傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

誰も殴らない兵隊さん

 父親の墓参りに行く。
 東京から新幹線と在来線を乗り継ぐ。慣れた道をたどり、墓掃除をする。まだ寒いが、実家の雪おろしがないだけ気楽なものだ。母親は父親の一周忌を終えて以降、近隣の施設で暮らしている。母親は高齢でいろいろなことを忘れているが、墓参りをしたと言うと安心するので、盆と命日近辺に郷里に行き、きれいにした墓の写真を見せるようにしている。

 十数年前、存在を知らなかった姉が四人出てきた。
 人間は突然生えてくるものではない。彼女たちはもちろんずっと生きていたのだが、僕はぜんぜん知らなかったのだ。両親がともに再婚だとは聞いていた。母親は「前の結婚では子どもが生まれなくて離婚して、お父さんに拾ってもらった」と言っていた。父親は来し方行く末を話すタイプの人間ではなかったので、自分は一人っ子なのだと、ずっとそう思っていた。
 僕にお姉ちゃんが、四人も? なんだかラノベみたいだ。四十のおじさんに五十代の姉四人が出現したっていう話だけど。いける設定かな。
 そんなふうに笑うしかないような話題ではあった。
 僕は両親、とくに父親が高齢になってからの子どもで、だから上にきょうだいがいるのは、そんなに不思議なことではない。母親が父親と出会ったのが四十近くになってからで、父親は自分の前の家庭のことなど何も話さずに平然と過ごすような人間だった。
 そのような父親も年をとると弱気になるのか、あるいは僕が東京で「ひとかどの人物」になったと感じたからか(ほんとうにそういう言い方をするのだ。しかも僕の前では言わない。母親に言って、母親が僕にこっそり電話してくる)、正月の機嫌の良いときを見計らって「僕の知らない資産なんかを持っていないか」というような意味のことを尋ねると、素直に口をひらいた。そして僕には姉がいると言ったのだ。
 親が死んで相続の手続きをしたら知らない土地を持っていてすごくめんどくさかった、という話を聞いて、僕の実家にもそういうのありそうだなと見当をつけてはいたけれど、それどころじゃなかった。知らん姉。しかも四人。
 四人のうち三人は初婚の家庭の子どもで、一人は結婚していない別の相手との子どもだった。
 父親はそのような人々に連絡を取り続けて親としての責任を果たすというような考えはとくになかったらしく(ひどいと思うが、意外ではない)、僕は苦労して彼女たちと連絡をとった。父親の初婚の相手との子どもである人は、僕の顔を見て少し笑い、よかった、うちは女の子しか生まれなかったから、と言った。春になると花が咲くわねというように。女しか生まれないからよそで子どもをつくってその子も女だからまた別の人間と子どもをつくってそれが男だったから結婚するなんて、少しも当たり前のことじゃないのに。

 父親は戦争に行った最後の世代である。
 だからというのではないが、僕はわりと戦争ものを読んだり観たりする。少し前にも、やはり戦後をテーマにしたマンガを読んだ。主人公は戦地で部下を殴らず、帰ってきても女を殴らず、男の子どもができないからといって産む人間を取り替えたりもしなかった。戦争に行ってひどい目に遭ったってまともな人間でいることはできるんだ。僕はそんなふうに思って、ぼんやり嬉しくなった。主人公が戦地でつけられた傷をひたすように酒を飲みながらも、戦後のめちゃくちゃな日本でそれなりに店をやったり、戦友と再会したり、若い女性になつかれるようすを、しみじみと読んだ。彼は人を殴らず、搾取しなかった。僕はページをめくりつづけた。そうして彼はふと死んだ。
 僕はさみしかった。戦争に行ってひどい目に遭って、それでも誰も殴らなかった兵隊さんは、死ぬんだ。

