傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

アレルギーかもしれないので

 乾燥ですね。医師はそう言い、わたしは、はあ、とはい、の中間くらいの声を出す。それから尋ねる。病気じゃあないでしょうか。アレルギーとか。アレルギーはありえます、と医師は言う。とくに、職場や住居など、よく身を置く環境が変わって皮膚にこういう、乾燥性の疾患が出る方はいます。はあ、とわたしは言う。医師はそれをイエスと取り、淡々と説明を繰り出す。あなたの場合、ハウスダストの数値もそこそこ高いですからね。新しい環境の塵、埃、肌につくものに注意してください。保湿剤を出しておきます。

 まあねえ、と医師はつぶやいた。こういうのは、確定はあまりしませんよ。ご本人もひどくならなければ深く追求しない。保湿しておけばとりあえずマシになる。服に隠れて見えない場所だとみなさん「とりあえずようすを見ます」で済ませちゃいます。ええ、それでいいんです。はい、おだいじに。

 彼はその話を聞き、薬、塗ってあげようか、と言う。わたしは笑って断る。いいよ、お母さんじゃあるまいし。あなたのお母さんをやった覚えはないけどなあ、と彼は言い、わたしのグラスに水を足す。ほら、とわたしは思う。この男は、人が水を飲むタイミングまで、ほとんど無意識にはかっている。

 お母さん、というのは、わたしが意識的についた嘘のような比喩だ。この男の世話焼きは親の子に対するようなものではない。もっとよくないものだ。彼は自分と居るときに相手が不快に感じること、不便に感じることをスキャンし、ひとつひとつを丁寧に取り除く。空腹。寒さ。のどの乾き。言われたくないせりふ。不快に感じる音。

 やさしいからそうするのではない。この男は餌づけをしているのだ。わたしは知っている。そうやってゆっくりと手なづけた女がいつのまにか自分を必需品にすることが、この男の趣味だということを。自分に会えないと泣いて悲しむ女をどれだけ増やせるか。気が向いたときに呼ぶ相手をどれだけ快適に取り替えることができるか。それがこの男にとって、精神の安寧にかかわる重要な事項だということを。

 この男は「誰かに必要とされなければならない」と、脅迫的に思っている。仕事だけではだめだ。プライベートで、女から必要とされなければ。

 彼は数年前、当時の妻の側からの希望で離婚している。それは彼にとって許せないことだった。信じられないことだった。だから今、彼は女に必要とされなければならない。何度も何度も必要とされなければならない。いつも自分が捨てる側でいなければならない。そのために彼は女たちを湯水のように甘やかす。邪魔にならない程度に自立していて、話が退屈でない程度の気概があり、しかし内面の依存心を引きずりだせそうな女が、彼の好みだ。そういう女に快適さを与え、いい気分にさせ、ほどよいところで取り替える。

 わたしはそれらの事実を、彼と知りあって最初の三ヶ月で理解した。SNSで連絡をとってきた別の女にも会った。彼女は泣いていた。わたしはこの男のことで泣いたことはない。映画を観て泣くことはあっても、この男のために泣くつもりはない。

 わたしはほかの女たちとは違うのだと思っていた。わたしだけがこの男の正体を知っているのだと思っていた。この男の裏をかいて苦痛を与えられることなく楽しみだけを享受しているのだと思っていた。わたしだけがこの男の薄汚く弱い精神の構造を把握しているのだと思っていた。その優越感はとても、いいものだった。とても気持ちがよかった。だから半年も続けた。

 アレルギーってね、とわたしは言う。原因になる物質の摂取が積み重なって発症するんだって。その量は人によってちがうの。わたし、きっとなにかを摂取しすぎたんだと思うの。なんだろうね。

 彼は家を見渡す。塵や埃は彼の留守の間にロボット掃除機が吸いこみ、空気清浄機によって除去されている。わたしはにっこり笑い、彼の額にくちづける。それから言う。コンビニ行ってくる。

