傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

堆積する鎧

 お盆の東京は寂しくて好きだ。みんなどこか楽しいところ、美しいところへ行ったのだ、と思う。よかったなあ、と思う。もちろんどこへも行かない人もいる。私もそうだし、これから尋ねる友人もそのひとりだ。

 彼女は夫と娘の三人暮らしだ。お盆のあいだ、夫は娘を連れて彼の故郷に戻っている。夫はねえ、と彼女は言った。わたしが調子悪いときにはあまり家にいないの。自分の仕事と娘の面倒見るのに専念すればいいから楽といえば楽かな、娘はもうそんなに手がかからないし。

 おじゃまします、と私は言う。よろしくお願いします、と彼女が言う。玄関をあけると箱が積み重なっている。シューズクローゼットが少しひらいていて、傾いだ靴がのぞいている。リビングは少しごたついているけれども、ひどく散らかっているというほどではない。子ども部屋も似たような感じだ。問題は寝室である。衣類や書籍、小型の家具、空き箱などが不規則に詰め込まれ、文字どおり足の踏み場がない。ベッドの上、枕のあるべき位置には横倒しの電気スタンドと子どもの靴下、それになぜか、きれいな空き瓶があった。

 彼女のすみかがこのようになるのは八年ぶり五回目である。結婚前はすみか全体が、結婚後は寝室と台所が、なぜだかカオスに飲みこまれる。いつもではない。いつもはふつうだ。調子を崩すとあっというまにものが増え、混沌を形成する。徐々に間遠になりながら繰り返し起きている。前回は産後の育児休暇中だった。

 それが起きたとき、私は彼女の家に行く。私は掃除が得意なのではない。自室の隅の埃は見て見ぬふりをしている。ただ、やたらとものを捨てる。そういう性分なのだ。自宅に不要なものがない、といえば聞こえが良いが、どうかすると必要なものもない。「常時夜逃げ前のような女」などと言われる。他人のものでも許可があればにこにこして捨てる。そんなだから、彼女は私を呼ぶ。

 この靴いいね、と私は言う。彼女はあいまいにうなずく。そしてその靴を履く。どう、と訊くと、足が痛いと応える。私はその靴をゴミ袋に入れる。この靴は底がすり切れているね、捨てる。そう言うと彼女はやはりあいまいにうなずく。私はその靴と似た色とかたちのものを探し、彼女に履かせる。それを繰り返す。

 ゴミはゴミ袋に入れて積み上げる。人によっては資源というのだろうし、彼女の家の場合、ほとんど新品みたいな製品も少なくない。パッケージに入ったままのものさえある。リサイクルしなくては、有効活用される場所もあるだろう、とっておけば使うだろう。そういう考えは、私にはない。そんなことができる状態なら他人に助けを求めない。

 彼女にはゴミ袋に入れるところを見ていてもらい、止めたいときに止めてもらう。どうしようもなく迷ったものはミカン箱ひとつの範囲で迷い続けてもらう。彼女の場合、八年前になかったものがほとんどだから、迷いの範疇は比較的狭くて済む。精神力が落ちるとまずできなくなるのが判断である。だからあまりに具合が悪いさなかには、彼女は私を呼ばない。私のすることは結局のところ判断の強要だと知っているのだ。

 たくさん買ったねえ、と私は言う。たくさん買ったんだねえ、と彼女も言う。寝室で大量のパッケージごみを捨て、書籍を古書店行きの箱に詰め、残す服を決めるためのファッションショーをやっているときだった。すてきな服だねえ、と私は言う。本もたくさんあるねえ。

 捨てるものを詰めた袋や箱が積み上がった寝室で彼女は言う。これはね、わたしの鎧だったものなの。わたしは不安になるとものを買うの。家事がうまくこなせないと家電やキッチン小物や掃除用具を買う、自分の能力が足りないと感じたら育児書やビジネス本を買う、醜くなってしまったと思ったら服や化粧品を買う、そして少し安心する。

