傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

安心を売る

 当日の注意事項は以上です。何か質問のある方はいますか。いませんか。それでは明日、現地で10時にお待ちしています。どうぞよろしくお願いいたします。

 わたしは口をつぐみ、終わり、という合図をする。わたしのそれは手を軽く前に掲げてから元に戻すというものである。課員がざわざわと持ち場に戻る。課長、と声がかかる。いつものことである。同じ部下が同じようすでやってくる。皆がわたしの話を聞いているときではなく、それが終わったあとに。

 はい、とわたしはこたえる。冷たくもあたたかくもない声である。いつも同じ声を出している自信がある。彼は言う。明日は10時に現地集合ですか。わたしはこたえる。10時に現地集合です。それから、「終わり」のしぐさをもう一度して、自席に戻る。

 その部下が配置されたとき、人事がやってきてあいまいなことを言った。研修中は、まじめであったということですが、つまり、なんと言いますか、実業務上ですね、不適応があればお知らせください。わたしはいくつか質問をした。人事の回答はいずれもあいまいなものだった。とりあえずやってみましょう、とわたしは言った。

 彼が配置されたのは定型業務が多いチームだ。久々の新卒ということで歓迎された彼は作業が早く、チェックするとほぼミスがなかった。いい人が来てくれたと、彼の指導役は言っていた。

 問題が起きたのはふた月後である。少しだけ判断基準のあいまいな作業を担当したところ、彼はすべてのプロセスで指導役に確認を求めた。自分で判断するように言うと、今度はその判断の基準の確認を求めた。指導役が苦言を呈すると、発言を順に「確認」したがった。「Aです。そしてBです」といえば、「AはAということですか」「BはBということですか」と繰りかえすのである。手元に完璧なメモを取り、それを復唱する。表情はまったくなく、非常に切羽詰まった雰囲気だけがある。おだやかに話を終えようとしても終えさせてもらえない。強引に終えるしかない。彼の指導役はすっかりまいってしまった。ディスコミュニケーションは人の精神を削る。

 わたしは自分自身のための業務日誌を書いている。その日の日誌をめくると、こう書いてある。

 世界は不確かなものである。目の前に見えるものが他の人にも見えていると、どうして判断できるのか。メモしたことを、ついさっき、目の前にいる上司がほんとうに言ったと、どうして判断できるのか。できない。わたしたちは単に「自分の記憶は正しい、自分のメモは正しい」と仮に決めて生きているだけである。そういう意味では、自分の記憶や自分のメモをうたがう彼は正しい。しかし、その確認を他人に求める段階で、彼は正しくない。なぜなら相手が確認に応じたとしても、それが正しいことを確認するすべはないからである。つまり、彼の行動は論理的に誤っている。論理ではなく感情による行動だと考えるべきであろう。彼はまったくの無表情だが、その行動は感情的なものなのだ。作業中に不安になって、誰かにその不安を解消してほしい気持ちが出てきて、それが彼の確認癖を呼び起こすのではないか。不安が少なければ確認も少なくて済むのではないか。そのための環境を整えることは可能ではないだろうか。

 わたしはその日誌を書いたあと、人事に提出するレポートを作成した。彼には指導をしなければならない。しかしながら、マイナスの感情を伝える叱責は彼にいっそうの不安を引き起こし、彼の内なるパニックを加速するだけではないかと推測する。したがって彼のためにできるかぎり明示的なルールを作り、それに基づいて感情をまじえない指導をおこなう。課長としてのわたしは彼の「想定外」をできるかぎり避ける。

 わたしは少しのあいだ彼を観察し、何度かやり方を変えて対応し、彼と直接接する課員にも説明をした。そうして彼は落ち着いた。落ち着いていつもの仕事をしているときの彼はまったくもって有能であり、確認は通常の成果物チェックだけで済む。企業としてこうした人材を「不適応」とすることもきっとできるのだろう。でもその代わりに彼より有能でない人が来るかもしれない。だからわたしは彼の特性に沿うことを選んだ。彼に安心を提供し、それをもって彼の成果物を買うことにしたのである。たとえば彼はいつもと違う場所で仕事をする前には不安になる。だから「確認」に来る。わたしは一度だけそれにこたえる。ある人が笑顔で少し雑談をしてほしいと感じるように、彼は「確認」によって不安を軽減してほしいと感じる。わたしは前者には世間話をもちかけ、後者には一度だけのオウム返しをする。

