていて、自分でねだることができるのだろう。

 わたしの息子は賢いなあ、と思う。わたしは同じことをできているだろうか、と思う。わたしの「牛乳」はとても複雑になって、目の前の伴侶にも、親しい友人たちにも、きっと全部はわからない。そしてたがいに、わからなくて当たり前だと思っている。だからときどきは言おう、と思う。牛乳がほしいんでバブ。

さみしいってちゃんと言え

 べっとりと貼りつくような声に受話器を遠ざける。思わず顔をしかめて、胸が悪くなるような嫌悪感を自覚した。どうしてこんなに強い嫌悪感があるのか、電話対応をしながら自分の中を探った。不愉快で強い感情はしっかりとモニタリングしたほうがいいと私は考えている。打ち消すのではなくて、見ないふりをするのではなくて。

 部下が急病で入院したということで、同居している母親から電話がかかってきた。社員の病欠時、家族から会社に電話してもらうのはいっこうにかまわない。まったく問題ない。でも詳細な病状を教えてもらう必要はない。倒れる前のようすから現在の症状の詳細まで身体の具体的な描写を織り交ぜて話す必要はない。それは部下本人のプライバシーであって、親御さんが勝手に私に話していいことじゃない。そう思う。

 私は通常の電話ではしない強引なタイミングで話に割り込み、詳細を話す必要はないこと、社内で必要な連絡はしておくことを伝えた。要するに、これ以上電話を続ける必要はないことを示した。伝えるまでに三分を要した。受話器から出る声は私のせりふにどんどん声を重ねてくるのだ。娘が急病で入院した、欠勤する、詳細は追って連絡する、これだけ言えば済む電話を、涙声で切らせない。社会人として求められる婉曲な話法で切らせてくれと言っても通じない。声には劇的な抑揚があり、ときどき震えをが加わり、弱々しいのに妙に生き生きしている。そう、すごく生き生きしているーー楽しそう、と言ってもいい。娘の状態の詳説に織り込むように、自分がいかに家族に尽くしているかを語りつづけている。

 電話を切るタイミングをはかりながら、この声はどうしてこんなに不愉快なんだろうと思う。娘を心配する母親が多少頓珍漢なことを言ったって不快になんかならない。パニックに陥っている人がまとまりのない話をしたってこんな気持ちにはならない。この人のはそうではない。そういう害のないものではない。

 むりやり電話を切ってから気づいた。あれは自分の苦痛を訴える声だった。自分が遭遇した不運について訴え、なぐさめとねぎらいを執拗に要求する声。そのように思いついて私はぞっとする。だって、娘の会社の上司なんて、どう考えても他人じゃないか。その他人にどうしてそんな反応を求めるのか。私が冒頭で「それはお母さまもご心労のことでしょう」と言ったのが悪かったのか。そんなのは当たり前のせりふではないか。そこから十五分以上(むりやり切らなければもっと長い時間)自分の感情をぶつけるためだけに話し続けるとはどういう了見なのか。

 あれは依存の声だ、と私は思う。相手のことなど考えず、ただもたれかかろうとする声だ。気持ち悪い。そう思う。もちろん、誰にも依存しない人間なんかいない。自分は何にも依存していないなんて言うやつは単に自覚がないか、薬物とかに依存してるんだ。依存がいけないというんじゃない。そうじゃなくて、隙あらばもたれかかろうとする雑さが、私は気持ち悪いんだ。そう思って、少し落ち着いた。悪感情の出所はわかっていたほうがいい。

 私は、依存というのは分散して丁寧に、相互にするものだと思っている。私たちは一人で立ってなんかいられない。私たちはどれだけ大人になったって、さみしい、いつだって、ほんとうはさみしい。さみしいから他者や社会とかかわろうとするので、仕事だってお金のためだけじゃなく、しなかったらさみしくて退屈でひどいことになると思うからやっているのだ(私は)。私たちは基本的にさみしい生き物で、だからこそ他者とかかわり、親密な人と感情をやりとりするための努力をするのではないか。

 そうだ、かまってほしかったら人間関係をケアしろ。なかったら関係を作る努力をしろ。そこいらの通行人にもたれかかるんじゃない。人間関係に不足があればプロに頼め。娘に乗っかって自分の感情をぶつけるなんて雑を通り越して邪悪だ、娘への搾取だ。自分の関係ある相手に言え。感情をやりとりすべき相手に、さみしいってちゃんと言え。

 そこまで思うと心が静かになった。時計を見ると電話を切ってから四分が経過していた。首をゆっくり回した。そうしたら胸の悪さは失せて、電話の声がどんなだったかもほとんど忘れているのだった。私は、気持ち悪い人間に遭遇すると、すみやかに遠ざかって、その具体的な細部を、すっかり忘れてしまうのだ。