 そうか、と私は言う。安心するなら買ったらいいよ。でもあなたは醜くなんかないし、有能だし、家だっていつもはちゃんとしてるよ。わかってる、と彼女は言う。ものを手に入れると安心するけど、でも、これじゃないって、いつも思ってる。気がついたら調子が悪くて、なんだかぼんやりして、ものがたくさんあるとぼんやりしてても苦しくなくて、後ろめたいのにやめられなくなる。もういい年で、自分のパターンもわかってるから、調子が戻ったら買わなくなるんだけど、そうなると溜まったものをどうやって捨てていいかわかんなくなっちゃって。何で繰り返すのかな。いいじゃん、と私は言う。繰り返せばいいじゃん。五年や十年に一回具合が悪くなるなんて、むしろ健康だよ。私だって別の具合の悪くなりかたしてるよ。

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眠り熊クラブ

 寝床を貸している。

 一昨年、ベッドを新調した。一人暮らしのちいさな寝室いっぱいにダブルサイズを置いている。わたしは眠るのに苦労するたちで、何時に就寝しても平日は朝五時に目が覚めてしまう。なんなら休日にも覚めてしまう。そうして仕事でしばしば終電帰り、タクシー帰宅をする。寝不足である。目の下の隈はもはや宿痾、わたしの人相の一部になって長い。快適な睡眠へのあこがれにまかせ、マットレスはもちろん、布団も枕もカバーもいいものを買った。

 そうしたら人が寝に来る。この場合、寝るという語はスリープ以外の意味を含まない。わたしのいない間に来て帰る。そういう人間がふたりいるので、合い鍵を渡し、好きに使ってよいと言ってある。わたしが帰宅すると、他者の気配の残滓だけが残っている。

 ふたりをA、Bとしよう。Aは昼間に来る。当直あけに来てソファで眠る。家に帰ると幼い子が喜んでまとわりついてくるからだという。ふだんろくに眠れないので、当直の日に泊まってくれる実母にすべてをまかせて眠りたい、という。あなたの家はとても静かでよく眠れる、とAは言う。そりゃあ、誰もいないからね、とわたしはこたえる。Aは「ほどよいところで起きられるように」ソファで眠る。わたしのソファは肘おきのついているタイプだ。Aはくるりと背中を丸め、ソファの座面にすっぽりはまりこむようにして眠る。Aは快活でよくしゃべる人間だが、残された気配はうっすらと冷たく、なんとなし清潔なところがある。

 Bは夜に来る。わたしの出張時に来て泊まる。Bは奇妙なくせを持っている。ベッドでまっすぐ横になって眠るのに、無意識のうちに座り、直角の姿勢で朝を迎えるのだという。立ち歩くこともあるらしく、ときどき浴槽にはまった状態で目が覚めたりもするらしい。隙間があると入ってしまうから、安全のため自宅のベッド下は収納で塞ぎ、いくつかの扉に南京錠をつけて眠る。誰かと眠ると気味悪がられることもあって、Bはいつも完全に孤独な睡眠を求めている。でも飽きる、とBは言う。いつも同じところで眠るのはね、飽きる。眠っているあいだ少しだけ意識があるからかな。だからあなたの家はとてもいい。そうかいとわたしはこたえる。Bの残す気配は、触れるとそわそわするような、明るくて不安定な印象を与える。

 わたしはAのように不規則な時間にぱっと眠ってさっと起きるような器用さを持ち合わせていないし、Bのように意識が残っているような眠りかたもしない。わたしの眠りはなかなか訪れず、訪れたときを覚えていないまま早朝を迎えている。夢を見ることもほとんどない。電源が落ちたように眠り、電源を入れられたように起きる。その間は無である。いちいち死んでいるんじゃないかと思うくらいだ。

 どうして他人に寝床を貸すのかといえば、とくに理由はない。ただ、わたしにとってはよい習慣だと思う。定期的に他者の気配があると、なんとなし気分がよい。誰かが始終近くにいるとわずらわしい。それなのに、自分にとっていやではない他人が自分の留守中に自分の部屋で寝ているのは気分が良い。自分で思っているより孤独を好まない人間であるのかもしれない。