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蛮勇と退屈

 職場には男しかいないから、居心地はいいよ、えっと、要するに、ホモソーシャルなんだけどね。

 僕がそう言うと目の前の女が黒いマニキュアを塗った爪をひらひらさせてでかい声で笑った。そして宣言した。なんだ、自覚してるんじゃん、よっ、このホモソ野郎。

 すごいせりふである。完全に罵倒だ。そりゃ、僕が自分で言ったことの引き写しなんだけど、自覚がある人間ならののしってもいいというものではない。というか、自覚があることを示すのは非難を未然に防ぐためなのに、そういう自衛の作法がぜんぜん通用しないのだ。社会性に問題がある。

 いい年をして奇抜な髪型、垂れ目のちょっと変な顔、ひじきみたいなマスカラ、いつも踵のついた靴。とてもよく笑う。誰であっても女性に対しては少し格好つけてしまうところが僕にはあるんだけど、この人はそういう意味で楽な相手だ。女だけど、恋愛対象が女だけなのだ。色恋沙汰に陥る可能性がゼロだとわかっている友だちはラクで、きっとそれは僕が根本的に性差別を除去できていない人間だからだと思う。

 彼女はだいたいの場合ハイテンションで、でも僕らのカップにはお茶しか入っていない。この世には酒とか飲まなくても言いたいことが言える人間がいるんだなと思う。この人にいちばん縁のない単語はきっと「忖度」だ。何でも口に出して話したがるし、他人にもそうしてほしがる。そういうのって僕のまわりではなかなかない。暗黙の了解みたいなものがいっぱいある。同性ばかりの、年齢の幅も狭い集団にいるせいかな、と思う。なんとなく。

 僕は男子校の出身で、大学でも男ばかりのコミュニティにいた。女性の少ない職場に就職して、ふだん仕事でやりとりするのはみんな同性だ。そのうえ男友達と部屋を借りている。似たような人間と寄り集まっているのがラクなのだ。女の人と恋愛をしてもすぐに終わってしまう。

 あのさ、と僕は言う。僕はおっしゃるとおりホモソーシャルでぬくぬくしていて、それが変わることはたぶんない。それがわかっているのに、きみはどうして僕と話をするんだろう。僕は楽しんでるし、きみも楽しんでると思う。それはなんとなくわかる。でもどうしてきみが楽しいのかはわからない。なぜかっていうと、きみも僕と同じように同質性の中にひきこもればラクにちがいないと思うから。職場はまあしかたないかもしれないけど、女友だちがたくさんいて、女の人と恋愛して、ろくでもない男はいなくて、いいよね、きっと素敵だ、とても楽しいと思うよ。

 わたしをなめてはいけない。彼女は今度は笑わずに言う。世界の半分は女ではないとされる者だ。その中でいちばん多いのは男とされる者だ。そしてわたしはうっかりすると女としか口を利かずに生きてしまう。あなたの想像のとおりに。でもそれは素敵じゃない。ぜんぜん素敵なことじゃない。そんなふうに過ごしたらわたしの世界では男というものが個別の人間ではなくてカテゴリになってしまう。そしてそのカテゴリはニュースや文献や統計だけ見ていると「ろくでもない」と感じられやすい。そんなはずはない。いろんな人がいて、時間が経つと変化もするはずだ。

 「男」はいちばんわかりやすい例だけど、それにかぎらずわたしは、カテゴリを使用して個人との対話を捨てる人間になりたくない。人間は全員人間として認識したい。そのためにいろんな人と話す。わたしを殴らない人間で、わたしが話していて楽しい人間を、女とか同世代とか日本人とかに限らず、全人類から探す、そのための努力をちゃんとする。

