傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

めんどくささの範疇

 友人の職場は景気がいい。右肩上がりのベンチャーで、何度か大幅な事業拡大をして、都度求人を出している。友人はその求人の波のひとつに乗った。二年前のことである。私たちはいわゆる氷河期世代ど真ん中の、しかも女で、同世代の仲間うちに転職経験のない者がいない。みんなわりと平気で職場を変える。生き延びるために、私たちはそうしてきた。

 生き延びるために必要なことは何かと問われれば、私たちはおそらく同じ回答を返す。変化に応じること。環境に飲まれないこと。勉強と訓練を厭わないこと。何もかもできるようになろうなんて絶対に思わず、手持ちのカードでどうにかやっていくこと。何かが与えられなかった事実を認め、そののちに忘れること。選択肢がないと思わないこと。明日失職しても自分の価値がそこなわれるのではないと思うこと。明日失職したら食べ物や宿や気晴らしを提供しあえる仲の友人を複数作っておくこと。すなわち、戦略的に群れ、自分だけの基準で群れる相手を選択し、同時に自立を徹底すること。

 この友人はとにかく丈夫でハードワークをものともしない。天敵は退屈、そして裁量のなさ、というのが本人の言だ。とても若い時分に結婚して早々に離婚してしばらくしてから事実婚をしてまた別れて今は新しい恋人と住んでいる。元気な人である。

 職場ねえ、と彼女は言う。うん、いいんだけど、みんな、なんていうか、恋愛しすぎなんだよね。そう言う。人のこと言えるのかと私は思う。思ってそのままを口にする。彼女は言う。

 いや、あんたはね、「先の別れののち、恋人がおりません」とか言ってぼけっとしてる間に一年とか二年とか過ごしてへらへら笑ってるじゃん、そういう人にはわからない、あんたはほんとうはさみしがりじゃない、わたしたちはさみしがりだからそこらへんで恋愛をする。うちの会社はねえ、もうとにかくくっついて離れてくっついて浮気して離れて結婚して離婚して子どもつくって子連れ再婚してその相手がぜんぶ社内でなおかつ不倫相手も社内みたいな感じなの。しかもみんなその状況を知ってるの、当人たちがしゃべっちゃうから。

 彼女のせりふを聞いて私は仰天する。なんだそれは。うちの職場にはぜんぜんないよ、ちょっとあってもいいと思うくらいだよ。恋愛とかしたくなったら相手を探しに行くか、職場以外で見繕ったらいいのではないか。人間はいっぱいいる。探しに行けばいいじゃないか。私たちの仲間うちには待ち合わせで立っていても友人同士で美味しいものを食べに行っても、何なら歩いているだけでも、どうにかして話しかけようという連中が出現する女がいるくらいだ。突っ立っていて声がかからないなら自分からかけたらいいだけの話だろうに。声をかける相手が見つからないならインターネットのアプリケーションなどを使用すればいいのではないか。

 私がそのように話すと、友人はかぶりを振る。探しに行くのがめんどくさいんだよ、たぶんね、うちはそこそこ老舗だけど、でもベンチャーだから、年齢構成が若い、それで、よけいにね、あと時間もないしね、いや、それだけじゃないな、うちの会社の連中はさあ、プライドが高いんだよ、つまり、「自分はたまたますれ違った人間で妥協するような者ではない」とか思ってる。

 自分にもそういうところちょっとあるから、言いにくいけど、まあそういうことです、ばーって走って野原に出てちょっといいなと思う人を目視して息せき切って走っていって「ヘイ、ビューティ」って言えないんだよ、あらかじめ選ばれた人間を供給してほしいんだよ、つまり自分の価値観とか、えっと、あからさまな言い方をすると、自分の中のカーストの上位の人間がいいんだ、選ばれた人間がほしい、そして、大量の人間の中からそれを選ぶのはめんどくさい。その結果がうちの会社の現状だ。社内恋愛、社内浮気、社内乗り換え、社内不倫、結婚、離婚、ふたまた三つ叉よつどもえ、三角関係四角関係。