 出張の予定が入ると、A・Bと共有しているオンラインのカレンダーに記入する。AとBはわたしの家で眠りたい日に記入する。カレンダーには名称をつける必要があったので、「眠り熊クラブ」とした。わたしたちが冬眠する熊のごとく眠れますように、というていどの意味である。けれども、わたしたちは熊ではない。残念ながら。

  いったい、この世の誰が満足に眠れているのだろうか。そう思う。冬眠する熊のような人はいるのかと思う。中学生の時分に読んだ小説に、人間には放っておくと一日二十四時間ではなく、二十五時間の周期を刻んでしまうエラーが内包されている、と語る少年が出てきた。少年はどうしたことか、みんながうまくごまかしている一時間をどうしてもやりすごすことができない。わたしはその頃からうまく眠れなかったから、はらはらしてページをめくった。するとその少年はあっけなく死んだ。眠れないから死んだのだ。どうしよう、と思った。がんばって死なないようにしよう、と思った。

 結果として、わたしは死ぬほどのエラーを内包していなかった。だからといって苦しくないのではない。相変わらず眠れない。病院に行ったり運動したりしてどうにかごまかしているだけである。わたしはうまく眠れない。AもBもうまく眠れない。だからAとBはわたしの家で少し眠る。わたしはAとBの気配の残された日にいつもより長く眠る。

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生き物を拾う

 少しさみしくなって人を拾った。

 わたしの家は小さな二階建てで、一階は元工場である。若いころに相続して少しリフォームした。ふだんは二階に住んでいる。一階にはピアノがあり、犬がいる。そこでも暮らせないこともない。だからわたしは拾いたい人にこう言う。部屋が余ってるから、来る?そうして人が来ると自分のすみかを一階にうつす。

 わたしは相手が男でも女でも仲良くなりすぎるとかえってさみしくなる。離れたくないように思う相手が稀にいて、二階でずっと一緒にいたこともあるけれど、結局のところふたりの人間はひとつにはなれないので、近くにいるほど別離を感じる。一階と二階に分かれているくらいがいちばん具合が良い。

 同じ家に人がいる。生活の中でなんとなし顔を合わせる。いいな、と思う。わたしは生き物の気配が好きなのだと思う。ずっと犬を飼っているのもそのためだ。和犬の雑種で、小さくはない。小さすぎる生き物は苦手だ。触ると壊れそうだから。

 わたしの犬は日に一度ばかり、わたしの腕や足に軽く歯を当てる。眉間を撫でてやると目を三日月にし、歯の位置をずらして何度か甘噛みする。子犬のようだね、おまえ。わたしはよくそう言う。ひどく落ち着いた犬で、甘噛みさえ静かにする。ほとんど成犬になってから捨てられたのを拾った。

 街で人々を眺めると、みんな居場所があるような顔して行き来している。けれども、行き場のない人もいるのだ、もちろん。わたしは何年かに一度、そういう人を、拾う。拾って家に置く。朝晩口を利く。友人のようであることも恋人のようであることもある。いずれでもないようなこともある。わたしは他人とのかかわりに名前をつける必要を感じない。

 さみしくなると人を拾う。人はやがてわたしの家を出て行く。たまに死ぬ。このあいだ、また拾った。わたしの犬と似ていた。噛み癖のある人間をはじめて見た。そう言うと、そんなに珍しくない、と返ってきた。そうなのだろうか。きみは犬のようだね、とわたしは言った。うちの犬は噛む、怪我をしない程度に。躾のなってない犬、と相手はこたえた。わたしの犬より噛み方がなっていないくせに。だいいち、わたしの犬は、わたししか噛まない。

 わたしの犬は誰が来てもたいてい落ち着いている。おまえはいい子だねとわたしは言う。犬はしっぽをゆらりと振る。わたしの家の近くには大きな川がある。わたしたちは川のそばを歩く。犬は誰がいても気にとめないけれども、散歩をさせるほど気を許すことは少ない(えさは誰がやっても食べる)。今回は同居人が引き綱を取っても機嫌よくついていくので、わたしの運動量が減った。半年ばかりのあいだそのような日々が続いた。それはずっと続くもののように感じられた。珍しいことだ、と思った。けれども、もちろん同居人は一時的な存在にすぎない。いつでも。