健全な孤独死のための覚え書き

 あのさあ、わたし孤独死しようと思って、あんたも一緒にどう? 何それ、孤独死ってしようと思ってすることなの、しかも一緒にって何よ、私みたくひとりじゃなくて、家族がいるのに、子ども二人いるのに。わかってないなあ、だから孤独死を志すんですよ、健全な孤独死を。わかんない、ぜんぜんわかんない。

 だってわたし、子どもが成人したら同居なんかしたくないもん、わたしの可愛い息子たちは世界に旅立ってほしいし、世界じゃなくても、まあ日本でいいんですけど、東京から出なくてもべつにかまわないけど、自分の好きな場所で好きなように生活してほしい、老いた親が心配だから一緒に住むとかやめてほしい、まじで。

 それはまあ、そうかもねえ、親との同居ってそういえば、どうしてみんな、するのかねえ、考えたことなかったわ。さあ、同居する人にはする人の考えがあるんでしょ、わたしはそういう考えかたをしない、それだけなんだけど、とにかく、わたしの将来の理想は、子どもと離れて暮らしている状態、それでさあ、夫はわたしより先に死ぬわけ。

 死ぬの。死ぬ、男女の平均寿命の差があり、彼とわたしの年の差が四つある、順当にいけば彼が先に死ぬ、あとー、彼がー、俺より先に死なないでくれって言うからー、えへへ。そうかそうか、よかったね、それで最後にはひとりで残るわけね、なるほど。

 うん残る、今後の人生が理想どおりに進んだらわたしが残る、そしてさらに理想の老後を考えると、できるかぎり元気な状態で自宅にいたい、あれよ、年寄りの夢としてしばしば語られるピンピンコロリってやつ、わたしもそれがいい、入院とか避けたい、で、めでたくコロリしたとしよう、そしたら、孤独死じゃん。そうか、孤独死だ、孤独死以外ないわ、その理想の人生だと。

 ねえ、だからさあ、わたし、わかんないんだよ、孤独死いいじゃん、最高じゃん、それなのに孤独死ってなんかこう、忌むべき言葉みたく使われてる、それで、脅し文句になってる、あんたみたいないい年した独身者を非難するための用語になってる、ねえ、あれは何なの、わたし、まじで意味わかんないんだけど。

 あれはね、「あるべき家族」を持たない者への憎悪の一形態ですよ、死体が腐るという問題では実はないんだよ、もしも死体が腐ることが問題なら、婚姻とか関係ない、死体問題を解決したいなら、火災報知器みたいな死体報知器を開発して全住宅につければいい、そのための開発を政府かなんかがすればいい、それだけのことなの、でもそういう話にはならないでしょう、必ず、家族の崩壊がどうとか、選り好みしないで結婚しろとか、独身なんて社会にとっての迷惑そのものだとか、そういう話になるでしょう、つまりね、孤独死というのは、ツールにすぎないの、「正しい家族」を拒絶した人間を罵倒したいという気持ちの受け皿が「孤独死問題」なの、「正しい家族」を選ばなかった人自身がそれを内面化していることもある、いずれも、死体の話をしているのでは、実はない。

 そうかあ。そうだよ、死体は関係ない、彼らはただ、彼らの思い描く「家族」の枠におさまっていない人間に石を投げたいだけなんだよ、孤独死が石として機能しなくなったら別の石を探してくるでしょう。

 ねえ、わたしたち、年をとったら毎日連絡を取り合おうね、そして片方の連絡が途切れたらもう片方がすみやかに通報しよう、あの家でおばあさんが死んでいますって。かまわないけど、でも、わたしたちがおばあさんになるころには、もうちょっとテクノロジーが発達しているんじゃないかな、部屋の中で死んでるか確認できるシステムのひとつやふたつ、できるんじゃないかな。うん、きっとできるよ、できてほしいなあ、友だちの死体を確認しにいくのも億劫だものね、くさそうだし。そうそう、死んですぐ見つけても夏場とかわりと腐ると思うんだよね、冷蔵庫に入って死ぬわけじゃないからさ、まあ、私は、死んだあとくさかろうが汚かろうが、個人的にはどうでもいいんだけど、死んだら嗅覚とかないし。

 よし、決めた、わたし、最高の人生の結末として、最高の孤独死をする、それでもって、あんたの仇を討ってやる、あんたの選んだ幸福な独身生活をどうこう言うやつ、まとめて否定してやる、わたしたちはいろんな生き方をして、そうしてみんな幸せだったって、あいつらにわからせてやる、だから安心して死んでほしい。ありがとう、でも、まだ死なない、あと、できれば四十年くらい。