 父は人を殴る男だった。
 僕も小さいころは殴られた。でも主に殴られるのは母親だった。父親は男というものをよほどいいものだと思っていたのだろう。僕は少し大きくなると殴られなくなった。母親もできるだけ殴られない方法を学習したらしく、とにかく父親の機嫌を取るために生きていた。けれど年をとって以前ほど家事ができなくなり、気も回らなくなると、父親はまた母親を殴った。足を悪くしてろくに出歩けないのに、座りこんだまま母親を呼んで杖で殴るのである。
 そしてずいぶんと長生きをした。

 僕は人を殴ったことがない。でもそれは戦争に行っておらず、父親に少々しか殴られておらず、子どもをつくらなかったからかもしれない。
 それもこれも昔の話である。父親の次の周忌には、もう母親はいないだろう。そうしたら墓じまいをして、それきりのつもりである。

忘れていても世界は

 子どもがひっくり返って泣きながら暴れている。理由は箸が転がったからである。どぉおおぉしてええええええ。どおおおおしぃてえーーーー!
 箸が転がるのは、この家が地球にあり、地球には重力があり、箸が置かれた場所には傾斜があり、それに対して摩擦係数が不足していたからである。念のため子どもがわかりそうなことばを選んでそのようにこたえたのだが、子どもにとって意味がないだろうことはわたしにもわかっていた。子どもはこの世に重力のあることがそもそも納得いかないのである。あるいは皿のふちに傾斜のあることが。もしくは皿の上を何かが滑ることが。そのような、この世の法則のすべてが。

 もっともなことである。だってそんなのはみんな自分のあずかり知らぬところで勝手にできた法則なのだし、そのような法則がどれだけ大量にあるかも、子どもは(ほんとうのところはわたしも)知らないからだ。これが理不尽かつ強烈な不安でなくて何だというのか。たとえば明日「今日から重力はありません」ということになったらわたしだって床にひっくりかえって大暴れする。最初に重力とやらを飲み込んだときも、かなり不承不承だった。不本意ながらしょうことなしに飲み込んだように記憶している。ぜんぜん納得できなかった。ほんとうは今でも納得しているのではないのかもしれなかった。
 「そういうものだ」ということばはすべて役に立たない。なぜそういうものなのかがわからないからだ。
 今でもわからない。
 わからないことを便宜的に忘れて、適応のために忘れつづけて、何もかもわかったふりの大人の顔して、あまつさえ子どもをこさえて「そういうものだから」と言う。奇妙なことである。世界は、わたしが忘れているあいだも、いつもこんなにも理不尽で不可解で、そのことをはっと思い出すだけで遠い遠い宇宙の果てに飛ばされるような気のするものなのに。

 子どもがもう少し大きくなったら、自然法則、すなわち「そういうものだと解釈されていて、基本的に変更がきかないもの」と、社会の慣習、すなわち「そういうものだとされているが、場所によって異なり、人々の働きかけによって変えることが可能なもの」を峻別させるために、話し方に気をつけなくては、と思う。わたしの親は悪くない親だったし、感謝もしているが、そのあたりは雑だった。学校教育と読書で区別がつくようにはなったが、自分がつくった家庭内でごっちゃにしたくはない。
 そのように思いながら、保育園行く、と言う。子どもは幸い保育園を好きである。行く、と言う。疲れるまで暴れて声がかれている。わたしが子どもに語りかけているあいだに床の上の皿と食べ物を片づけた夫が濡らしたハンドタオルを持ってきて子どもの顔を拭く。はい、おはな、びー、と言う。
 夫は子どもが泣きわめいてもとくに気分を害さない。わたしは「わかるわあ」と思って共感しながら「しかし食べ物を投げるのはよくない。やめなさい」などと語っているのだが、夫はそうではない。子どもを「マジ何考えてるかわかんない生き物」と言う。子どもが先ほどのように大泣きしているときは、「そうだなー、思いどおりにならないなー。腹立たしいなー。うん、そのとおりだ。よーし、泣け泣け。泣いて立派な大人になれ」と思っているのだそうである。どのあたりが「そのとおり」なのかと尋ねれば「そんなのぜんぜんわかんない。適当に言ってる。あと、片づけめんどくせえなと思ってる」と言う。
 そういえばこの人は実家の犬が(散歩もフードも足りているのに)不満顔してうにゃうにゃ鳴いていたときにも「おう、本当にお前の言うとおりだ。なるほど実にもっともだ。犬さんはまこと慧眼ですなあ」などと言っていた。雑な男なのである。