 そうか、と僕は言う。そうだよ、と彼女は言う。ばかだなあと僕は思う。そんな蛮勇はどう考えてもコストパフォーマンスが悪いと思う。この人はいったい何回「殴られて」生きてきたんだろうと思う。好感を得にくそうな外見で、ゴリゴリのマイノリティで、それを隠す気がなくて、権力や財産を持っているわけでもなくて。それで勇敢だなんて、とても可哀想だ。

 あなただって完全な同質性の中になんかいないじゃない、そもそもわたしと話をしているのだし。彼女がそう言って、僕は我にかえる。そうだ、そういえば僕とこの人はちっとも同質ではない。人間だということくらいしか共通点が見当たらない。

 立派な心がけだね、と僕は言う。立派かどうかはどうでもいいや、と彼女は言う。同じような人間としか話さないでいると、わたし、心が暇になってしまう、そしたら、同質性の高い人々だって上手に愛せなくなるよ、わたしは、そんなのはいやなんだ、自分の世界を退屈な場所にしたくないんだ。

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首切り職人の顛末

 僕が行くのはつぶれかけた会社だ。人の首を切ったりすげ替えたりして企業を生き延びさせてカネをもらう。正確には僕の会社がそのような役割を標榜して僕を送り込み、僕は自分の役割を遂行する。送り込まれた会社は要するに先が長くないと宣告されたようなものだ。だから僕は誰にも歓迎されない。僕を呼んだ人間だってほんとうは僕に来てほしくなんかない。客先に行ってまともな席がなくても僕はうろたえない。椅子はありますかと尋ねる。つまり、椅子のような何かでかまわないのですが。

 たとえば会議室の隅が僕に割り当てられる。非公式に、対面した泥棒にホールドアップの小銭を与えるみたいに。僕はひとりで長机の脚を立て、パイプ椅子を引き、その上にからだをおさめ、ノートPCを起動する。このビルの中で、誰も僕を必要としていない。いつものことだ。白い目に囲まれて誰かの首を切り新しい図面を引いて組織を塗り替えるのが僕の仕事だった。崖っぷちの組織に呼ばれて世界の終わりみたいな会議室や倉庫で彼らの帳簿を見て、あれやこれやと託宣を述べる。

 新卒のときに国内が就職難だったから外資に行った。面接の終わりに外国人たちが「ようこそ」と手を差し出すから僕はそれを握ってにこにこ笑いながらこいつらとは永遠に友だちになれないなと思った。僕は彼らを好きじゃなかった。でも仕事はその都度燃えるような出会いで、僕はいちいち夢中になった。自分の部屋に来てくれたどの女の子より、つぶれかけのどこかの企業のために一生懸命だった。そして一つの仕事が終わるとその企業のことをきれいに忘れた。白い目、パイプ椅子、首切り、徹夜、首切り、徹夜、首切り、ときどきシャンパン。

 もうだめだと思うとありったけの連絡先を使って女の子たちに連絡して、そのうちのだれかとつきあった。何がだめなのか考えもしなかった(ほんとうにだめなときには何がだめなのかもわからないものだ)。長続きはあまりしない。それはまあ、そうだと思う。夜中まで仕事ばかりしている人間への愛をどうやって継続したらいいのか。一緒に過ごす時間がなさすぎる。女の子たちは別れ際にけっこうひどいことを言うことがあって、それはたぶん復讐なのだった。そのなかでいちばん的を射ていたせりふはこれだ。

 ねえ、きみってろくなものじゃないね。詐欺師というのが言い過ぎならせいぜいまじない師。あなたの断定していることに根拠なんて実はないでしょう。僕は疲れていたから寝そべって女の子の脹脛に頬をつけて女の子の顔だけ見ていた。女の子は笑ってきれいな脚を組んでいて僕のものじゃなかった。そのあとすぐ別の男と結婚したと聞いた。

 まじない師。結局のところ、僕の社会人生活はそういうものだった。最終的には根拠があいまいな内容を、自信たっぷりに断言する。そして他人の人生を左右してしまう。まじない師の首切り職人。白い目、古いオフィスチェア、首切り、徹夜、首切り、徹夜、首切り、ボーナス、首切り、ヴァカンス、文字通りの空白。