 コンビニエンスストアを通りすぎ、駅に着く。もともとあの男の家にはなにも置いていない。置くとほかの女が来たときに隠すのがたいへんだろうと思って気を遣ってあげたのだ。わたしもそれなりに彼を甘やかしていたのだ。そうして少しずつ、塵や埃のような何かを吸いつづけた。たぶん。

 ホームで電車を待ちながら彼のすべての連絡先を拒絶する設定をする。終電が近く、人々は華やいで、どこか倦んでいる。今このタイミングで彼とのかかわりをなくすつもりはなかった。けれども、玄関を出たその瞬間に「帰ろう」と思った。そうして駅に着いたころには二度と会う気がなくなっていた。

まず、ストレスを与えます

 そうしてそれを解消します。あたかもその人が「自分で解消させた」かのように。

 私はちょっと困惑し、一秒後にはすっかり感心して、口を半開きにしたまま、彼女のせりふの続きを待っていた。それから気づいた。あ、今のもですか。彼女はうっそりとほほえんでこたえた。ええ。いちばん短く体験していただきました。実際のゲームづくりではその感覚を螺旋状に配置してときどきどこかに穴をあけておきます。

 初対面で「ひきこもりです」というので、おうちで何をしているのかと訊いたら、ゲームを作っているのだという。

 スマホのゲームです。詳しくは言えないんですけど。ほとんどひとりでやってます。会社つくったからオフィス借りようかなって思ってシェアオフィス見に行ったらなんかみんな明るくて前向きで休日にバーベキューとか誘われそうでいやだなって思ってやめました。ゲーム関係の小さい会社ばかり入っているって聞いたから行ったのに。わたし、小さいころからゲームに逃げるしかなかった正統派のオタクなんで、目も合わせられないようなコミュ障が寄り集まって朝から晩までひとことも口をきかない殺伐としたシェアオフィスを期待してたんですよ。それがなんですか、どうしてイケメンが出てくるの。どうしてこだわりのコーヒー豆を手挽きしてにこやかに客に出すの。まじ無理だなって思って、だから、自分ひとりでオフィス構えられるまでは、仕事は、家でしようと思って。

 それでひきこもりだというのだった。たしかに、ひきこもってはいる。ただ、ずっと働いている。高校生の時分からプログラミングで食べる目処をつけ、いちおう行ってみた大学は二ヶ月で辞め、二度転職してちいさな会社をつくり、「えっと、それなりに、当ててる感じ」なのだそうだ。以前から独立したかったのかといえばとくにそうでもなく、「なんとなく」だという。

 報われる努力って、嗜好品じゃないですか。彼女はゆったりと、やさしい声で言う。

 贅沢な嗜好品、それも依存性の。わたしは、それを人にあげるのが、得意なの。ねえ、マキノさん、努力して、努力しただけ報われたことって、ありますか?あるなら初期値が高いんです。少なくともその分野に関しては。努力は高い初期値を高めるか、たいして高めないか、その程度のものです。線形に報われる努力って、ダイエットとか筋トレとか、それくらいしか、ないじゃないですか。しかもすぐ天井にぶつかる。それにハマれる人ばかりじゃない。だって、すぐに報われないもの。身体にも才能はあって、その初期値の低さがわたしたちをいらだたせる。無理をすればそれこそ倍返しです。身体は気むずかしい。わたしのほうが身体の機嫌をとってやらなきゃいけない。

 機嫌はとるよりとられたいでしょ。すぐに報われたいでしょ、毎日ちょっと気持ちよくなりたいでしょう。この世でいちばん強い麻薬は達成感です。でもわたしたちはめったに達成なんかさせてもらえない。わたしは、それをあげるの。手間暇かけず、お手元のスマホにお届けするの。最初はただで。せいぜい数百円で。ええ、もっと払いたい人もね、うふふ、いっぱいいますよ。いいじゃないですか。大人の趣味の範囲です。

 この世の苦痛に意味はないんです。神さまがお与えになったという人はいるけど、わたしには、神さまがいない。わたしは交通事故で鎖骨を折ったことがありますけど、もちろんその痛みに意味はなかった。病気にも意味はない。愛されないことにも意味はない。認められないことにも意味はない。わたしたちはただ意味もなく苦しむんです。