 夫には、わたしの世界に対する感覚はわかるまい。子どもだって、きっとわたしと同じ感覚ではない。もし子どもが考えていることを言語化する能力があったとしたら、わたしが推測して共感している内容はまったくの見当違いだろうと思う。
 夫は子どもを保育園に連れて行く支度をしている。わたしは出勤する。わたしが早出で子どものお迎え係、夫が送りの係、リモートと組み合わせてどうにかやっている。歩道を歩く。駅に近づくにつれて人が増える。人ごみ用の速度調整をしながら地下鉄の階段を下る。自動改札機にスマートフォンをかざす。ホームに立つ。仕事のメールを返す。わたしの一部はまだ、わたし以外誰もいない宇宙の果てに向かって飛ばされていて、何ひとつ納得していない。

眠るために生きている、あるいは「自己肯定感」が要らない人間

 よく眠れたら気分が良い。しかし、少々の睡眠不足もそう悪いものではない。「今日の寝つきはさぞ良いだろう」と思えるからである。
 レストランでコースを食べてデザートにコーヒーを合わせるのは特別なときだけである。夜に、しかもアルコールとちゃんぽんで、カフェインを摂る! なんてこった。不良のすることである。
 朝は決まった時間に起きて日光を浴びる。これがもっとも重要である。運動も必須だ。週に二回はジムへ行く。

 わたしは眠るのがへたである。今は前述のような努力によって人並みに眠れるようになったが、以前はひどいものだった。もちろん医学的にもしっかり睡眠障害だった。苦しかった。それでずいぶんがんばった。
 若く貧しかったころは家賃を抑える必要があったが、朝の日光が大切なので、駅から遠くてボロボロでも日当たりの良い部屋を借りた。夜中まで働かなくて済むよう常に効率を考え、深夜まで出かけるのは月に一度までとし、年に二ヶ月はアルコールを完全に抜き(眠りに問題がある酒好きの人は試しに一ヶ月飲まないでみてほしい。一週間や二週間じゃなくて、一ヶ月以上。マジできく)、とくに楽しくもないジムを習慣にした。歯磨きみたいなものだ。だいたいの人は歯磨きを娯楽としていないけど、毎日何度もするでしょう。
 二十二かそこらで「眠れるようになる」と決意して十数年試行錯誤して、わたしは眠れるようになった。現在のわたしの人格は眠りに関する問題を基盤として形成したといっても過言ではない。

 そんなだからわたしはいまだに眠気を「いいもの」と思っている。休日の昼寝は夜の眠りを妨げる可能性があるやっかいな誘惑だが、トータルで睡眠時間が足りていないときは昼寝OKとしている。
 かくしてわたしは家族から「よく寝る人」とされている。年をとってから出会って、昔のわたしを知らないからだ。わたしは眠るべき、あるいは眠ってもよいときに眠気がやってくると眠気を讃える口上を述べて床に入るので、「睡眠の神を信仰している」とも言われる。
 みんなが睡眠神を信仰しないのは、眠くて苦しいのに眠れない、あるいはうとうとするなり冷や汗をびっしりかいて起きることがあんまりなかったからじゃないかと思う。
 眠りがダメな人の主観において、入眠できないのは「眠れない」というより「眠らせてもらえない」、中途覚醒は「起きてしまう」というより「たたき起こされる」ものである。自分でない、自分より大きなものによって決定されている感覚なのだ。だからその自分でないものに祈り、眠れそうなら感謝する。
 昔の文豪が「女というのは眠るために生きているのではないかしら」などと言っており、そいつは男だったのでなんか腹立つせりふだなと思うが、わたしに関しては、うん、人生の目的の半分弱は眠るためですね。あと半分近くは食うためで、残りちょびっとがその他諸々という感じです。快適な環境で眠って美味しく食べるためにがんばって働いております。