 楽しかったな、と思う。人の首を切って切って切りまくって自分の身体を壊しかけるほど働いて僕は楽しかった。休暇の名目で仕事を辞め、ひとりで海外に出てひたすら歩き回り、ばかみたいに大量の本を読んだ。よく眠れるようになって、腰痛とかが治って、すごく健康になった。これまでの人生を反省するみたいな展開は起きなかった。おかしいな、小説ならこういうとき、自分の新しい生き方を見いだしたりするんだけど。

 つまり僕は僕によく似合った人生を送っていたのだ。そう思った。僕が仕事を辞めたのは単にキャリアが二周くらい回って、飽きたからだ。久しぶりにいろんな人に連絡をとって、ねえちょっと聞きたいんだけど、と言った。仕事、飽きない?飽きるよとみんなが答えた。四十にもなればどんな仕事をしていてもたぶん飽きるよ。

 そんなわけで僕は僕の仕事に復帰した。相変わらず人の首を切っている。でも働きかたはだいぶ穏やかになった。それが可能な状況を作った自分を少し褒めたい。仕事に飽きない方法はまだ見つかっていない。でも自分を追い込んで退屈から目を逸らすのが利口な方法じゃないことは理解した。そして僕が目をそらしたかったものには、「人に恨まれるような仕事をするな」とか「家庭を持てば幸せになれる」とか、そういうことばも含まれていると、ようやく気づいた。他人の目なんか気にしないと、自分はすごく強気な人間なんだと、そう思っていたけれど、実は気にしていたみたいだった。いいんだよと僕は言ってやる。自分に言ってやる。おまえは立派なやつだよ、誰にも文句を言われる筋合いなんかない。

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最後の路上飲酒者

 私たちは最後の路上飲酒者である。私たちは桜が咲いているときにはどうしても外で酒を、それも華やかで上等の酒を、複数人で、楽しく飲みたい。それに同意する友人を新しく得ることはきっともうできない。昔はたくさんの人が同意してくれたのに、ひとり抜けふたり抜け、もはや二人だけになった。私たちは歩く。ピクニックのような装備を持って歩く。川沿いを歩く。そこには昔、春になるとたくさんの人が来て、花吹雪を浴びながら笑いさんざめき、そして飲酒していた。今は誰も笑っていない。河原によぶんな空間などなく、効率的に護岸されて作られた道路の上を、人々は足早に通り過ぎてゆく。

 むかし筒井康隆が「最後の喫煙者」という短編を書いていた。その世界では喫煙という愚行が激しく糾弾され、もうあいつら死刑でいいだろ、みたいな雰囲気になる。筒井先生はそのような世界を肯定できず、最後の喫煙者として断固として戦うのである。煙草が排斥されるきっかけは、これといって書かれていなかった。からだに悪い依存性の薬物だということは知られて長いので、排斥されるか否かは社会の気分なのである。そういう小説だった。

 実際に消滅しつつあるのは酒である。煙草は電子煙草の普及により、姿を変えて生き延びた。進化した電子煙草は健康被害が少ない。依存症の治療薬もある。だから排斥されるほどのものではない。そんなものより酒だ。文化だの何だのという言い訳はどの薬物にもつきものだが、酒のそれはしぶとかった。しかし今や、そのヴェールは完全に剥がされた。それは人々の寿命を縮め、人間関係の悪化を招き、のみならず死に至る依存症の原因となる。社会全体の生産性を著しく低下させるものだ。

 けれども良識ある人間は今が過渡期だと知っている。だから禁酒法はない。依存性の薬物はただ厳しく取り締まるだけではいけない。歴史がそれを示している。酒はただ「みっともないもの」「心の弱い人間が頼ってしまうもの」「不衛生なもの」なのだ。酒を飲む人間にも人権はある。それぞれに事情があるのだ。本人のせいばかりではない。古い社会の病理の犠牲者という側面もある。だから寛大な目で彼らを見てあげなければならない。そういう合意が形成されている。

