傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

夏の子ども

 巨大で清潔で管理された水たまりに行った。凶暴な日差しが濃い影を作る水辺、といったら楽しそうだが、なにしろ膝までしかない水たまりなので、それだけあっても楽しいものではない。幼児を解き放って水遊びさせるための設備だ。プールより手数をかけず安全に子どもを水につけておける。家庭用のビニールプールのものすごく大きいバージョンと思えばだいたい合っている。都市のマンションにはなかなか置けないから、代わりに公共のビニールプール的なものがあるのだろう。保護者たちがなぜそんなにも夏の子どもを水につけたいかといえば、彼らが自主的に良い運動をして疲れてすっと眠ってくれるからである。仕事で疲れきって週末も延々幼児の相手をするなんて保たない。

 息子は少し大きいお兄さんたちをちらちら見ながら遊んでいる。彼にとっての「お友だち」はまだ、そこいらにいる子たちである。選択的な友情を知るのはもう少し先だ。小学校あたりだろう。小学生にもなれば泳げる子もあるし、年齢二桁に達すれば子どもだけでプールに行ったりもできるだろう。そう思う。遠い、と思う。

 僕の息子はもうすぐ四歳になる。生まれて二年は妻ともども記憶が途切れ途切れだ。いちど大きな病気をしたこともあって、なんだかよくわからないほど大変だったのだ。子どもが生まれる前、仕事して子育てすることを当たり前だと僕は思っていた。自分はそれくらい当たり前にできると思っていた。ぜんぜん当たり前じゃなかった。正直なところ、ゼロ歳からのプロセスをもう一回やる気がしない。妻によると僕は「夜な夜ないかれたミッキーマウスみたいな声で」息子をあやしていたということである。小さい子どもは高い声によく反応するから自然とそうした発声にはなるのだが、そこまでだったろうか。半ばやけになっていたのかもしれない。

 息子はもうすぐ四歳になる。ある程度ことばが通じるから、楽になったと思う。思うが、まだまだ手はかかる。そのうち手がかからなくなることが信じられない。息子はまだ時間の概念があいまいだ。つられたように僕も妻もどこか刹那的に生きている。永遠の四歳弱とその両親。いくつと問えばいつまでも三本指が差し出される気がする。薬指を完全に上げることのできない、不完全な三のジェスチャ。季節は夏だ。水面が輝き、僕は疲れていて、いつでも睡眠不足で、甘ったるいめまいがする。

 子どもが生まれてからというもの、ときどき驚くほど感傷的になってしまう。自分の中の感情がキャパシティを越えている。僕はそんな経験をしたことがなかった。こんなにもいろいろな感情が始終行き来する心であったことはなかった。間欠的に湧く新鮮な驚き、慢性的な疎ましさと多幸感、衝動的な憎しみ、目の前にいないときの開放感と寄る辺なさ。

 思春期も、恋愛しているときも、僕はわりと静かな人間だった。子どもができたってそうだろうと思っていたけれど、なんだかぜんぜん違ってしまった。あなた、二倍くらいになった、と妻は言っていた。体重じゃなくってね、体重はもっと増えていいよ、そうじゃなくって、あなたという人が、わたしが思っていたよりもずっと、豊かだった、なんていうか、月の裏が見えたみたいに、地層の奥があったみたいに。

 息子が戻ってくる。息子は大人のそばで遊んでいるとときどき戻ってきてがばと抱きつき、何をするでもなくそのままぷいと遊びに戻る。その一瞬、息子は頭を僕に押しつけ、僕は息子の背を一度だけぽんとたたく。ぽん、というか、ぼん、というか、けっこう強めに刺激する。寝かしつけのときも強めに背をたたいてやるほうがよく寝る子である。