 友人が言う。動物だね。
 しかし現代人は少しくらい動物であったほうが快適なんだろうな。きみ、自己肯定感って聞いたことある?
 ある、とわたしはこたえる。意味はわかる? と友人は質問を重ねる。わたしは小さい声で言う。よくわかんない。ググってもわかんなかった。
 友人はうなずく。そうだろうね。「自己肯定感が低い」という人は、本人が肯定している対象が自分にまつわる属性や評価なんだ。稼ぎが多いのが偉いと思っていれば収入が下がると「自己肯定感が下がる」し、モテるのがが偉いと思っていれば性的に人気がなくなると「自己肯定感が下がる」。与えられた課題を失敗なく遂行することが偉いと思っていれば、失敗したときに「自己肯定感が下がる」。素晴らしい社会性だ。こういう人たちがいないと社会はうまく回らない。でも言葉の定義には問題があると思う。稼ぎも性的評価も、もちろん自己ではない。「与えられた課題を失敗しない」はもっとわかりやすくぜんぜん自己ではない。
 彼らの言う自己肯定感というのは評価基準の中での立ち位置で、重要なのは「稼ぎがあるやつが偉い」とかの尺度のほうなんだね。そう解釈するとよく理解できるんだ。自己自体は、そんなに見たくないんじゃないかな。だってきれいな属性をつけている人間も、剝いてみたら食って寝るだけのものだからね。あなたみたいな存在だ。まったくたいしたものじゃない。
 たいしたものじゃないと、いけないの、とわたしは訊く。友人はこたえる。彼らにとってはね。でもあなたは気にしない。
 気にならないな、とわたしは思う。今日の晩ごはんは何にしようかしら。

母数が大きいところ

 転職して半年が経った。転職先の環境はきわめて快適である。
 新しい勤務先はフルリモートワークOKで、最初の一年は制限があるとか、そういうのを想像していたのだけれど、「いえ研修二日間やってもらったら三日目からは好きにしていただいていいのです」とのことで、何なら僕がよくやりとりする社員の一人は高知の山奥に住んでいるのだった。それでも仕事上問題ないのだ。社員の半分が首都圏外に住んでいる。ガチリモートである。
 しかし、対面のほうがコミュニケーションコストが低いことはたしかだし、僕は自宅の環境をまだ整えていないので、具体的に言うと今の住まいではオフィスチェアを置く場所がないので、平日の半分は出社している。「毎日の出社はイヤだが週一回は来る」「二回は来る」という人もいる。
 地方に住んでいるメンバーは年に二、三回は東京に来るようである。全員を対象とした研修会が一度、それから関連部署の対面での意見交換会が一度あるのが標準みたいだ。たいていは連休につなげて組まれていて、やって来た地方メンバーは観光をしたり、趣味を追求したり、たまの都会だからと言って朝まで飲んだりする(この人はふだん人の数より牛の数が多い町に住んでいる)。

 地方メンバーが来ると首都圏メンバーもいそいそとランチや飲み会に出てくる。僕も行く。楽しいからだ。
 フルリモートを選ぶ理由としてもっとも多いのは子育てと介護である。次に多いのが「地元を出たくない」「自然のあるところに住みたい」。あとおもしろかったのが「体力がないので、なにかというと横になりたい」とか、「何をどうやっても朝起きられない」とか。この会社だって朝9時からのミーティングとか全然あるんだけど、出社しないなら8時50分まで寝てられるもんな。あと「コミュ障で人と接すると疲れるから家から出たくない。電車などという人がみっしり詰まった箱に毎日乗る意味がわからない」という人もいて、コミュ障でもたまの飲み会はOKなんすね、と言ったら「そういうものなんです」と言われた。へえ、そういうものなんだ。
 「そういうものなんだ」っていいね、と隣に座った同僚が言う。この人はブルガリアから来て在日十五年である。なんかテキトーでいいね、と彼は言う。雑でちょっとバカっぽくて、言われても負担感なくて、誰にでも言える、いいせりふじゃん。