なんでも上手な女の子

 気を遣われていると思って緊張するとしたら、その相手は気を遣うことが上手ではない。もしかしてあれもこれも気遣いだったのではないかと思ったときにはもうだいぶ会話が進んでいる、それが上手な気遣いというものである。今日はそうだった。一対一で話すのがはじめての場で、もう一時間半経っている。やばい、と私は思う。若い人が気を遣っていることに気づかなかった。年長者として反省しなければならない。

 なんでも上手なのが良いかといえば、そうではない。外交や商談ならともかく、個人と個人の人間関係なんだから、あんまり上手に気遣いをされては困る。私は上手に気を遣うことができない。したいんだけれども、どうもうまくない。私だけ下手なのはしんどい。だからみんなにもほどほどであってほしいと思う。

 そのような私の都合とはうらはらに、ある種の人々は空気を吸うように気を遣う。目の前の若い女性もそうだ。気の利いた会話をしながら適度に本音のような発言を織り交ぜ、屈託なく笑っているように見えながら声量は周囲に合わせてきっちりコントロールしており、食べる速度も飲む速度も私とほとんど同一である。そんなの私に合わせているに決まっているので、なんで気づかなかったんだと思うけれども、気づかないくらい自然にやってのけるのだ。

 私と彼女の間に利害関係はない。仕事上のつながりもない。同じ業界と言えないこともないが、取引などの関係はまったくない。気を遣う理由はとくにない。たぶんさまざまな場面で自然に気を遣うのだ。そう思って私は少し暗い気分になる。彼女は箸を置き、次の飲み物を選んでいる。マナーの教科書の例として掲載できそうな、正しい所作である。彼女の振るまいや発言は何もかも規を超えない、と私は思う。自分に関する規則をきっちり作り、それを守っているような人。

 相手をいい気分にさせるような振る舞いを自然にするのは、いいことではない。私はそう思う。相手にとってはもちろんいいことなんだろう。でも、誰かが気を遣い、誰かが気を遣わないという非対称性を、私は良いものと思わない。さまざまなジャッジに耐えられるような振る舞いを見ると、私は疑問を持つ。その人がジャッジされる側であることを受け入れきっているように思われて、反発してしまう。あなたがジャッジする側でもいいだろう、と言いたくなる。そんなに何もかも上手じゃなくったっていいだろうと、そう言いたくてたまらなくなる。

 私は彼女を見る。彼女にだけ気遣いというリソースを支払わせているのは誰か。社会とか、同席者の属性とか、そういうのではないのか。私が彼女より技能を発揮せず同席してのんきにしているのはなんらかの搾取に相当するのではないか。私はそのように思う。思うけれども、口では先だって読んだ小説の話をしている。

 私たちは席を立つ。彼女のストールがとても綺麗なので、いいですねと言う。これですかと彼女は言う。歌舞伎町で拾ったんです。そうしてぱっとそれを巻く。黒い服に金糸の布。とてもバランスがいい。服装も、切り返しも。歌舞伎町で拾ったんです、と私はつぶやく。せりふの汎用性が高い、と言う。

 すぐれた思想ですね。歌舞伎町で拾ったんです。すてきな彼氏ですね。歌舞伎町で拾ったんです。私と彼女はそのせりふの汎用性を試しながら夜道を歩く。規を超えない女と歌舞伎町。なかなかいい組み合わせだと私は思う。どちらかというと、歌舞伎町で拾われるようなできごとを経験したほうがいいんじゃないかという気はするけど。

 彼女はぱっと私の腕を取る。ほほう、と私は思う。女同士だからといってむやみにからだに触れる人を私は好きではない。聡明な女たちはそれを察知するのか、私が物理的な接触を許容するほどの親しみを感じたとき、私の手を取る。もちろん取らない人もあるが、女たちの多くは親しみを感じる同性に物理的接触をもちかけるーー私のささやかな経験によれば。それはある種のサインでもある。好意の伝達と確認。

 私は彼女に向かって笑う。彼女も笑う。そのようにして私たちはたがいの許容を確認しあう。最短記録じゃないだろうか、と私は思う。えらく早い。たいていの女性は交友関係がもう少し長期にわたってからそのようにする。そのほうが円滑だし、自然だからだ。実際、彼女の動作にはちょっとぎこちないところがあった。この人にも上手じゃないことはあるんだな、と私は思う。よしよし、と思う。何でも上手だなんて、よくないことだ。

 

追記

この「なんでも上手な女の子」から返信をもらいました。

note.mu

 