 子どもが好きだと思ったことはなかった。もうひとり欲しいとも思わなかった。僕はただ、理不尽にこの子だけが好きなのかもしれなかった。偶然に、特別に、排他的に。いいじゃない、と妻は言っていた。今いる息子が可愛いならそれでいいじゃない。よくない、と僕は言った。こんなに入れ替え不可能ではだめなのだ。病気で死ぬかもしれないのに。あした死ぬかもしれないのに。

 僕はそのときの記憶があまりない。妻もよく覚えていないというが、嘘だと思う。僕は大病をした息子のそばにいることに耐えられず、妻にすべてを押しつけて逃げたのだから。たとえそれが数日のことだとしても、覚えていないはずがない。「月の裏」は、「地層の奥」は、そのようにろくでもないものでもあった。

 僕は息子を呼ぶ。そろそろ水を飲ませて帰り支度をさせようと思う。息子が歩いてくる。僕の息子が水を蹴って歩いてくる。季節は夏だ。永遠のような夏だ。

折り返し地点の転倒

 寝苦しいのは冷房のせいだと思っていた。このところの気温の高さで、眠るときにも冷房をつけたままにしているからだ。でもそうではなかった。うとうとし、何度か目が覚め、そのたびに「悪い夢を見ているんだな」と思った。そうして何度目かに認めた。これは現実だ。

 胃のあたりに焼けるような痛み、吐き気、背中を主とする全身のみしみしとした痛み。息をするのも不快で、でもしないわけにはいかない。しかたなく呼吸をする。眉間の少し下、鼻の隆起がはじまるあたりに痺れるような不快感が通る。鼻も口も肺もふだん軽々とこなしている仕事を不承不承やってくれているという感じだ。

 一大決意をして立つ。歩く。「立って歩く」が重労働である。とにかく何もかもが痛いので、買い置きの痛み止めを服用する。この痛み止めを買ったのは十ヶ月ほど前、歯痛に悩まされたときだった。歯痛の原因は未だ不明である。歯科医に駆け込んだが、該当箇所に虫歯も歯周病も見られないまま治ってしまったのだ。その後、一ヶ月ほど前にも強い胃痛があったが、一晩で治った。このたびは一晩で済みそうにないと直感した。

 痛み止めが効いて朝まで眠ることができた。起きると立って歩くことができたので、ぬるま湯と、カップに梅干しを入れて番茶を注いだものをのんだ。胃はそれさえも不服のようだったが、水分と塩分がみるみるうちに身体にしみわたったように感じられた。いつもは朝からごはんをもりもり食べるというのに。

 慎重にシャワーを浴び、慎重に髪を洗い、慎重に乾かした。身体はだいぶ回復したが、ふちまで水の入った壺を運ぶようで、揺らしたら痛みがこぼれそうである。通勤はタクシーですることにした。職住近接最高だなと思った。今日までにどうにかしなければならない作業はなく、出なければならない会議などもなく、すべてを後回しにできるし、退勤も早めにできる。しかも金曜日だ。具合が悪くなるにはうってつけの日である。そんな日があると実感したくはなかったが。

 今晩食事をするはずだった友人に繰り延べをお願いする。すぐにメッセージが返ってきた。もちろんいつでもいいよ、無理しないでくれてありがとう。無理しないでくれてありがとうってすごくいいフレーズだなあと思う。今度使おう、と思う。

 職場の近くのクリニックに向かう。外は酷暑である。目の前は白っぽく現実感が薄いが、汗は流れ落ちてくる。汗が流れるという身体機能が動いていることに少し安堵する。医師の見立ては予想どおり「胃腸が荒れているようだが、詳しくは専門的な検査を受けるべき」というものであった。発熱も三十七度台、自宅静養の範疇である。まあそうだろうな、と思う。こういうのってだいたいすぱっと診断がおりたりはしないんだ。

 帰宅する。念のため二名の友人に「かくかくしかじかの症状が出ている。まんいち日曜日のうちに再度連絡がなかったらうちに来てほしい」と連絡する。独居者同士のネットワークである。