 そろそろ自分の家を借りる、と同居人が言う。たいていの人間は一時的にしか住居を喪失しないのだ。残念なことだと思う。そう、とわたしは言う。今度はきみの番、と同居人が言う。なんのことかといえば、わたしと犬にその「自分の家」とやらに来いというのだった。何を言うのかとわたしは思った。わたしが他人の家に行く理由なんかどこにもない。そう言うと同居人はわたしを「公平な関係に耐えられないどうしようもない人間」と指摘して出て行った。公平な関係に耐えられない。わたしは復唱し、犬を撫でた。指を差し出すと犬は申し訳程度に歯を立てた。犬とわたしは公平な関係ではない。もちろん。

 元同居人から連絡があったので、何の用かと尋ねた。それから、用事なんかあったためしがないと気づいた。わたしは誰にも用事なんかない。誰かと継続的にかかわるエクスキューズとしてわたしの家の二階があって、それが相手にとって用なしになれば、わたしには何も残っていないのだった。

 用もなく会いに行くと、なぜだか得意げな顔で待っていた。帰ってきてほしいなら機嫌を取りなよ。そう言った。わたしは人間向けの機嫌の取り方を知らない。誰かの機嫌をとる人生なんかごめんだと思って生きてきた。しかたがないから指を差し出した。犬向けの機嫌のとりかただ。親指の付け根に痛みが走る。犬と同じだとわたしは思う。犬も人間も、わたしを噛む連中は、噛みながらわたしの目を見る。このまま噛み切ることを許されている、その特権を確認している。どうしようかな、とわたしは思う。左手でグラスの中身をぶちまける?にっこり笑ってもっと噛めと言ってやる?

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ミイラ取りの田中さん

 彼に対して田中さんという呼称を使用する人はいない。田中さんは複数いて、彼はもっとも新しく来た人だからだ。下の名前と同じ読みの人もすでにいる。そんなだから、座席表は「田中(浩)」、近しい同僚からの呼び名は「ミーさん」で落ち着いた。ミはミイラのミである。

 田中さんは中途採用、今年度で三年目に入った。というのは表向きのことで、ほんとうは中途ではない。田中さんは採用時二十八歳で、学校を出たばかりだった。履歴書を読むと大学院博士課程満期退学、と書いてある。新卒じゃん、と私の上長は言い、そうですね、と私はこたえた。けれども、私たちの会社では新卒というのはどうやら二十代前半までで、だから田中さんは新卒扱いにしたくないらしいのだった。そんなのどこにも書いてないじゃん、と上長は言い、書いてないですねと私はこたえた。

 採用チームは人事担当ならびに採用対象の所属する予定の部署で組む。私は採用チームで年齢がいちばん下だったから、前例や内規を調べるというような、下っ端らしい仕事をした。田中さんのような新人の前例はなく、内規にも書いていない。だから田中さんは新卒だと私も思う。でもそうはいかないだろうなと思ったとおり、私の上長以外はもごもごとよくわからないことを言い、田中さんは中途採用の扱いになった。そもそも田中さんは年齢を理由に採用ルートから外れるところだった。年齢差別するなら内規にそう書いとけばいいじゃん、と私の上長は言い、まったくですねと私はこたえた。

 田中さんの採用面接はちょっとした見物だった。今まで何をされていたのですか。私の嫌いな役員が侮蔑を隠そうともせず、田中さんに尋ねた。はい、と田中さんは元気にこたえた。ミイラの研究をしていました。ミイラ、と私の上長が言った。ミイラ、と私も言った。ミイラです、と田中さんはこたえた。すごくいい笑顔だった。