基地に戻る

 人が規範を学ぶときにはその境界を目撃しようとする。規範はたいてい暗黙の了解をふくみ、あるいは抽象的にしか言語化されておらず、ときに建前という名の嘘をふくむ。したがって規範の学習には実践が不可欠である。そんなわけでこの二歳児はローテーブルによじのぼっている。テーブルには何も置いていないから問答無用で引きずりおろしはしないが、もちろん、彼は降りるべきである。

 私は彼の名を呼ぶ。強めの口調で「降りよう」と言う。彼はちらと私を見て笑い、テーブルの上で新しいポーズをとる。やってはいけないとわかっていてやるのである。悪い笑顔だなあ、と思う。悪そうな顔もとてもかわいいが、かわいがっている場合ではない。私は子守として規範を遂行しなければならない。すみやかに彼を抱えてテーブルからおろす。

 彼はもちろん泣く。そしてローテーブルに再度よじ登ろうとする。彼は二歳にして主語述語のある文章を口にするが、こうなると言語は通じないし、発することばも単語に戻る。彼の母親、私の友人が買い物から戻ってきて彼の名を呼び、言う。はい、テーブルに乗りたがる子は退場だねえ。これからみんなでごはんなのにねえ。ごめんなさいが言えないうちは戻らせないよ。そう言いながら子をひょいと持ち上げ、子ども部屋に連れていった。

 扉の向こうから、ひゃーん、と彼の泣き声が聞こえる。泣き声にも個性があるなあ、と私は思う。彼はふだん元気なのに、泣くときは急にあわれっぽくなる。彼の母が子を迎えに行く。反省しましたか。ごめんなさいは?

 子どもが戻ってくる。さやかさんにごめんなさいは?母親に促され、彼は私のほうを向く。ものすごく小さな声で、ごめんなさい、と言う。それからテーブルにも同じように言う。テーブルにも言うのか、と私は思う。大人たちのグラスにはビール、彼のコップには麦茶が注がれ、乾杯をする。彼はもう乾杯の何たるかを理解しているようだった。泣いていても数分後にはにこにこして乾杯。さっぱりしている。私もかくありたいものである。

 彼の食事は早い。あるものはぱぱっと食べてしまうし、なんならおかわりを要求する。食べ物で遊ぶことに執着しないのは助かるが、決まった時刻に食べられない場合、憤然と抗議する。食事が出てくるまでぜったいに引かない。腹時計がものすごく正確なのだ。今日は予定どおり食べることができたためか、ご満悦である。

 大人は飲みながらゆっくりしたい。そのために集まるのだ。ときどきかまってもらいに来る彼をてきとうにあやしながら、私たちはおしゃべりをする。彼は生まれてすぐのころからたくさんの大人にあやされている。乳児のころは母親の友人の誰がだっこしても「まあいいか」みたいな顔をしていたし、自我が芽生えつつある今でも人見知りで泣くことはない。しばらく相手を観察し、慣れるとやはり「まあいいか」という感じでお世話をさせてくれる。大人たちはときどき彼を「誰でもいい男」と呼ぶ。もちろんそれは冗談で、正確には「そりゃあ親のほうがいいんだろうけど、他の大人でも許容する姿勢を持っており、子守が助かる幼児」である。

 そんなわけで私も彼の相手をして困難を感じることは少ない。ところが、彼の母親がデザートを出そうと台所に行くと、彼はにわかにそわそわしはじめた。指をしゃぶっている。私は彼を抱きあげ、どうしたの、と訊く。彼はものすごく小さな声で言う。おかあさんがいい。

 珍しいことである。そうか、と私は言う。おかあさん、もうすぐ来るよ、と言う。さみしくなっちゃったかな。おかあさんにだっこしてもらおうか。彼はうなずく。じっとしている。けなげである。彼は何かに耐えており、その忍耐は重要なものであるように感じられる。

 泣きわめいたらまた叱られるからね、と彼の母親は言う。そうして私の腕から彼を受け取り、彼が赤ん坊だったころのように、背中をとんとんたたいてやる。そうして言う。ごはん食べる前にやらかしたからだよ。叱られると時間差で甘えたがるの。

 基地に戻るんだね、と私は言う。泣いたりだだをこねたりしているときは、ちょっと前の感じ、今よりもっと小さいときみたいな印象を受けるよ。子どもって、後ずさりして助走してハードルを越えるみたいな感じする。その後ずさりのとき、基地みたいなところに戻る、その基地が養育者って感じがする。

 彼の母親はごく短時間で彼を床におろす。それから言う。子どもだけかねえ、基地に戻るのは。そして基地は養育者だけでもないでしょう。まあね、と私はこたえた。なぜだか少し恥ずかしかった。自分が基地に戻るところを見られたわけでもないのに。