 それから三十時間ほどのあいだに考えたことは「痛みが強くなってきた」と「弱くなってきた」と「早く時間が経ちますように、今でなくなりますように」の三つしかない。およそ思考というものができなかった。頭の中には仕事で大きな、しかも自業自得の失敗をする、むかし死んだ誰かがそこにいてこちらを見ている、飼ってもいない生き物の世話ができず苦しませている、といった幻想が行き交っていた。幻想は過去にあったこととなかったこと、ありえたこととおよそ生じにくいことがないまぜになり、しかしその最中の現実感は同じなのだった。取れる姿勢は仰臥と横臥のみである。立って歩くことはふたたび重労働になった。痛みの少ないタイミングをみはからって立ち歩いた。

 日曜日になると、痛みと不快感が明瞭に小さくなった。痛みに芯がない。独居者ネットワークに回復を報告する。それから人間ドックを予約する。検査したところでわからないことのほうが多かろうが、やるだけやっておこう、と思う。検査のあとは専門医かなあと思う。生活習慣を見直す必要もあるだろう。心あたりはいろいろある。起き抜けのコーヒー、空腹時のアルコール、食事を摂る時間の不規則さ。

 一方で、改善はそれほど見込めない気もする。もとからけっこう健康的な生活をしているのだ。もう四十年も生きたからガタもくるさ、と思う。いい人生だったなあと思う。まだ死ぬ気はないが、平均寿命の半分くらいは過ぎたわけで、その半分に感謝してもいいだろうと思う。今まで生きていてよかった。とても楽しかった。そして少し疲れた。

 

バスタブの桃

 丸ごと皮を剝いた桃を片手に湯船につかる。指の腹に果汁がじんわりしみる。肩から下の温度を感じながら白い桃を眺める。それからがぶりと噛みつく。わたしが動くと湯気がぼわりと揺れ、浴室に桃の匂いがたちこめる。入浴剤ともハーブのオイルともちがう、気性の激しい果実の香り。わたしは鼻孔をひらき、口をひらき、まぶたをゆるめ、歯を剥きだしにして桃を食べる。

 わたしが小さかったころ、「お行儀のない日」という祝日があった。親が口にする冗談みたいなもので、国民の祝日ではない。でも未就学の小さな子どもにとって、自宅での特別な日はそれと同じようなものだ。「お行儀のない日」は一年に二回くらい来た。今にして思えば、それは母とわたしをとても親密にした。

 わたしの基本的な生活習慣を躾けたのは父だった。父はまめな男で、家にいるときはしばしば掃除をしていた。手を洗うついでにシンクに残った食器を洗うような人だった。幼いわたしは父に爪を切ってもらい、髪を結ってもらい、歯の仕上げ磨きをしてもらい、日焼け止めを塗ってもらった。そうして何百回も「夜は決まった時間に眠らなければならない」と諭された。わたしは父を好きだったけれど、ちょっと煙たくなることもあった。だって、お父さんには、嫌いな野菜さえないんだもの。

 母は生のトマトと加熱したにんじんが嫌いで、気を抜くと箸の持ち方が変になってしまう人だった。家庭における母は豪快な料理を作って笑っている係で、台所以外では家事をせず、よく飲みかけのコーヒーカップを置きっ放しにしていた。しかもほとんど必ず少しコーヒーを残していた。父はそれを洗いながら、食器は一度使ったら洗うものだ、と言った。はあい、と母は言った。そしてまたカップを置きっぱなしにした。母なりにきちんとしようと努力していたけれど、どうしても追いつかない。そんなふうに見えた。

 父の泊まりがけの出張をねらって、母は宣言した。「お行儀のない日が来ました」。わたしはものすごく喜んだ。わたしたちはベッドの中でチップスを食べたり、おたがいの顔に母の化粧品で落書きをしたり、落書きした顔のままファンキーなダンスを踊ったり、夜中までテレビを観たり、パジャマを着ないで眠ったり、した。