 田中さんは外国でミイラを発掘していたから語学ができる。ミイラの分析には数学を使うのだそうで、数字に強い。外国の僻地に行って生きて帰ってくるのが専門だったからいろいろとタフである。たとえば嫌みを言われると「異文化ですね」で済ませる。身体もすこぶる丈夫だが、椎間板ヘルニアだけが悩みだという。発掘なんかするからですよと誰かが言い、まったくですと田中さんはこたえた。

 田中さんはいつも同じような服装をしている。就職するからとはりきってスーツをいくつか買って、そればかり着ているのだという。着るものについて考えるのが面倒であるらしく、私服も制服みたいに数パターンとりそろえて済ませているのだという。ある日の仕事中、田中さんのめがねのレンズがフレームから落ちた。田中さんは落ち着き払ってレンズをフレームにあて、ばんそうこうで止めた。そのまま週末まで仕事をしていた。視界にばんそうこうが入って邪魔でしょう、と訊いてみたら、鼻もずっと視界に入っていて邪魔ですと言った。

 田中さんはあっというまに人気者になった。能力が高い人間が職場で人気になるのはあたりまえだけれども、田中さんの場合は人を否定する雰囲気のないことも人気の要因だと思う。いつもなんとなし愉快そうであって、よく人を褒める。それだけのことだけれど、選んでつきあっているのでもない相手ばかりの会社という場所でそれだけのことができる人はあまりいない。機嫌が悪そうに振る舞うことで相手をコントロールしようとする人もけっこういる。

 田中さんの採用に否定的だった人々のうち、一部はいまだ田中さんを無視している。田中さんは彼らにも元気にあいさつしている。あいさつを無視されて腹が立たないのかと訊いてみたら、あいさつはタダだから腹は立たない、ということだった。田中さんはやたらとコスト意識が高い。精神や感情を使うことはコストだと思っていないのかと訊くと、相手の反応を気にしなければコストにならない、と説明するのだった。反応を気にするのは自分が愛する人間やミイラだけでよいのだという。なんだろう、ミイラの反応って。

 田中さんの入社から二年半、社内には田中さん的な雰囲気が伝染したような人も幾人か出てきた。そのなかには田中さんの採用に不満を述べていた人も含まれている。「ミーさん化」と誰かが言った。ミイラ取りがミイラになる、の反対ですかねえ。私がそうつぶやくと、あなたも人の好き嫌いが激しいねえ、と上長が言った。考え方が合わないからって、同僚に向かってミイラはないでしょう、ミイラは。

何もかもを捨てるための具体的な方法

 なにもかもがいやになった。

 私はもとより性格が暗く、わりとしょっちゅう「ああ何もかもがいやだ」と思う。時間が経つと「やっぱり何もかもがいやなのではない」と思い返す。定期的にそれを繰りかえす。もう飽きるほど繰りかえしているので、鬱々とした気分がやってくると「また君か」と思う。人生は刺激的な冒険であると同時に、平均寿命の半分も過ぎないうちに飽きてしまうルーティンワークでもある。鏡を見れば同じ顔しか出てこない。中身も知れている。そりゃあ、ときどきは「何もかもがいやだ」という気分にもなる。ずっといやになっていないだけ立派なものである。

 そんなときには小屋のことを考える。小屋は伊豆半島の、人がたくさん来ない側にあって、海に流れ込む直前のきれいな川のほとりに建っている。山あいだけれども、人里離れているというほどではない。隣の敷地は畑で、その向こうには人が住んでいる。私はその小屋を使うことができる。小屋は友人のものである。この友人は建築の趣味があって、もうひとつ自分で建てたいから今のはやるというのだ。私はものを持つということがあまり好きではなく、ささやかな小屋といえど所有権などあるとだんだん気が滅入ってくるにちがいないので、名義は友人のままにし、税は私が支払うということで話がついている。

 小屋には毎年遊びに行っているからおおまかなことはわかっている。交通の便はよくないが、舗装道路は通っていて、原付を一台買えば暮らしは成り立つ。固定資産税は五万円程度である。 小屋には水道も電気も通っていないが、徒歩五分の湧水でおいしい水を汲めるし、敷地内にバイオトイレのテントもある。庭で芋など育てるのも良い。風呂は近所の温泉を使用する。洗濯は原付で20分の町に降りてコインランドリーを使う。町にはスーパーマーケットだってある。