 でも、ゲームはそうじゃない。まず、ストレスが与えられます。ちいさな、適度な苦痛がある。それからそれは解消されます。電子データのご褒美つきで。でもほんとうにみんながほしいのはグラフィックや数字で出てくるご褒美じゃあないの。「自分であのストレスを解決した」という感覚なの。

 ねえ、マキノさん、わたしはほんとうにゲームが好きでした。正しく報われる努力、意味のある適度なストレス、無力じゃないわたし。

 ご自分の作っているゲームは好きですか。私が尋ねると彼女はほほえみ、愛着があるという意味では好きですが、とつぶやき、それから、首を横に振る。ゲームとして好きかといえば、わたしを気持ちよくしてくれるかといえば、答えはノーです。あのね、マキノさん。不安になりすぎない程度に想定の範囲内で、でも予測をすこし外れるのが、いちばん気持ちいいんです。だから自分で作ったものだと、そこまで気持ちよくなれないんです。

無駄のない生活

 の生活には無駄がない。

 朝は五時に起きる。ごく軽いストレッチと筋力トレーニングを済ませ、シャワーを浴び身支度をして部屋を出る。僕の住んでいるマンションでは二十四時間ゴミ出しを受け付けてくれるけれど、その恩恵にあずかっているのは僕というより、二週間に一度頼んでいる掃除の業者だ。

 電車に乗り、電車を降り、歩き、六時半にデスクに着く。当然ながら誰も居ない。駅から会社までの道のりにあるコンビニエンスストアで食事を仕入れ仕事をしながら胃に入れる。昼食と間食と一日分の飲み物もあるから、コンビニエンスストアの袋はけっこうな大きさになる。それをデスクの足下に置き、仕事をしながら消費する。

 するべきことはいくらでもある。自分自身の作業をしながら人を管理しているのだから、のんきに定時に来る人間は何をしているのか不思議だ。自分の担当する作業のクオリティは高く保つ。部下は必ず何か間違っている。それを見つける。直す。指示を出す。説諭する。

 そうこうするうちに人がやってくる。僕のもっとも生産的な時間が終わる。挨拶をしなければならないからだ。おはようございます。おはようございます。お疲れさまです。今日も冷えますね。あっという間に年末ですね。先週は二次会まで行かれたんですか。

 僕は話しかけるべき人間に話しかけ、話しかける必要のない人間には話しかけない。何か言われればなるべく早く終わるよう返事をする。すなわち、適度に愛想よく、穏当に、相手が早々に満足するように。話しかける必要のある人間は言うまでもなく、上長と直接の部下と業務上の依頼をする相手だ。

 視界の端を気味の悪い女が横切った。近ごろ僕と同じ規模のチームを率いるようになった女。向こうが僕を嫌っているのは露骨に顔に出てるからわかるけど、僕は嫌いというより気持ち悪い。足が大量にある虫とかに対する感覚に近い。普通いやだろ、そんなのが職場にうろうろしてたら。

 ほかにも嫌いな人間は何人かいる。そいつらが視界に入らないように配置を変更するには僕がこのフロアを取り仕切るしかない。上長はいつ引退するんだろう。そろそろ世代交代して僕あたりを上に持ってくるのが正しい判断だろう。実際、僕は例外的にいろいろ兼務しているのだし。

 僕はいつも笑顔だ。感じのいい笑顔、と元妻が言っていた。誰にとっても感じのいい、汎用的な、無感情の、笑顔。あなたそれ何種類持ってるの。一ダースはあるわよねえ。上手に使い分けるものよねえ。あのね、あなた、人はねえ、楽しいときに笑うの。忘れちゃったのかもしれないけど、楽しいときに笑ってたことだって、あなたには、あった。あったの。わたし、一緒に笑ってた。ねえ。聞いて。わたしの話を聞いて。