 お父さんには内緒よ。外ではやらないのよ。母はそう言った。わたしの答えは決まっていた。はあい。とても良いおへんじ。だって、「お行儀のない日」は特別で、頼まれたって母以外の人と過ごしたいものではなかったから。わたしと母のふたりきりの日、外の人はみな知らない日であってほしかったから。「お行儀のない日」、母はいろんなことを提案したり、許したりしてくれたけれど、悪いことはひとつもなかったと思う。わたしたちの秘密はとても無害なものだった。誰にも迷惑をかけないこと、でも人には言わないこと、お風呂の中で桃を食べるようなこと。

 不器用な子どもが桃の種のまわりをかじると顔も服もべたべたになる。母がお風呂に桃を持ち込んだのはそのためだったのだろうと思う。ベッドでチップスを食べたのはシーツを洗う直前のことだし、夜中までテレビを観ていいと言われても、幼いわたしはわりとすぐに眠ってしまったはずだ。子どもはほんとうに起きっぱなしになりたいのではなく、起きていてもいいというシチュエーションにはしゃぐだけなのだ。母はああ見えてけっこう合理的に判断していた。そう思う。

 頭まで湯につかる。バスタブの底の栓を抜く。居間でぼんやりする。寝室で眠る夫も二歳の息子も、わたしがお風呂で桃を食べたことを知らない。わたしは自分の子とふたりきりで特別な「祝日」を過ごすことがあるだろうか、と思う。あるにしても、わたしと母のことは秘密のままにしたい、と思う。わたしも母親になったけれど、だからといって母の子でなくなったのではない。子どもであるわたし、保護される側のわたしがいなくなったのではない。お母さんはお母さんのままだ。まだ六十代なのに、ときどき台所のコンロに火をつけたことを忘れるようになり、親族の総意で家をオール電化にしたけれど、お母さんはお母さんのままだ。なんにも変わっていない。

 大人になってから母と過ごす時間にはだいたいほかの家族がいて、母とふたりで話すことはあまりない。けれども、次にそういう時間ができたら、きっと言おうと思う。わたしが小さかったころ、お母さんとわたし、お風呂の中で桃を食べたよね。お母さん、とっても楽しそうだった。

関係のない人

 業務用のソフトウェアを企業に売る仕事をしている。わたしの所属する会社がそのソフトウェアを開発しており、わたしは営業である。ソフトウェアの使用を検討している会社に出向き、彼らの話を聞き、マッチしているようなら導入のための計画を立て、導入に障害がある場合にはその相談にも乗る。費用をじゅうぶんに出せないなど、導入がそぐわない場合には、ご縁がなかったということで引き上げる。導入が成れば先方はわたしの会社の長期的な顧客になるが、わたし自身の仕事はおおむねそこまでである。ソフトウェアの使用時に何かあった場合にはサポートのチームが対応する。わたしが導入後の企業と直接つきあうことはほぼない。

 ほぼ、とつけたのは、今日、導入後の企業から連絡があったためである。通常はゼロだ。先方の人事異動で新しい担当者がついて、引き継ぎがされていないままわたしの名刺を使ったというようなことかもしれない、と思った。なにしろ先方がわたしの会社のソフトウェアを導入してくれたのはもう八年も前のことなのだ。わたしは当時のメールを検索し、古い名刺を確認した。けれどもメールの送り元も、その署名も、わたしの記憶と手元の名刺にあるとおりなのだった。わたしはいささか不思議に思いながら、サポートチームの連絡先を再度送った。

 そのクライアントから返信が返ってきた。しかしながら、何を書いているのかどうもよくわからない。ものすごくあいまいな文面を三度、読んだ。クライアントが三度目のメールでようよう書いた名前は、僕の聞き覚えのないものだった。メールにはこう書いてあった。弊社のカワラブキが何かいたしましたでしょうか。