 今年は開花が早い。桜の名所は軒並み人が減って、規制が解除された。千鳥ヶ淵あたりから始まった花見のルールは都市部のほとんどに普及し、花見といえば歩いてするものになった。他者に配慮し、いつもより遅く歩くのが作法である。景色を独占することなく、ゆったりと歩く。立ち止まって写真を撮るのは行儀が悪い上に、映り込む側の不快感に配慮していない。なんとも迷惑なことだから、フォトスポットになっている飲食店にお金を払って入店するよりほかに、カメラを起動する機会はない。教育を受けたまともな人間は人の迷惑にならない歩き方を知っている。そしてそのような人間しか、公の場で花見をするべきではない。

 春になると老いた牛の群れのような人々が桜の下を移動する。その光景を、私は嫌いだった。どいつもこいつも口を開けば迷惑迷惑迷惑、迷惑じゃない人間なんかいるか、と私は思う。だからそいつらの花見が終わってから、数少ない友人と、ゲリラ戦のようにここへ来たのだ。私たちの花見をするために。愚かで生産性のない路上の宴を催す、最後の者たちになるために。

 待って、と友人が言う。私は我にかえる。この道じゃないよ、こっちの岸には座れるところ、ない、川の反対側に行かなくちゃ、さっきの橋は渡っちゃいけなかったんだよ。そうか、と私は言う。あの橋を渡ろう、と友人が言う。そして飲もう、反対側の岸に行けば、みんな道ばたでお酒飲んでるからさ。そうかな、と私はつぶやく。そうに決まってるじゃん、と友人は笑う。あなた去年ここで花を見たんでしょ。私はこたえる。去年じゃないよ、ここでお花見をしたのは三年前、三年もあれば世界は変わるでしょう、そのあいだに世界が路上飲酒をやめても少しもおかしくなんかない。

 私が想像のしっぽを引きずっていることを、誰も気にしない。私たちは橋を渡る。私たちは親水公園のベンチに、あるいは持ち込んだシートに座るたくさんの人を発見する。見るからにほろ酔いで楽しそうだ。ただいま、と私は思う。ただいま、路上飲酒のある世界。私はそのようにしていくつもの世界を渡り歩く。私の頭の中にはたくさんの世界があって、目の前の「現実」はその中のもっとも長く手のこんだバージョンにすぎない。

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嘘つきの親

 今年の桜は早く咲いた。子はまだ桜についてはよく知らない。はな、と僕は言う。おはなみ、と言う。子は気に入りの小さなリュックサックを背負っているために機嫌がいい。走らない、と言う。手をつなぐ。駅に着いたらベビーカーに入れる。空いてはいるが、電車はとにかく危ない。個人差はあろうが、二歳半というのはまだまだ、一瞬たりとも目が離せない年齢であるらしい。

 目的地は隣町だ。すぐに着く。電車の好きな子どもはたった二駅でもそれなりに満足したらしく、でんしゃ、と言う。でんしゃ、と僕も言う。エレベーターの位置をあらかじめ確認して乗車したので、よぶんな体力を使わず地上に出ることができる。子はすぐに立ち止まる。何を注視しているものか、僕にはわからないことも多い。わからないというか、気にする余裕がないというか。

 親水公園に着く。花見にかこつけてイベントがおこなわれている。僕と子は「ふれあい動物園」に行く。僕はうさぎを抱き上げ、子に撫でさせる。どうやってこの動物たちをおとなしくさせているんだろう、と僕は思い、それから、考えるのをやめる。考えるのをやめるのは難しいことでははない。思考はいつだってぶつ切りで、気をつけていないと考え続けることなんかできない。この一年でそうなった。以前はそうではなかった。

 子は川沿いへの階段を降り、すぐに昇って、また降りたがる。何度もそうしたがるのをてきとうにごまかして、子を座らせる。かわ、と子が言う。かわ、と僕は言う。かわ。おおきいかわ。こうやって単語を増やして繰り返すのが妻の癖だった。教育上の効果でもあるんだろうか。