 何もかもいやになった私は部屋を見渡す。よし、小屋だ、と思う。この賃貸物件をさっさと解約して出て行くんだ、と思う。キャリーケースにいくらかの衣類と洗面用具を入れる。それから電化製品を吟味する。小屋において、電気は発電器を回したぶんしか手に入らない。インターネットは一日十分とかに制限しなければならない。湯水のように電力を使うMacBook Airは売り飛ばして、書き物用にポメラを買うことにする。

 収納用の衣装箱がひとつ、空のままクローゼットに入っている。それを引っ張りだし、小屋に送るものを詰める。まずは寝袋である。小屋のある伊豆の気候は温暖で、冬も寝袋にはまっていればよく眠れる。私は東京でも暖房なしで暮らしていたことだってあるのだ(なにかにつけ「なくてもどうにかなるんじゃないかな」と無駄なチャレンジをする傾向にある)。冬までに羽布団を買うのも良い、と思う。箱に筆記具といくらかの本を入れる。お守りめいたがらくたを少し入れる。ちょっとした工具を入れる。私には大工の腕がない。けれども、今の家主が「譲ったあともたまに家族で遊びに来たい、ついてはそのときに大工仕事を引き受けよう」という。だから、どうにかなるだろう、と思う。箱は宅配便で送ることにする。

 ごみはどうしよう、と考える。居住が禁じられているわけではないから、住民税と町内会費などを支払えばごみを捨てることができるだろう。小屋周辺の治安はよいが、犯罪がないわけではない。木造小屋に火をかけられたりしたら焼け死ぬ。けれども、東京で交通事故や犯罪被害に遭う可能性とたいして変わらないと思う。どこに住んでいても他者の悪意より自分の不注意で死ぬ可能性のほうがはるかに高い。

 小屋で暮らすために必要な能力はわずかである。電化製品を使わず調理や掃除ができる、むかで程度は踏み殺せる、といった初歩的なサバイバル能力があればじゅうぶんだ。私のサバイバル能力はたいしたことがないので、生活の些事を片付けるだけで労力がかかるだろうし、工夫も必要だろうと思う。好都合だと思う。長いキャンプのような暮らしにおいては、生活の維持がすなわち娯楽である。

 よろしい、問題はない。そう思う。今の家の家具やなにかを処分する方法を検索し、便利屋さんに頼めば数万円でぜんぶ持って行ってくれることを確認する。安心する。あしたになっても何もかもいやなままだったら、仕事も人間関係も住処も捨てて小屋に行って貯金が尽きるまで暮らそう、と決める。私は安心する。それから思う。私には逃れられないものなどないし、捨てられないものなどない。小型のキャリーケースと箱ひとつより多くのものは、ほんとうはなくてもよい。だから、だいじょうぶだ。

結婚の損得

 お母さん、どうしてお父さんと結婚したの。上の子が訊くので、わたしはつくづくと彼女の顔を見た。どちらかというと現実的で早熟な子だと思っていたけれども、まだ十五ではあるのだから、結婚の動機は取り繕ってあげたほうがいいのかな、と思った。つまり、愛していたからだ、とか、そういうふうに。

 でもやめた。彼女はわたしの子である。今年で十五である。クリスマスに白いおひげのサンタクロースがうちに来たのではないと認めてから十年ちかく経っている。嘘をつくことを、わたしはあまりしない。めんどくさいからだ。嘘をついたらその嘘について覚えていて、整合性のとれた発言を心がけなければならない。そんなのめんどくさい。たしか芥川に「彼女は特別に嘘が上手かった。なにしろ今までついた嘘をひとつ残らず覚えているのである」という一節があって、なんというマメな女かと感心した覚えがある。

 そんなわけでわたしは率直に、あなたを妊娠したからだと告げた。子どもができて結婚していないといろいろめんどうな目に遭う傾向にある、それって正しいことじゃないんだけど、それはともかくとして、親、つまり、あなたのおじいちゃんとおばあちゃんもうるさいことだし、結婚したくない理由もあんまりなかったから、した。お父さんは結婚についてとくに意見を持っていなかったし、子ども、いいじゃーん、いえーい、ってかんじだったし。