 知らない名前である。否、半年前、そうだ、半年前に、駅で唐突にその名前を名乗られたことがあった。半年前、外で昼食を食べて自社に戻っていたところ、知らない人に話しかけられた。その人はこう言った。あの、カワラブキです、ご無沙汰しております。

 わたしはその名前を知らなかったから、お人違いではないでしょうか、というようなことを述べて、立ち去ったのだと思う。たしかそうだったと思う。こまかいところは覚えていない。人間は意味のないことからどんどん忘れる。正確には、記憶されてはいるが想起されない、と本で読んだ。

 しかたがないのでクライアントに電話をした。メールに残したくないと先方は感じていて、しかもわたしが聞いておいたほうが良さそうな雰囲気だと感じたからだ。根拠はない。勘である。

 はたして、先方はカワラブキさんとわたしの間に何か深刻なことがあったと捉えていたようだった。わたしがカワラブキさんを誰とも知らず、半年前に話しかけられたことをようよう思い出した程度だとこたえたら、絶句していた。カワラブキさんは八年前、わたしが営業でその企業を訪れたときに同席した女性だそうである。当時はアルバイトの学生で、その後就職したということだった。クライアントの話とわたしのおぼろげな記憶を照合するに、わたしはカワラブキさんと何度か顔を合わせたようだった。短い世間話くらいはしたかもしれない。なにぶん八年前のことだ。直接のクライアントはともかく、同席しただけの人のことなど霧の向こうのようである。

 そうしてそのカワラブキさんは、「詳しいことは話したくないが、八年前に営業で来ていた男性にとてもひどいことをされ、深く傷ついた」と話して、会社を休んでいるとのことだった。わたしは仰天した。わたしはたしかに八年前にその会社に営業に行った男だが、カワラブキさんの存在さえ認識していなかった。関係がないのだから、傷つけることはできないのではないか。

 その後、クライアントから再度電話があった。とてもとても恐縮していた。カワラブキさんがわたしにされた「ひどいこと」というのは、「自分の名前を覚えていなかったこと」だそうだ。何やら思い立ってわたしの名前をSNSで検索し、わたしが営業先に出ていないときは決まった時間に外で昼食を摂ることを察知して、それで近辺にいたのだそうである。

 カワラブキさんが何をもってわたしに執心したのかはわからない。何らかの思いがあって、それで八年も連絡しないというのも、わからない。SNSの実名アカウントの投稿内容をつぶさに見るくらいならメッセージを送ってくればよいと思う(それが可能な設定である)。何から何までわからず、なんだかとても気味が悪くなって、わたしは反射的に、お気にならさらず、とクライアントに言った。ぜんぶ忘れますので、どうぞお気になさらないでください、わたしにはかかわりのない方なのですから。

分散派の言い分

 彼女には恋人がふたりいる。恋人がいない期間もある。恋人がひとりだけということはない。生物として活性化すると恋をするので一人では足りないのかな、と思って話を聞いていた。でもどうもそうではないようなのだった。彼女は恋をするとあわててもうひとり、好きになれそうな人を探すのである。

 このたびはその「もう一人」が見つからないのだそうだ。恋人のふたりも見つからないなんて、わたし、もてなくなった、と彼女は言う。ほんとうにつらい、と言う。ひとりでもいいじゃんか、と私は言う。私は、恋は一対一でするべきだなんて、ぜんぜん思わないし、恋人を何人つくろうがその人たちの勝手だと思っているけれど、でも無理に見つけることもないとも思うよ、一人に集中するのもなかなか乙なものですよ、私たちは仕事も忙しいのだし、体力も衰えつつあるのだし、恋をいくぶんか減らしたってよろしゅうございましょう。

 いやだ、と彼女は言う。忠誠を誓うのはいやなんだ、と言う。忠誠、と私は言う。私の知っている夫婦に、夫が妻の手を取ってその甲にキスするのが習慣になっているふたりがいるんだけど、そういうのかしら。でも彼らだって忠誠なんか実は誓っていないと思うけどな、そういう様式を楽しんでいるだけで。