 僕は首を傾ける。頭をゆっくりと左斜め後ろに傾けると思考の中からよぶんなものが落ちて頭の中から落ちていくしくみになっている。そういうシステムは訓練でつくりあげることができる。だって、自分の頭の中なのだから。条件反射を何度も何度も繰りかえせばスイッチひとつで効率的に、頭の中も片づけることができる。物理的なゴミとちがって出す手間もない。誰かに燃やしてもらう必要もない。

 社屋が閉じる時間が迫る。僕は会社を出る。往路で使用するコンビニエンスストアとは道路をはさんで反対側の、別のチェーンのコンビニエンスストアに寄る。空腹であるような気がするときにはたいてい蛋白質が足りていないので、そのようなものを買う(野菜は昼食で過剰なまでに摂っている)。イートインコーナーで食べる。食べないこともある。いい年して三食も要らないだろうと思う。

 コンビニエンスストアを出る。路地に入る。誰かが通っているところをおよそ見たことのない路地だ。夜のコンビニエンスストアで必ず買うのは水と蒸留酒の小瓶だ。僕はまず安定剤を取り出す。ポケットから片手で個包装からぷちりと取り出すほどに慣れている。僕は安定したいんじゃない。もともと安定している。これ以上ないくらい安定している。安定剤は仕事モードの頭を「落とす」ためのものだ。効率の良い睡眠のためには徒歩を含めて四十分の通勤時間を無駄にするわけにはいかない。睡眠のスターターは安定剤と蒸留酒の小瓶およそ半分。摂取に必要な時間は五分。電車に乗る。最寄りの駅に着く。こちらにも「いつもの路地」がある。睡眠薬蒸留酒の残り半分を投下する。八分後には自室だ。時刻は午前零時近く。清潔を保つための夜のルーティンを終えるとベッドまでの距離を無限に感じる。今日も、と僕は思う。今日も無駄のない一日だった。

親になったらわかること

 親になったらわかるって、言われるんですけど。若い部下が言う。彼は名を山田といい、たいへん優秀であって、しかしかなり繊細であり、私はよく彼の悩みごとなどを聞く。夜の、人のすくなくなったオフィスで、なんとなく開始した休憩の途中、複雑な家庭の事情を話して、そうして、山田さんは言う。親になったらわかるって、でも、今、わからないし、わかりたくないんです。

 職場の上司に言ってどうなるものでもないと、山田さんだってきっとわかっている。けれども言わないよりは言うほうがいい。たとえ聞いている私がぼんくらで、そのうえ親になったことがなく、総じてたいしたことが言えないにしても。

 私はぼそぼそとこたえる。親になるならないという問題ではないと思います。山田さんのご両親のおっしゃっていることは理不尽だと私は思います。そのようなご家庭は出て差し支えないのです。私はそう思います。山田さんがご両親に申し訳ないと思う必要はないと思います。

 「私はそう思います」が頻出するのは、私がこの種の問題に対して「立場が弱い」と感じているからだ。私は、親になったことがない。おそらく死ぬまでならない。二十代のうちに人生のもろもろを勘案し、子を持つのは自分には無理だなと思って、その選択肢を捨てた。その選択に後悔はない。ないけれども、子を持つ親である人が「親でなければわからない」といったとき、それがたとえ理不尽な内容だとしても、他の問題より反論する声が小さくなってしまう。

 子を産み育てることについて意見を持つことは誰でもしてよい。それに対して、内容に反論するのではなく、「産んでもいないくせに」「育ててもいないくせに」と非難して口を塞ぐ、この行為にはなんの正当性もない。出産も子育ても個別具体的なことで、経験しなければわからないこともあるだろうけれども、経験した者がみな同じことを感じるのでもない。まして「親になってもいないのだから○○をしろ」という物言いには一グラムの妥当性もない。言うなれば「働いたこともないくせに」と同じくらいむちゃくちゃな物言いだ。働いたことのない人間が労働について考えそれを口にして何が悪いのか。私は大学生の時分、たとえばアルバイト先のタイムカードの不正について指摘し、「アルバイトしかしたことのない、社会経験のない学生のくせに」と返ってきたら、平気で反論していた。