 誰にでも言えるはずだが、僕はそのことばを、前の職場では言えなかった。
 僕の前の職場は上司が男の社員だけ引き連れてキャバクラに行くようなところで、リモートを取り入れても仕事自体はちゃんと回っていたのに、あっという間にフル出社に戻った。僕はフル出社でも問題なかったけれど、そのために乳幼児を持つ社員が何人か辞めた。うち一人は男性で、そのことを別の社員が小馬鹿にしたように話していた。男が子育てのために転職することについて、「降りる」という語を使っていた。彼らのことば遣いはときどき僕に言いようのない不快感を与えた。たとえば顔立ちが極東アジア人として典型的ではないような人物に対して「あれは純ジャパじゃないでしょ」とか。
 何が嫌なのか明確に言えなかった。でもあれもこれも、ほんとうは嫌だった。
 男だけではない。僕は一時期女性が非常に多い子会社に出向して、その期間ほとんど毎日苛々していた。本社から出向した少数の社員が多くの女性社員を管理している場所で、女性社員たちはコスメとファッションとSNSとダイエットとグルメと彼氏および旦那の話をしていた。彼女たちは毎日元の顔がわからないような化粧をして、そんな人は今の会社にだっているけれど、集団でそんなふうであることが、そしてそれ以外の要素が見えないことが、僕にはどうしてもいやだった。そして彼女たちは人は必ず結婚すると思っていて、僕に「アプローチ」するのだった。僕が「優良物件」で「ちょうどいい」から。
 バカな女ども。
 そんなせりふを口にしたのは生まれてはじめてだった。もちろん会社の外でだったけれど。

 そっか。ブルガリアから来た男が言う。きっと「純ジャパのエリート」が入る会社だったんだね。好待遇を棒に振ってコミュ障ガイジン朝寝坊の会社に「降りて」来たのかい、HAHAHA。
 僕はそっと彼に耳打ちする。それがね、今の会社のほうが、給料、いいんだよ。俺は自分が損する転職はしないよ。
 彼はにやりと笑う。それもそうか。大きい母数から選んだほうが、コスパいいに決まってるもんな。

かわいいと言ってくれてもかまわない

 かわいいと言われたくなかった。正確には、大半の人に言われたくなかった。
 なぜ言われたくないのかと問われたら、むしろ「なぜ言われて嬉しいと思うのか」と問い返したかった。守るべき子どもではない成人に対して別の属性の人間が「かわいい」と言うとき、その大半は「御しやすそう」という意味を含む。若い女同士だと別のコードが発生する。たとえば「若い女として価値が高いとされる容姿である」とか「一緒にいるときに都合が良い容姿である」とか、そういう意味である。
 わたしはそんなのひとつも嬉しくなかった。
 わたしをかわいいと言っていいのは親と仲の良い友だちとつきあいが長くて信頼している彼氏だけだ、と思っていた。そういう相手の言う「かわいい」はわたしに対する評価ではなくその人の感情である。それは言ってくれてもかまわない。わたしも言う。わたしが日常的に感情のやりとりをすることを相互に了解している相手だからである。
 それ以外の「かわいい」は、たとえば大学や会社で親しくもない男性から発されるもので、わたしにとっては「ナメられている」以外のなにものでもなかった。ナメかたにはいくつかの種類があり、「女にはこう言っときゃ気をよくするだろ」という無思考な慣用句から、「おまえこの仕事ではおとなしくしてろよ」という意味を持つもの、「ニコニコしてホステス役をしていろ」との含意があるもの、さらにはセックスの相手になるんじゃないかという打診が含まれた。
 「ナメている」と思った。若くて潔癖で攻撃的だったというのもあるが、中年期のいま思い返しても、「うん、ナメられてたよな」と感じる。わたしは童顔の女であるだけでなく、背が低くて体重が軽くて、要するに見た目が弱そうというか、体当たりしたら物理的に負ける側なのである。人間もまた動物であり、物理的に強いやつはナメられにくい。わたしのように筋肉量が少ないタイプの人類はそれをおぎなうだけの防衛を必要とする。
 若いわたしはだから、自分と私的な関係がなく、この先それを持つつもりもない相手からの「かわいい」を真顔で無視した。無視が効かないときには「何言ってんだこいつ」という意味の表情をつくった。そういうのは練習すればできるようになる。
 彼らはわたし個人を選んでナメているのではない、とわたしは思った。わたしのポジション、たとえば大学や会社の後輩で性別が女であるような人間をナメたいのである。だから同じような属性の別の人間と比べて扱いにくい、すなわちコスパが悪いとわかれば、ターゲットを変える。わたし個人に執着があるのではないから、技術さえ身につければ追い払うことは可能である(わたし自身に執着しているケースを排除するのはもう少したいへんである)。
 若いわたしはそんな具合にナイフみたいに尖っては「同じポジションの男には言わない『かわいい』」を言う者みなシカトして生き、そのために困難が生じないわけではなかったが、トータルとしては自分にとって快適な環境を手に入れることができた。人生は戦いであり、手持ちのカード、わたしなら「小さい女」というカードが配られても、武器を持って戦って生き延びるしかないのである。