 彼女は言う。わたし、ひとりだけを愛したら、たぶん、死ぬ。人を好きになって、最終的にどうするかっていうと、一緒に死ぬしかない。わたしはそう思う。ほかに結末が思いつかない。だって、こんなに好きなのに、あの人はわたしじゃないんだよ。ちがう細胞でできていて、同じ空気を吸っていない時間がうんと長くて、何もかも話すことさえできないんだよ。わたしたちは違う服を着て、ちがうことを考える。笑うタイミングだって同じじゃない。どうして笑っているのかわからないことさえある。みんな、よく平気な顔して歩いてるね、好きな人と死ぬこともしないで。わたしは、本気でそう思う、若いころから今まで、好きになったら一緒に死ぬ以外にどうしようもないと思ってる。だからぜったいに誰にも忠誠を誓いたくないの。

 なるほど、と私は思う。彼女は浮気者だから恋人をふたりつくるのではないのだ。彼女はあまりにも恋慕の情が強いので、それを分散しなければならないのだ。彼女の情愛、彼女の執着、彼女の独占欲はそれほどまでに強いのだ。

 私は過去に彼女の好きになった人の口のききかたを覚えている。彼女が何年ものあいだ「彼はこう言った」と語りつづけていたからだ。彼女は彼の語彙をコピーする。彼女は彼の助詞の使い方を再現する。彼女は彼の口にした愚かしいせりふもしっかりと再現する。彼女が見ているのは幻想ではない。恋に幻想はつきものだというのに、現実ばかりを彼女は見ている。汚いところや卑しいところを見ても彼女は彼を嫌いにならない。あばたもえくぼ、ではなくて、あばたはあばたに見えていて、なおかつ好きなままなのだ。

 それって、片方がメインでもう片方は愛情の放水路みたいなものなの?私がそう尋ねると、彼女はひどくあきれた顔になり、ゆっくりと首を横に振る。あんたは何もわかってない、と言う。放水路?そんなのなんになる。多摩川利根川のどっちが本流かっていうくらいわかってない質問だよ、それは。好きな人は好きな人。何でもしてあげたい。目の前にいたらもうお祭り。花火があがっちゃう。何年つきあっても祭りは終わらない。でも、ふたり一度に好きなのは不誠実だから、わたしはいつの日か、どちらかにふられてしまうの。そうするとだいたい同じくらいの時期にもう一人ともうまくいかなくなるの。

 私は確認する。恋人が二人いたら片方に振られてももう一人いるな、って感じじゃないの?二人もいるのにぜんぜん余裕がない感じなのはどうして?彼女は首を横に振る。二人いてギリギリ死なない、くらいの感じだよ。どうせもう一人の男のほうが好きなんだろう、とか、どうせ俺のものじゃないんだろう、とか言われて悩んでるうちは死なないし、殺さない。自分の感情に潰されることがない。

 そんなにも人を好きになれるのはいいことだなあ、と私は思う。相手の男性はたいてい苦しむんだけど、でもまあ、しょうがないよなあ、と思う。私はどうも彼女を悪いと思えない。「恋はひとりに対してするものと決まっている」という規範があるのは知っているけれど、それに根拠がないことも知っているし、恋はだいたい、したら傷つくものだからだ。

人格を売る

 医者だから高潔な人格者だなんて今どき誰も思わないって、わたし、思ってた。医学生のとき。だってそんなわけないじゃん。わたしたちはただの、そこらへんの、生きるために仕事してるだけの人じゃん。でもさあ、医者は特別にきちんとした立派な人間だと思ってる、というか、そうあるべきだと思っている患者さん、けっこういるんだよ。卑しい人間、あるいは単に「メシを食うために仕事をしている」という人間は、彼らにとってハズレの医者。医療行為ができてもだめ。立派であるべきなのにそうではないから、だめ。泣いたり不安定になったりもしない、人が死んでも動揺しない、でも人情はある、それが彼らの頭の中のあるべき医者なんだ。そういう前提の患者さんがかなりいるんだ。ほんとわかんない、わたしは、仕事として医者をやっているし、患者さんが死んだら動揺する、隠しきれてない。