 そのような私であるのに、こと「産んだことがない」「育てたことがない」については、同じようにできない。この話題についてばかりは、世間という茫漠としたお化けの発する重苦しい諸々が、私のようなのんきでずうずうしい人間にもそれなりの効力をおよぼしているようだった。「親になってもいないくせに」と言われると、ほかのことでいつもそうしているように理屈を振りかざして応戦する元気が、どうにも湧いて出てこない。

 親になったらわかることはひとつですよ。すこし離れた席から声がして、私たちはそちらを見る。フルタイム復帰を果たした、三歳の子の母親だ。彼女は自分のコーヒーをいれ、それから私と若い部下の双方の肩を、ぽんとたたいた。彼女は私より年若く、私の部下であるけれど、ときどき保護者のようにふるまう。私はそれを、好きだ。彼女は言った。

 親になったらわかったの。わたしの親はわたしに感謝するといい、って。わたしの子じゃないですよ、わたしの親が、わたしに感謝すべきだなって。わたし、こんなに大きくなって、生きてて、元気で、だから、わたしの親は、わたしに感謝しているはずだ、って。孫の顔?それはね、両親とも、孫の顔を見られて、もちろんよろこんでますけど、湯水のようによろこんでますけど、それにわたしの仕事の成果も褒めちぎってくれますけど、そんなのは、おまけですよ、おまけ。

 ねえ、山田さん、マキノさん、わたし、親になったらよくわかりました。まっとうな親なら子が生まれてきただけで完全に報われるのだし、生きて大きくなってくれたら、あとはもう、なんだって、かまわないの。幸せでいてくれたら、毎日毎日、うれしくて楽しくてしかたないの。だからわたしは親孝行なの。わたしの子も。

 彼女は私の顔を見て、ついでのように言いそえた。あのね、わたしは、親になったから、誰にも非難されずに、こんな主張ができます。でもそれはほんとうはおかしいの。子がなくたって、子は生まれてくるだけでOKなんだって言えなければおかしいでしょう。でも今はとやかく言ううるさいやつらがいる。だからわたし、なるべく積極的に、あっちこっちで、そう言って回りますね。マキノさんのぶんまで。

私の職場の亡霊の話

 帰ったふりしてオフィスにいちゃだめ。仕事の持ち帰りも禁止。社外でのメールチェックも控えるように。あと有給、最低でも三割は消化して。言うこと聞いてくれないと、僕、泣いちゃう。

 上長がそう言った。私が言われたのではない。私は頼まれなくても有給休暇の消化率がきわめて高い。必要なら徹夜もするけど、必要なければ定時で帰る。明日やれることは明日やりゃあいいと思っている。忙しくなれば行き帰りの電車でも業務メールを読むけれど、それすら不承不承だ。通勤中には仕事の役に立たない小説とかを読むのが正常だと思っている。業務上ほんとうに時間外の対応が必要なら携帯電話が鳴る。滅多に鳴らないけれども、鳴ったら対処すればいいので、自分から時間外に何かをする必要はない。そう思っている。

 私の職場と立場では、私のような働きかたはやや極端だけれど、むちゃくちゃではない。みんなそれなりに休みながら働いている。けれども、ただひとりだけ、誰より早く来て誰より遅く帰り、帰宅後の深夜三時に業務メールを出しても一瞬で返信が来るような働きかたをしている人がいる。工藤さんという。

 上長はほんとうに泣きそうな顔をして、工藤さんに休め休めと言い続けた。工藤さんはあいまいに笑っていた。工藤さんは昔の俳優のような顔をしていて最初はみんな「かっこいい」と言う。そうしてそれから彼を話題にしなくなる。新しい社員が入るたび、男女を問わず、判で捺したようにそのような態度の変容が見られる。それで一度、親しい後輩に尋ねてみたことがある。最初は工藤さんに好感を持っていたのに、どうして、なんていうか、こう、どうでもいい感じになったの。