 そんなのさあ、産まないっていう手もあるじゃん。娘はあっけなくそう指摘した。結婚もそうとう面倒だったでしょ、よくやったよね。まあね、とわたしはこたえた。もちろん別の選択肢もあった。でも結婚して産んだ。なんで、と彼女は質問を重ね、わたしは迷いなくこたえた。なんとなく。

 子を産むのに理由なんかいらない。要る人もいるんだろうけど、わたしには必要なかった。当時二十四歳で、妊婦としては比較的若い部類だったけれども、若いから考えなしだったのではない。今でも考えていない。意図的に子をもうけたわけでもない。ちょっと避妊がめんどくさくなっただけだ。ほほう、と思って、産んだ。痛かった。びっくりした。わたしは公務員で、職をうしなうことはなかったけれども、ずいぶん嫌味も言われたし、キャリアには大きな傷がついた。そんなのを傷にするのはまちがっているけれども、まちがっているからといって修正してもらえるものでもない。

 そんなわけで、いろいろとものすごく痛かった。二度とするか、と思った。でも三年したらすっかり忘れて、また妊娠した。考えないでいると同じことが起きる。それで下の子を産んだ。やっぱり、痛かった。

 なんとなくかあ。娘が言う。なんとなくだよ、とわたしはこたえる。お母さんの人生、九割なんとなくだからねえ。そしてお母さんは理由のないことをよしとしているよ。なぜなら、たいていの理由は本人のために作るもので、本人に必要ないなら、なくったってかまわないからだよ。子どもを産むなんていうのはね、すごく個人的なことなんだから、産まなきゃいけないとか、産んだから良いとか悪いとか、誰かに言われる筋合いはないんだよ。育てかただって、虐待じゃなければいいんだよ。それでできるだけ幸せになれれば、いいんだよ。なんとなく産んでなんとなく一緒に暮らして、わたしは幸せだよ。だからなんとなくしたことはみんなよかったんだって思うよ。手作り料理を欠かさず家を隅々まで磨き上げるみたいな、誰かの理想の母親でなくても。

 そう、と娘は言う。そう、とわたしは言う。わたし将来、結婚しないと思う。娘が言う。そうかい、とわたしはこたえる。そういえば、来年になればもう結婚できる年齢だものねえ。ありえない、と娘は言う。そうかい、とわたしはこたえる。だって、ぜったい、損する。娘がぼそりとこぼし、わたしはてきとうな相槌をうつ。

 お母さん、損したって思ったことないの。娘の声がちょっと大きくなったので、わたしは娘を見る。娘はわたしに背を向けて冷蔵庫を覗いている。夜食を取りに来たついでに訊かれるほどわたしの結婚は軽い。いい子に育ったなあと思う。誰だ、こんないい子をつくったのは。わたしか。わたし、すごいな。あ、夫もか。

 得した。わたしは言う。なんにも考えてなかったわりに、えらい得した。けれどもそれは、わたしがたまたまもらった幸運にすぎない。「結婚」の利得じゃないし、「出産」の利得でもない。だから心配いらないよ。お母さんとちがうことしてもいいし、しなくてもいいんだよ。お母さんの幸せはお母さんのもの、あなたの幸せは、あなたのものだよ。

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居候になればよかった

 半月後に職がなくなることが確定した。

 新卒で就職したころ、ひどく景気が悪かった。いくぶん回復してきた時分に転職を決めた。内定をもらって退職の手続きを取ったところで、転職先から内定を取り消された。

 その足で転職エージェントを訪ねた。エージェントのオフィスを出ると、やけに空腹を感じた。戦前から営業しているような定食屋に入り、かつ丼をむしゃむしゃ食べた。食べながら親しい幾人かに連絡すると、うちひとりから、仕事帰りに落ち合おうという返信が来た。どこへ行くのかと思ったら東京湾の隅に連れて行かれた。海に向かって叫ぶとよい、と勧められた。まあ騙されたと思って、と言われて、した。けっこうすっきりした。むかついたねと友人は言った。でも、死にやしないよ。そうだねと私はこたえた。これくらいじゃ死にやしないね。