 私は再度仰天する。そちらのほうがよほどめんどくさいだろう。人間はいっぱいいる。億とかいる。そりゃあ隣の席の人を好きになることもあるだろう。よく接する人に愛着を持つのもわかる。しかしそんなややこしいことになってまで、どうして色恋の相手を探しに行かないのか。彼女の会社のようなアグレッシブな環境で生き延びた人々が、なんでそんなにめんどくさがり、というか、受動的なのか。広い世界に出て、そこでやったらいいのじゃないか。そう思う。でも言わない。彼らのめんどくささの範疇と私のめんどくささの範疇が決して重ならないことを、なんとなく理解したからである。 

記念写真の日

 息子が卒園式でスピーチをすることになった。どうして選ばれたか知らない。保育園は学校ではない。成績とかはない。息子は引っ込み思案ではないが、人前に出ることを好むタイプでもない。発話能力だってとくに早熟なほうではない。だからたぶんてきとうに指名されたんだと思う。

 親が子のスピーチの原稿を作るのはどうかとは思うが、六歳児にゼロからお任せというわけにはいかない。わたしは息子の話を聞き、ホワイトボード(うちには脚のついた、まあまあ大きなホワイトボードがある。家族会議や落書きに使用する)に書き留めた。もちろんさりげなく、というか、かなりあからさまに枝葉末節を切り、誘導し、穏当なところに落ち着けた。最初からわたしが書いたほうがどんなにか早いかわからない。しかしながらわたしは家族と感情を交換するときの手抜きはできるだけしない。そのぶん炊事の手はがんがん抜く。昨夜は一昨日の鍋の残り汁にうどんをぶちこんだだけの晩ごはんを出した。汁が足りなかったのでお湯を足した。よくやっていると思う。

 息子は彼の祖父、わたしの父、通称「じいじ」を強く愛している。息子にとってじいじはゲストではない。レギュラー家族である。じいじは労働時間の調整のきくフリーランス、無類の子ども好き、高い家事能力、近居という四点セットをそなえ、息子の養育の一翼をになってきたのだ。じいじ抜きにはわたしか夫の会社員生活が完全に破綻していたと思う。

 息子はじいじに手紙を書いた。覚えたての文字で、このように書いた。じいじ そつえんしきにしょうた い します。3がつ 9にち 9じ

 じいじはいつも午前4時に眠る。年寄りが早起きになるというのは嘘である。以前は午前3時に眠っていたので、むしろ夜更かしが悪化している。息子の急な発熱であれば、寝ぼけまなこをこすって我が家に来てくれるだけでありがたいのだが、このたびはなにしろ式であるから、ちゃんとしてもらわなくてはならない。じいじにはそういう社会性がぜんぜんない。才能と技術だけで生きてきた人なのである。善良ではあるのだが、式とかにはまったく向いていない。

 じいじは深刻な声で、がんばる、と言った。具体的にどうがんばったかというと、寝ないで卒園式に来た。来て、せいいっぱい元気そうな顔で、クローゼットの奥から引っ張り出したのであろう襟のついた服を着て、ちゃんとした大人みたいにふるまおうとしていた。卒園式の後は園庭でのランチ休憩があり、わたしたち夫婦と息子は近くの仕出し屋のおいしいお弁当を食べた。じいじはそのあいだわたしたちの家で寝ていた。

 わたしはお弁当を作らない。保育園のみんなで食べるイベントのときくらい作ったほうがいいという人もいるだろう。小学校の入学グッズだって手作りしろという人がいるだろう。でもわたしはしない。誰かが作ってくれたものをお金を出してありがたく購入する。無理な手作りを繰りかえしたらわたしはきっと幸福な人間でいられない。わたしが幸福でいなければ、息子は幸福ではない。

 じいじは朝起きることができない。じいじには、わたしの母(ばあば)と結婚するまで「洗濯」という概念がなかった。服は腐るまで着ていた。服が腐るというのはどういうことか。ばあばは「とにかく腐っていた」とだけ言うので、詳細は知れない。