 彼女は両手をひらいて、首を横に振った。実はわかっているでしょう、マキノさん。あの人の仕事は、アルコールにおぼれている人にとってのお酒と同じです。もう美味しくない。もう飲みたくもない。でも飲んでしまう。存在の中心に大きな空洞があいていて、そこに何かを詰め続けずにはいられないの。工藤さんは仕事熱心なんかじゃない、仕事に依存しているんです。わたしは、自分の仕事、好きです。その仕事を人生からの逃避のために濫用している人間なんか軽蔑して当たり前じゃないですか。あの人はね、きっと、この仕事、嫌いですよ。苦痛でしかたなくて、でもやりつづけて、何かから逃げているんですよ。

 工藤さんはいつも会社にいる。私の担当していた業務で滅多にないトラブルが起きて、ぜったいに誰もいないと確信して出社した三年前の一月二日の、しかも始発出勤の時間帯にさえ、いた。工藤さんは一心不乱に見えるのにどこか茫洋とした気配を感じさせ、年に一度くらい、突然、悲鳴じみた声で部下を叱る。私は、工藤さんを好きじゃない。できるだけ口を利きたくない。工藤さんのほうも業務連絡以外、私に話しかけることはない。飲み会にももちろん来ない。会社の公式の歓送迎会と忘年会にだけは来る。そうして水みたいな速度で酒を飲む。ふだんは一滴も飲まないのだという。

 そのときだけ私は彼と世間話をする。そのときだけはいつもの茫洋とした不吉な雰囲気がなくなり、まるで私の職場の仲間みたいに見えるからだ。いや、そっちがほんとなんだけど、近い部署で似た立場にいる同僚なんだけど、でも、いつもは、そんなじゃなくって、会社にいる亡霊みたいに見えるのだ。

 今年も一年お疲れさまでした、と工藤さんが言う。あいさつみたいに仕事の話をする。それから私は尋ねる。最近楽しかったことはなんですか、仕事以外で。楽しかったこと、と工藤さんはつぶやく。目がすうと据わり、礼儀正しい小学生のような口調になって、彼はこたえた。駅から帰宅する道をすこし遠廻りに変えました。景色が変わったので楽しいと思いました。

 それから彼はグラスをあけ、私が質問をする前の、宴会中の社会人にふさわしい顔に戻って、仕事の話をした。私はほかの人に呼ばれたふりをして工藤さんの前の席から離れた。私は恐ろしかった。人間が人生を置き去りにする方法はいくらでもあるんだと思った。薬物に溺れたり誰かを殴ったりしなくても、世間での体裁のいい「仕事熱心」という皮をかぶりながら、あんなふうに、毎日毎日自分の中身を浚って捨てているみたいに、からっぽになることができるんだ、と思った。もしかしたら最初は、何かとてもつらいことがあって、そこから逃げるために仕事にのめりこんだのかもしれない。でも今は、何から逃れているのかなんて、彼自身にも、きっともう、わかっていない。そんな気がした。かなしくて怖かった。

心めあて

 忙しいのに来てくれてありがとうと僕は言う。それから、どうしてと訊く。こんな時間に来てもらうなんてあきらかに僕のわがままだよね。どうしてそんなに甘やかしてくれるの。

 僕はそのようなせりふを、できるだけ軽く発する。あなたに気に入られようと思って、と彼女はこたえる。まるで恋する乙女ですねと僕は言う。そんなにいいもんじゃないよと相手は言う。あなたがわたしを気に入ってわたしのいいように動くようになったら楽しいでしょう?だからよ。

 僕は彼女に笑いかける。彼女も僕に笑いかける。僕は彼女の余裕めかした表情を見て満足する。わたし余裕ですから、という顔をことさらにつくってみせる人間にはたいてい余裕がない。

 余裕のある女を、僕は好きだ。力量があり、自分のスタイルがあり、トラブルが起きても膝をつかずにバランスを取り戻すような強靱さをそなえた、大人の女が。三十過ぎてはや数年、同世代の男どもはみんな若い女がいいって言うけど、僕はあんな見るからに不安定な生き物を攻略するゲームには興味が持てない。簡単すぎるだろ、いくらなんでも。まあ、セクシャルな意味でも三十じゃまだ若すぎると感じるような嗜好なんだけどね。このあいだの007だってモニカ・ベルッチがエロすぎてもうひとりのボンドガールのことあんまり覚えてねえや。