 私の失業の一報を受けて連絡してきた人々はあきらかにおもしろがっており、私もだんだん、ちょっとおもしろいような気がしてきた。葬式みたいな顔してたって何も動かないよな、と思った。やけになっていたのかもしれない。

 蓄えはたいしてなかった。家賃の安い部屋を探して引っ越すべきか、というようなことを友人知人に話すと、うちに来ればいいじゃん、と言う者が幾人かあった。住みこみで赤子の世話をしてほしい、だとか、ごはん作ってくれるなら半年はOK、だとか。田舎の空き家を貸そうという人もあった。

 私は晴れやかに礼を言い、リストを作成した。預金や社会保障のあとに、いざとなったら泊めてくれるという人々、食べ物をくれるという人々、海に向かって叫ぶ提案をしてくれた人などを書き込んだ。失業くらいのピンチなら他人の同情でしのげそうな気がして、自分の資産に感心した。それまで気がつかなかったけれども、私は経済的価値のない「資産」をけっこう持っているようなのだった。

 結局のところ、辞める手続きをした職場の籍がなくなる三日前に次の職が決まったので、経済的なダメージはなかった。なんなら有給消化中に行くつもりだった旅行の費用が浮いた。浮いたぶんは私の失業に同情していろいろの提案をしてくれた人たちに食べ物や菓子や酒を振る舞うのに使った。もしも、と彼らは言った。これから先、同じことが起きても、どうにかなるよ、うちに来たらいいよ。

 そのとき私のしたことは、要するにただの転職である。けれども、あの半月間は私の、カネにならない資産を可視化した。もちろんそれはそのときだけのもので、貯めておくことのできない資産だから、今はあるかもわからない。失業騒ぎから何年かして、私は彼らに問いかけた。何かあったとき私にしてほしいことはある?彼らはそれぞれの要望を言った。自分にできることがあったから、私は安心した。

 自分ひとりで生きられないときには人の同情や好意を使用するのが正しい。なければ公の制度を使用するのが正しい。けれども、人の世話になるくらいなら死ぬという人もなかにはいて、ひとり、ほんとうに死んだ。

 仕事やめたんだ、と告げられたので、そうかそうかと私はこたえた。スマートフォンの向こうから、借り上げ社宅を出るのが月末で、とちいさい声が聞こえ、そうかそうかと、私はこたえた。うちに来たらいいよ。

 そんなわけにはいかない。スマートフォンの向こうの声はそのように言って、すこし笑った。じゃあ、と私は幾人かの名を挙げた。みんな、きみを住まわせてくれるよ、連絡した?

 その質問への返答は避けられた。スマートフォンからはただひっそりと笑いの気配が伝えられた。消える予告のような気配だった。それから声が聞こえた。とりあえず田舎に帰る。とりあえず生家に帰るという、よくある選択肢が、その人にとってはひどく良くないことだと、私にはわかっていた。うちに来ればいいと思った。

 でも来なかった。私の部屋だけでなく、誰の部屋にも来なかった。どこへも行かずに、生まれた家で死んだ。死者のスマートフォンを見た死者の姉が上京して生前連絡していた十人ばかりを訪ね歩いた。私のところにも来た。彼女は死者とそっくりにちいさく笑って、言った。どうしてあの子は、マキノさんの家に行かなかったんでしょうね。

 そんなのはわかりきったことだ。私は思う。死者は私たちの誰の世話にもなりたくなかった。そういう人だったのだ。他人の同情を買って居候していると後ろ指を指されるくらいなら生きていたくなかった人。同情もさせてもらえなかった側の人間がどれほど苦しむか、想像してもくれなかった人。冷たい人だ、と思う。私はきみのようにならない、と思う。自分で自分を支えられなくなったら他人の同情につけこんで居候して暮らそうと思う。