 そのようにして生き延びたわたしは現在中年であり、職場においては社歴の長い中間管理職で、会社の中でささやかな権力を保持する「うるさいおばさん」である。こうなると少なくとも会社ではさほどナメられない。ラクである。
 今の若い人はわたしたちが若かったころとは別の意味で「かわいい」と言うことがある。多くの場合「あなたはまだ『女性として』価値がないわけではないですよ」という意味を含むので、言われたいとは思わないが、それ以外の意味のほうが強く、かつナメ度が低い場合は、完全に拒絶するところまではしない。なぜならわたしは彼らにとって媚びへつらったほうがいいのではないかと誤解させるポジションにいるからである。

 ほーん。わたしがこのような話をすると、夫は妙な声を出す。おれはかわいいって言われたらうれしい。おれにとってはきみもタロちゃんもかわいいので、かわいいと言う。おおかわいい。
 タロちゃんはわたしたちの犬である。
 あなたがかわいいと言われてうれしいだけでいられるのはあなたがでかい男だからだよ。そう思う。
 かわいいかわいい、と夫は言う。かわいいかわいい、とわたしは言う。夫は何も考えてない顔して笑う。犬みたい、とわたしは思う。

いいよいいよ、溜め込んでな

 五十の坂が見えるとにわかにホットになる話題が「親の家の片づけ」である。
 友人が言う。うちの親もね、わたしがちょいちょい顔出してやいやい言ってるし、近所の友だちに対する見栄もあるから、一階はきれいにしてる。でもさあ、なにしろ田舎の立派な一軒家だから、二階は物置よ。で、本人はもう階段上がるのも面倒になってる。どうすんの、あの大量のがらくたを。
 わたしは友人の話に頷きつづける。友人は怪訝そうに尋ねた。なに仏さんみたいな顔してんの。
 わたしは言った。わたしはもう、親の持ち物に関しては、好きにしてもらおうって決めたの。物置部屋があるなら万々歳、生活空間が多少ごちゃついたっていいじゃない。