 こんな話をしておいてなんだけど、僕にとって身体的接触はそこまで重要な問題じゃない。いや、しますけど。いろいろと、こまごまと、おかしなことなんかも、しますけど。でも身体の快楽なんて、色恋沙汰においてはおまけですよ、おまけ。

 僕は心がほしい。僕は声に出さずに彼女に呼びかける。ねえ、きみは過去に何人かの彼氏がいて、もしかすると今もいるかもしれなくて、子どもを持たないと決めていて、子どもができやすい年齢も過ぎていて、だからもう、油断してるんだろ。自立して安定しててこれから誰かに振り回されることなんかないと思ってるんだろ。

 僕はそのような心が、ほしい。強いのに強さが通用しなくなってしまう心がほしい。理不尽に、暴力的に、他者に奪われてしまう、かわいそうな心が見たい。できるだけ間近で、できるだけつぶさに、いろんな角度から、見たい。もう誰にも振り回されることはないとたかをくくっているきみの心が僕のためにぐらついて崩れるところが見たい。みじめに潰れてぐずぐずに腐ってだめになるところが見たい。

 どれだけきみがすばらしい大人になったからって、どんなにたくさんの宝物を持っていたって、突然、はだかの心を持って行かれることは、あるんだよ。きみの鎧の隙間なんか見え見えだ。いまきみは、僕がきみを好きだと思って、ちょっといい気分になってる。悪くない男だからちょっと相手をしてやってるんだと思ってる。でもそれは長くは続かない。きみはしだいに僕のわがままを聞くようになる。今日みたいに。そのうちきみは僕の連絡がないと苛々するようになる。自分からは意地でも会いたいと言わないままおかしな怒りをためこむようになる。怒ったり泣いたりするようになる。僕のささやかな経験によると、自分のことを強くて自立していると思っている女は、怒りにかられてはじめて「恋する乙女」になっていたことに気づく。

 そうしてある日、彼女たちは怒りを爆発させる。僕はふだん、待ち合わせに遅れたりなんかしないし、失礼なことも言わない。ロマンティックなデートをしたり居心地のいい自宅でのひとときを提供したりもする。でも突然、それが止まる。なんだかあいまいな理由で。すると彼女たちは怒る。自分をなんだと思っているのかと問い詰める。この瞬間が最高に素敵なんだ。うっとりしてしまう。きれいだよと言ってあげたくなる。高価な化粧品を上品に使用し統制された表情を保っていた顔がだいなしになって、とてもきれいなんだ。

 おあいにくさま。僕が連絡しなくなってもぜんぜん反応がないのでご機嫌伺いをすると、彼女はそう言った。あなた、からだ目当てならぬ、心めあての人でしょう。あのねえ、実は、わたしも、そうなのよねえ。あなたの手口って、わたしとそっくり。僕は棒を飲んだような気分になり、それから、精一杯の見栄のために、嘘をついた。何を言っているのかな、僕はからだ目当ての遊び人ですよ。

 彼女はうふふと笑う。そうして、嘘でしょう、嘘ってばれてることも、半ばわかっているのでしょう、と指摘する。ねえ、わたしたちがどうしてそんなに他人の心がほしいのかって言ったら、わたしたちが他人に心を奪われたことがないからなのよ。そうじゃない?