 子が立ち上がる。横を通り過ぎようとした同年代の子どもが気になったようだ。子を連れていた女性が会釈する。僕も会釈する。怪しくないですよ、無害で善良なお父さんですよ、という顔をする。僕は彼女たちの前でいつも萎縮している。不審に思われたくなくて、びくびくしている。父親だけで幼児を連れているなんて今や珍しいことではないのに。

 でも、いつも父親だけが連れているのは、珍しいのだ。そう思う。妻が出て行ったのは僕にとって晴天の霹靂だった。子どもの両親がそろっているのは当たり前だとどこかで思っていた。でもそうじゃなかった。人間が目の前からいなくなるなんてごく普通に起こりうることなのだ。

 子どもが一歳半から二歳半になる今までのできごとを、僕はよく覚えていない。ひとり親になって、仲間と作った小さな会社の責任者を辞め、雇われる立場にしてもらった。それは仲間たちの好意だし、何より僕の希望したことだけれど、僕はものすごくさみしかった。さみしかったような気がする。今は遠いことで、実のところ、よくわからない。仕事をもらって、する。子どもの送り迎えをする。子どもの世話をする。子どもの世話を可能なかぎり外注する。自分の食事をとり、風呂に入り、できれば眠る。それだけである。僕の生活と経済は、ほんとうにただそれだけで終わってしまう。そんな人生を想像したことはなかった。でもそれが僕の今の人生のすべてなのだった。

 おかあさん、とよその子が言う。手を振る。その先を見ると、ふたりの女性が手を振っていた。よその子の横にいる女性はその子のお母さんではないらしかった。三人か、と僕は思う。姉妹か何かだろうか。よってたかって三人で一人の子の面倒を見ているのか。そう思う。胸が悪くなる。僕は苦笑する。苦笑するとどんな感情でも流れていくようになった。

 おかあさんは、と子が言う。僕は子を見る。母親がいなくなったときこの子は一歳半だった。覚えているのだろうか。そもそも母親という概念を覚えたのも最近ではなかろうか。おかあさんどこだろうねえ、と僕は言う。おかあさんどうしたんだろうねえ。嘘である。「お母さん」が出て行った先も、出て行った理由も、僕は知っている。でも言わない。嘘をつく。子が大きくなっても、きっと嘘をつくだろう。

 妻が出て行ったことを知るなり、新しい「お母さん」をこしらえてやれという人が何人もいた。時間外保育やベビーシッターを頼むのなら再婚しろと。何を言っているんだろうと僕は思った。知らない女と暮らすなんてとてもとても無理なことだし、だいいち、「お母さん」はそうんなふうに調達するもんじゃないだろう。そう思った。胸が悪くなった。とても強く、長く。思い出しても少しそうなる。僕は苦笑する。

 ふね、と子が言う。ふね、と僕は言う。とり、と子が言う。とり、と僕は言う。とり。しろいとり。かもめ。ゆりかもめ。はな。さくら。たくさんのさくら。

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嘘つきの奥歯

 左上の奥歯が痛むので歯科医にかかった。毎年定期検診を受けて歯石を除去してもらっている、なじみの歯科である。歯科医院は小さなオフィスと住居が混在するマンションに入っていて、その建物にはちかごろよく見る「民泊禁止」の紙が貼ってある。

 歯科衛生士は首をひねった。ふだん歯切れの良い話し方をするのでたまにためらうと目立つ。マキノさん、この奥歯ねえ、あれよ、虫歯でそんなに痛いならもっとしみる、これ(プシュー)、うん、これが飛び上がるほどしみると思う、でもそもそもこの被せものは古いし、取ってみてもいいかもね、先生と相談してね。

 歯科医は首をひねった。痛みはどんな感じですか。ずどーん、と。ほほう。ずがーん、と。ふうむ。腫れはちょっとありますが、そんなにひどくはないですね。熱感は?ある、ありますか。主観的にはかなりひどいわけですね。眠れないくらい。市販の痛み止めは?あんまり効かなかったですか。