 かつてはわたしも親たちの大量の所有物に眉をひそめていた。最後に片づけるのはわたしら子どもじゃん、と思っていた。そして生家を訪ねては、物置と化した客間(昔の住宅にはなぜかこの客間というやつがあった)とかつての子ども部屋をチェックし、こんなものまで取ってある、と文句を言っていた。そのうち、と親たちは言った。そのうち片づける。
 そんなわけはない。判断力も体力も衰える一方だろうに、若くたって面倒な「選んで捨てて片づける」なんてできるわけがない。両親は「選ぶ」だけやってくれればいい。わたしが捨てたり片づけたりしてあげるから。
 そう思っていた。
 しかし両親はいつまでも「選ぶ」をやってくれない。やるとは言う。言うが、実際にはやらない。
 捨てたくないものは捨てなくていいと思う、とわたしは言った。でもいらないものは確実にあるでしょう。ごちゃごちゃになってるでしょう。
 母はあいまいにうなずいた。父は「ぜんぶ捨てていい」と言った。本心でないことは明らかだった。
 わたしが子どもだったころ、似たようなことがあったな、と思った。
 やらなくちゃいけないけどやりたくないこと、それもどうしてやりたくないか自分でもわからないことが、わたしにはときどきあった。すると母はガミガミ言い、それでもわたしがやらないと突然お説教をやめて、知らん顔して過ごす。そうしてしばらくすると、今度は父がやってきて、わたしに言う。おう、あの話な、おまえ、なんか、絶対、ヤなんだろ? 父がそう言うと、わたしはどうしてか、必ずちょっと泣いてしまうのだった。すると父は、わたしがそれをしないでいることで生じる可能性について、脅すでもなくその結果を肩代わりすると言うでもなくただ述べ、「そろそろ晩飯だ」などと言うのだった。
 そんなことが、小学生から高校生まで、あわせて片手の指の数ほどあったように思う。

 わたしは客間に入る。
 母はもうそんなに凝った料理はしない。しまい込んだ大鍋や大きなブレンダー(母はミキサーと呼んでいた)やお菓子作りの道具はもう二度と使わないだろう。だから古い台所用具の入った段ボールは捨ててかまわないはずである。父の大工道具や庭いじりの道具も同様だ。庭なんかとうに潰して駐車場にして近所の人に貸している。両親にはそれぞれ昔凝っていた趣味があり、その道具も堆積している。
 ほかにもまだある。アルバムに整理されていない、ビニール袋に束で入れられたままの写真。古い家電。祖父母の家にあったような気がする桐箪笥や、わたしのでなかった人形や、あれやこれや。
 要するにゴミである。
 でも一掃するのは「なんかイヤ」なんだろう。
 それらの入った箱をあけることが生涯なくても、イヤなんだろう。理屈でものを言えばたいてい通じる、いろいろな変化を「今はそうなのか」と飲み込んでもくれる、いわゆるものわかりの良いわたしの両親が、それでもイヤなんだろう。

 わたしは自分の持ちもののほとんどを捨ててもかまわないが、「合理的な理由があるから、SNSのアカウントを全消ししろ」と言われたら、なんかイヤである。昔の投稿なんか全然見やしないが、でもイヤである。
 アイデンティティというかアイデンティファイというか、そういう話なんだろうな、とわたしは思う。過去が大切だなんて結構な話じゃないか、と思う。

 わたしがそのように言うと、友人は顔をしかめる。そして言う。そしたらあんた将来どうすんの、そのがらくたを。
 わたしは澄ましてこたえる。そりゃ全部捨てる。でっかい重機で家ごとガーっと更地にしてもらう。それがイヤなうちは親が自分たちの資産で家をキープしたらいいのよ、施設に入ってもずっと、死ぬまで。そんで死んだら更地。アイデンティティも最後はカネの問題よ。なあに、子どもにそれを肩代わりさせようとする人たちじゃないよ。

女のいない男にしない女

 疫病が流行していわゆる行動制限が課されているあいだ、重要でない人間は放っておいた。たとえばテンポラリな色恋の相手である。
 わたしは経済や生活の上で自立していて、色恋は娯楽である。自分で働いて買った自分の基地であるような自宅に、わたしは男を呼ばない。この場合の男というのは、遺伝子がXYで戸籍が男性ということではなくて(そんなのは友人にもたくさんいる)、わたしがセックスすることもある人物をさす。男は、わたしがその相手に好意のあるあいだは、楽しみを提供する、悪くないのものである。しかしわたしの好意がなくなればただちに無関係に戻れる状態で交際したいものである。相手が強く望むなら一対一の関係を受け入れることもあるが、わたし自身は一対一より複数対複数で相互に思い入れが少ない関係を好む。
 わたしは二十歳から二十年と数年のあいだそのような考えを持っている。男たちもそのことはわかっている。彼らは二ヶ月から年に一度ほどのゆるやかなペースでわたしと過ごす時間を必要とし、わたしは彼らの打診に応じて予定を調整する。全員が働いているので、予定調整はだいぶ前からおこなわれる。