夢の腐敗

 わたし、夢がないんです。彼女はため息をついてそう言った。そうですかと私はこたえた。それは夜に見る夢ではなく、「きりんになりたい」とか「マラソンでサブスリーを達成したい」とか、そういう夢でもなく、「将来就きたい具体的な職業がない」という意味にちがいないのだった。どうして夢イコール職業なのかわからないけれども、若者が夢といえばだいたい職業のことだ。

 将来の夢って、持ったこと、なくて。彼女は小さい声で言う。まるでそれが恥ずかしいことみたいに。私は説得を開始する。あのね、私は思うんだけど、夢がなくちゃいけないっていう根拠のない伝染病の源は少年マンガですよ。ワンピースとか。「海賊王に俺はなる」、これが偉いんだ、これが主人公なんだという刷り込み。実によろしくない。唯一の道だとか天職だとか、そんなものが都合良く全員に与えられるはずがないでしょう。ルフィが悪い。「海賊王に俺はなる」が悪い。あなたは悪くない。

 彼女はずいぶんと笑い、私はすこし笑う。彼女は話す。ピアノばかり弾いていて音大に行った友だちがいて、ほんとうにうらやましいです。彼女には彼女の「海賊王」があるんです。専業演奏家として食べていくことは難しそうだと、ほんとうに悔しそうに言うんですけど、わたしはそれすら、うらやましい。歯ぎしりをしてあきらめる夢がほしいんです。

 夢はね、と私は言う。あなたの言うような天職を追うみたいな夢はね、腐ることもありますよ。私の知人にも、あなたのお友だちみたいに、もうこれしかないというくらいのめりこんだものがあって、才能も認められていた人がいたの。海が好きで、海洋系の学部に進学して、学生時代から仕事として海に潜って、卒業後は南の島に移住した。みんな彼をうらやましがっていた。美しい夢を追い、美しくそれをかなえ、美しいところに行く、彼を。

 彼は生き生きとその仕事をして、順調にキャリアを重ねて、現地で家庭も持って、経済的にも困っていなかった。でも彼は突然潜るのをやめた。体力が落ちたとか、怪我をしたとか、そういうんじゃないよ。心がなくなったの。海に。

 心がなくなった、と彼女は言った。そう、と私はこたえた。夢がかなったから気が抜けたんじゃない。業界のいやなところが見えたとか、そういうことでもない。ただある日、目が覚めたら、海になんの関心も持てなくなっていた。

 愛って、ときどき、唐突になくなるんだよ。そうして、それがどうしてかなんて本人にもわからないんだよ。私の好きな詩には、「ほかの人が帽子やステッキをなくすみたいに」って書いてあった。これは男女の愛に関する詩の一部だけど、色恋沙汰にかぎったことじゃ、きっと、ない。私たちは理由もなくドラマもなく衝撃もなく、好きでたまらなかったことに無関心になってしまうことがあるの。

 夢はね、と私は言う。これと決めた将来の夢というのは、美しいけれど、生涯つづく情熱の保証書じゃ、ないんです。夢さえあればいろんなことを検討せず突き進める。みんなからも褒めてもらえる。マンガの主人公みたいに。それがうらやましいのはわかる。だけど、それは消えることもあるの。夢がある人もたいへんなんだよ、実は。

 決め手がないまま仕事を探して、迷ったり試したり調べたり少しずつ好きなところを見つけていったりするのは、面倒くさいよね。あんまり格好よくないし。でもそれはそれで悪くないよ。私はずっとそうしてきて、ずっと幸福だよ。私がそう言うと、彼女は「そんなことより」と書いてあるみたいな表情で、尋ねた。その人はどうなったんですか。

 ほんとうのことを、私は言いたくなかった。彼自身がソーシャルメディアで見せつけるように発信している毎夜毎夜の過剰なアルコールと過剰な笑顔と奇矯な行動について、話したくなかった。何人もの女性との、相手への欲望のためというより撮影への欲望のために接触している写真について話したくなかった。そこから容易に推測される彼の荒れた心について、話したくなかった。これまでの話で彼の名は出しておらず、細部もぼかしているから、プライバシーがどうこうという問題ではない。口に出して話をしたら、今まで目で見て考えて消化していた情報を、今度は自分の耳で聞いて、もう一度受け止めなければならない。私はそれが、いやだった。

 私は嘘にならないようにことばを選び、選んでいることをできるだけ悟られないように同時進行で口に出した。海と関係のない仕事を見つけて愉快にやってるみたいだよ。いつもSNSに楽しそうな写真をアップしてる。