 私はてっきり虫歯だと思っていたので、だんだん不安になってきた。痛みには波があり、今はさほどでもないが、昨夜はもう歯の中身が腐ってるんじゃないかと感じるくらい痛かった。頭まで痛かった。なんなら目頭あたりまで痛い気がした。けれども今は、痛みそのものより「どうして痛いかわからないという不安」のほうがなんだか耐えがたくなってきた。開けますか、と歯科医が訊くので首を思い切り縦に振った。とにかく原因が知りたい。開けてほしい。どんどんオープンにしてほしい。

 歯科で歯を削られているのに心安らかというのは生まれてはじめての体験だった。ほらみろ、やっぱり虫歯だったんじゃないか、原因がわかればこっちのものだ、現代医療は偉大だ。そういう気分である。ところがひととおりの治療が終わると、歯科医は相変わらずはっきりしない顔で、いや、と言う。いや、たしかに削りました、虫歯はいちおう存在しました、でもたいした虫歯ではなかった、そんな激しい悪さをするほどのあれではないです、表面がちょっとぐずぐずっとしてるくらいのやつです。だから痛みの原因は虫歯ではありません。歯周病などもありません。レントゲンを見ても、中になにかあるという所見はありません。

 この歯科医は説明が丁寧で不要な断定を避ける。そういう専門家が原因は虫歯ではないときっぱり言うのだから、信じるしかない。ほかの可能性を尋ねると、歯科医領域外の、たとえば神経痛なども考えられるということだった。

 痛み止めなど処方してもらって帰宅する。激しい痛みはないが、うっすらと痛い。私は鏡の前に立ち、ぱかりと口をあける。奥歯を見る。神経、とつぶやく。たとえば神経が痛いと勘違いしているだけであんなにつらいことになるのか。どう考えてもこの奥歯の根元が痛かったと思うのに、そこには何の原因もなかった。神経痛かどうかはわからないけれど、少なくとも目に見える原因はないのだ。恐ろしい。神経がほんの一本「今すごく痛い」と嘘をつくだけで私の生活は崩壊してしまうのだ(一本と数えるかどうか知らないけど)。ものの本で「脚を切断した人の、もう存在しない脚が痛む」という話を読んだときには、なんという奇っ怪な、と思ったものだけれど、奇っ怪なのは私の歯も同じなのだった。

 神経とか精神とかのせいで起きる症状にはたいてい、規則正しい生活とかストレスを避けるとか、わりと薄ぼんやりした解決策が示される。でも、これがばかにできない。規則正しい生活もストレス対応も続けるのはたいへんだし、技術も必要だ。でも見返りはある。仕事をやりくりしてでも行う価値はある。そして私の奥歯はそれを求めているのだ。たぶん。

 私は私の病んだ一本の神経について想像する。彼女は何かひどい目に遭ったようで、すごく過敏になっている。嘘ばかりつく。痛い痛いと言う。サイレンみたいに泣きわめく。とても傷ついているのだ。彼女を責めてはいけない。嘘をつきたくてついているのではない。彼女をなぐさめ、いたわってやらなければならない。おお、よしよし。

 私は「よしよし」を実行する。色鮮やかな野菜を使ってあたたかい食事を作り、ゆっくり食べる。バスタブにしっかりお湯を張ってお風呂につかる。おお気持ちいい、と言う。そうして早めにベッドに入る。ほーら、健康だ。健康健康。ああハッピー。素敵な一日でした。私は横目でちらりと嘘つきの神経を見る。嘘つきの神経はじっと私を見ている。想像の中で、その一本の神経は、派手な服を着た若い女の子の姿をしている。しばらくはこの嘘つきの女の子と一緒に暮らして、彼女にやさしくしようと思う。

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嘘つきの子ども

 母の前で僕は嘘つきになる。母が年をとって弱ってだめになって問題を起こすから、ではない。昔から僕は、親の前で嘘をついていた。

 僕の自己認識はとうの昔に「自分の両親の息子」であるより「自分の娘の父親」である。しかし子は成長する。じきに成人する娘に、親というものは、そりゃあいたほうがいいだろうけれども、いなくたってまあどうにかなる程度のものでしかない(そうでなければこちらが困る)。だからそろそろ年老いた両親の保護者としての役割のほうが重要になって、僕はふたたび「人の親」より「人の子」としての認識を強めなくてはならないのだろう。そう思って、僕はため息をつく。親。このやっかいなもの。