 わかるわあ。先生は子どもを愛して当然だって、保護者は思ってるみたい。わたしが提供しているのは教育サービスだよ。愛じゃない。愛が業務に付帯するなんてどこにも書いていない。それなのに、みんな、献身的な教師が好き。教師ってさあ、ただの仕事だよ、献身なんかしちゃいけないよ。でもみんなそういう話、好きみたいなんだよねえ、献身とまではいかなくても、子どもが非行に走ったときには夜中でも何でもかけつけてゆっくり話を聞いてあげるとか、担任の子どもが恵まれない立場にあったら自分のお金をあげたりとか、そういうやつでも。わたしは、そんなのおかしいと思う。それをして当たり前だという感覚、むちゃくちゃだと思う。

 でもさあ、その種の幻想をぜんぶとっぱらっちゃうわけにもいかないと思うんだよ。わたしはその幻想に凭りかかって仕事をしている部分もあると思うんだ。彼らの幻想を利用しているなって思うんだ。

 どういうこと。幻想がない人もいるよね。学校でいうと、モンスターペアレントと呼ばれるような人たちは、ぜんぜん幻想持ってない。どちらかというと教師を自動販売機みたく思ってる。百円入れたのに指定のお茶のペットボトルが出てこないから蹴るみたいなかんじ。

 まあね、幻想のない人はいる。少しは持っている人が実はかなりの割合で、いる。彼らが治療上の指示にしたがってくれるのは、お医者さんは立派なものだと思っているから。わたしは、「患者が医者の指示にしたがうのは、医療というサービスの受益に必要だから」と思っているんだけど、どうもそういう人ばかりではないみたい。そしてそれが診療を成り立たせている場合がある。かなりの割合である。

 それは、つまり、「立派な人であるはずだから言うことを聞いて薬をちゃんと飲む、みたいな?

 そうそう。立派な人だからこそすんなり言うことを聞く。そういう人かなりいるとわたしは思ってる。だから幻想がなくなってほしい一方で、なくならないでほしい。幻想だけがなくなったら、わたし、医者続けられないかも。自分では優秀なサービス事業者になりたいと思ってるんだけど、「立派な○○先生像」みたいなのをこっそり併売して乗り切っているのかも。

 ああ、それは、わたしもそうだ。子どもと大人という権力の非対称性に「先生のほうがえらい」という幻想をしみこませて、それでもって教室を制御してるんだ。うちの子たちは確実に「勉学を身につけるためには教師の言うとおりに授業を聞くことが必要だ」とは思ってない。「先生に怒られると怖いような気がするし、この場で重要な人物みたいな気がするから、あんまり考えず指示にしたがう」と思っている。子どもがいっせいに蜂起したら、ぜったいにかなわないのに。

 学級崩壊だ。なるほどねえ、学校という場から権威の幻想を剥がすと、そうなるか。

 学級崩壊まじ恐怖、考えうるかぎりもっとも悪い夢のひとつ、学級崩壊に遭わないためならわたし「立派な先生」の人格なんかいくらでも偽装する、仕事に関するポリシーも投げ捨てる、学級崩壊超怖い。

 ねえ、わたしたちの人格は、仕事のための売り物じゃないよ。でもわたしたちはそれをたしかに売っているよ。偽装とあなたは言うけれど、わたしは偽装では済まなかったと思っている。皮膚を青く塗り続けているうちに色素が少しずつ沈着したと思っている。わたしの皮膚はもとの塗料ともちがう、薄汚い色になった。もう洗い落とすことも剥がしてしまうこともできない、わたしの一部になっている。