 わたしは今でもそのような暮らしをやっているのだが、疫病が流行してから三年間は控えていた。疫病じたいはなくなっていなくてもその影響がほぼなくなった四年目、男たちは「ではそろそろ」というようなメッセージを送信し、わたしは彼らと再会した。
 そのような中、急な連絡を寄越した男があった。疫病前には海外出張のたびに都心のホテルにわたしを泊めていた、地方都市に住む男である。出張帰りに数日東京に滞在するので、わたしの予定の合う日に一泊していた。東京では怠惰に過ごすならわしだとかで、食事からバーまでホテルの外に出ない男だった。
 しかし疫病流行後のその男は、なぜだか日付指定で「遊びたい」と言うのだった。「当たり前だけど、急に日付を指定されても空いている可能性はきわめて少ない」とわたしは返信した。不審だった。以前のこの男は、海外出張の予定が出てすぐに、だから当日の一ヶ月以上前から、わたしに打診していたからである。
 それから一週間が過ぎ、今度は「この週末に東京で会いたい」というメッセージが届く。わたしは少し考えてスケジュールを確認し、日曜日の20時以降少しなら、と返信する。「土曜日はダメかな」と返信が届く。いや日曜日の20時以降しかダメって言ってるじゃん。この人こんなに日本語読めなかったっけ?
 わたしは不快になり、放っておく。
 またメッセージが届く。明日東京に行くから夜会おうよ!
 わたしはそのアカウントをブロックする。

 人間って急に日本語が読めなくなることあるの? 認知症にはだいぶ早いよね。
 わたしがスマートフォンを見せて尋ねると、友人が言う。
 うーん、この人はあなたを急に呼び出したかったんでしょ。えっと、それこそが目的だったんだよ。理想的には「いま来い」って言って、それで来てほしかったんだ。でも相手が悪かったね。
 わたしは混乱する。なんで? わたしと遊びたいなら前みたく予定を添えてオファーすればいいだけの話じゃん。予定が合う日があったら、わたし普通に行くのに。
 ちがうんだよ。友人は苦い顔して言う。
 あのね、この人はたぶん、いま「おれの自由になる女」がいないんだ。それで「呼んだらすぐ来る女くらいいる」と思いたい。だから手持ちのコマの全員にそういうLINEを送る。あんたは普通に「予定が合わない」と返信する。あなたはぜんぜんわかってない。礼儀正しくお互いの予定をすりあわせるなんてね、そんなの、今のそいつにはきっと、ぜんぜん必要ないの。そいつはただ「呼べば来る女」が、たぶん地元にいなくなって、そんで代わりを求めて東京に来てるだけなの。

 わたしはぞっとする。なんで、と言う。わたしたち貸し借りなしで楽しく遊んでたじゃん。わたし、なんか、悪いことした? そんなわけのわからない役割を求められるようなこと、した?
 友人が言う。あなたは何もしてない。ただ対等に楽しんでいただけ。でも人間の一部には、自分の性行為の対象になる属性を持つ生き物を、自分が呼んだら飛んでくる存在にしたいタイプがいて、あなたは気づかなかったんだろうけど、この人は、たぶん、そういう人なんだよ。対等なんかほんとはぜんぜん必要ないんだ。以前はあなたに合わせることで「東京にも女がいる自分」をやりたかっただけ。この人はあなたをほしいんじゃないんだよ。この人は、自分を「女のいない男」にしない女が必要で、ただそれだけだから、こんなに必死になってるんだよ。