 僕は当時としては遅くにできた子で、両親はいま八十代。平均的には定年後に直面する親の介護問題が十年早くやってきたような具合だ。両親は地方に、僕は自分の家族と東京に住んでいる。父親は足腰がやられてろくに外出もできなくなった。そしていらいらして母親に暴言を吐く。執拗に吐く。いやな話だけれど、僕の田舎ではよくある話でもある。物理的な暴力をふるっていないだけましだと言われる。誰に言われるかというと、母親が父親にいびられて家を出て街をうろついていると警察官に保護されて、その警察官に言われる。殴られたわけじゃないんですから、とか言われる。

 そんなわけで僕の携帯電話には警察や母親から電話がかかってくる。警察官は、息子さんがちゃんと親御さんの面倒を見てください、と言う。母親は父親が「家に他人を入れるな」と怒鳴って介護士を追い返してしまうと言う。他人でなくて介護をしてくれるのは息子だけだと言う。東京で仕事があるから行けないんだよと僕は言う。僕にも生活があるんだ、自分の家庭があるんだよ。

 嘘である。僕の職場には早期退職制度がある。僕はそろそろその制度の利用が可能な年齢にさしかかっている。娘は来年大学を卒業するし、妻も働いていて、僕をあてにする経済状況ではない。なんなら僕を助けてくれるだろう。僕が介護のために田舎に帰ったからといって崩壊するような家庭ではない。僕はただ田舎に行きたくないのだ。僕は定年まで仕事をしたいし、もっといえば、介護なんかしたくないのだ。

 父親は昔から僕に向かって感情をあらわにすることがない。感情を表出する能力が低いんだと思う。はけ口は母親しかない。僕にとっては無愛想ながらやさしい父親だった。それなりの良識をそなえてもいた。でも今はそういう人格ではない。ただの精神的DV男である。母親をののしるくらいしかすることがない。母親は、自分はもう生きていてもしかたがないと言う。どうせもう長くないんだから楽になりたいと言う。これから死ぬと言う。すぐ来て自分を殺してくれと言う。

 僕はしばしば、夜中に母親からの電話を取る。こっそりベッドを抜け出して暗いリビングで通話ボタンを押す。そうして電話の向こうの母親に言う。そんなこと言わないで、死ぬなんて言わないで、長生きしてよ、みんなそう思ってるからさ、僕もできるだけそっちに行くから、仕事さえ都合がつけば。

 嘘である。僕は「死ぬ」「殺してくれ」と包丁持って迫ってくる母親と始終顔を合わせていたくない。仕事が休めても田舎に行きたくない。親にずっと生きていてほしいと思わない。あと数年のうちに始末がついてほしいと思っている。要するに早く死ねと思っている。思っているも同然だ。僕は、親に、死ねと思っているんだ。

 僕はやさしい子どもでいたかった。でもそうではなかった。ほんとうの子どものころから、僕はやさしくなんかなかった。父はやさしかったし、母はもっとやさしかった。彼らは自分たちのことより僕のことを優先させた。彼らは借金をしてまで僕に特段の教育を受けさせた。物心ついたころから僕はいつも後ろめたかった。だって、両親が僕を愛するようには、僕は両親を愛することができなかったんだ。僕にできたのは嘘をつくことだけだった。自分より親を大切に思っているふり。そうすれば彼らはこう言ってくれた。わたしたちのことより自分を大切にしなさい。ああ、僕は最初から、自分のほうが大切なのに。

 父親は弱りきって僕にことばをかけてくれなくなった。母親は弱りきって僕を振り回すようになった。でも僕はいまだに、彼らがいつか言ってくれると、心のどこかで思っている。わたしたちのことより自分を大切にしなさい、自分の人生を大切にしなさい、幸せになりなさい、お父さんとお母さんはそれが幸せなんだから。

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