 わたしたち家族はきっと、誰も満点を取ることはできない。全員が、人生のうちの複数回、世間とか社会とかそういうところから、不合格のジャッジを受けている。ちゃんとしていないと言われている。でもそんなのはどうでもいいことだ。できないことはできない。ちゃんとした母親、ちゃんとした父親、ちゃんとした祖父母、そういうジャッジを、わたしたちは受け付けない。わたしたちは助け合って子どもを育てている。子どもだって育児雑誌のとおりに育ってきたのではない。でもそんなことは、いいのだ。この子の特性に合わせた環境を用意してやることができれば、それでいい。卒園式のスピーチの原稿を作るような、クローゼットから襟のついた服を引っ張り出すような、その程度の繕いは、わたしたちもする。そこにはほころびがあり、失敗もある(襟さえついていれば礼儀にかなっているというものではあるまい)。それでもわたしたちは澄ました顔で記念写真におさまるだろう。すべてのジャッジをしりぞけて、わたしたちはこれで完璧だという顔をして、四角い枠におさまるだろう。

こいつも仲間じゃなかった

 読み終わった小説やマンガは人にあげる。家に置くときりがないからである。たいていのものは読んでくれそうな人がいて、会うときに持って行ったり、段ボールで送りつけたりしている。

 いつもマンガを引き取ってくれる友人が言う。そういえばマンガ家の、ほらこないだデビュー作をくれた、あの人、二作目を出すみたいだよ。私はそれを聞いて、誰だろ、と言う。友人はちょっと眉を寄せてそのマンガのタイトルを口にする。こないだあんたがくれたマンガだよ、忘れちゃったの?

 忘れていた。言われてみれば読んだ。いま思い出した。私がそう言うと、友人はちょっと上半身をそらして私をながめ、それから、小さい声で言った。ちょっと前からどうもおかしいと思ってたんだけど、あんた、家族愛にあふれたマンガなら平気で楽しく読むくせに、「親兄弟と不仲だった主人公が仲直りする」みたいな展開はすごく嫌いだよね。嫌いっていうか、記憶から消すよね、存在を。あのマンガ家のデビュー作は主人公が家出する話だった。二作目は実家に帰って親と仲直りする話だっていうじゃない。あんた、そのパターンだと、消すよね、読んだ記憶を。

 そうかな、と私は言う。そうだよ、と友人は言う。間違いないよ。毒親ものが流行した時期あるじゃん、そのときに薄々、気づいたんだよね。あんたは、家族愛もの、OK、主人公が新しい家族を作る展開、OK、でも「昔は親を憎んだけど、やっぱり親子の愛情は大切」だけはNG。脳から抹消してる。

 言われてみれば、好みではない、と私は言う。言いながら考える。この友人の言うことはたぶん正しい。私はもともと忘れっぽいが、嫌いになったものはよりすみやかに忘れるところがある。仕事や継続的な人間関係ならいざしらず、娯楽として消費しているコンテンツならいくら忘れても誰も困らない。だから今の今まで指摘されたことがなかったのだろう。そして友人の言うとおり、私は主人公親子が仲直りする展開がすごく嫌いだ。正確に言うと、「ひどい親でも憎めない」「愛してしまう」という展開がいやなのである。どれくらいいやかというと、目の前にあっても焦点がぶれて認識しないくらい。

 実際の親子関係でそうした事例が多いことは私だって知っている。虐待された子どもでも最後まで痛ましく親の愛を求めるのです、みたいな話は、もちろん見聞きしている。だからフィクションでもそれが「リアリティがある」とわかっている。でも私はそれを認めるわけにはいかないのだと思う。認めたら私の人生の基盤が崩れるからである。私には幼いころの記憶がほとんどなく、わずかな記憶をひっかきまわしても両親に対する愛着が一切見当たらない。十五の時分にカルト宗教が地下鉄に毒ガスを撒いたときなど、はっきりと「通勤中の父親が死んでたらいいな」と期待した。

 殺されるほどひどい目に遭った子どもでも健気に親の愛を求め家庭という場に執着するというのに、私のこの冷酷さはなんだ。人格上の問題があるのではないか。あったって私としてはかまいやしないが、他人からそのように認識されるのは不利だ。十八くらいのときにそう思って、親族に関する質問をされたら適当な作り話をすることにした(作り話はわりと得意である)。月日が経つごとにいっそうきれいさっぱり生家の存在を忘れ、愉快に生きてきた。

 まあいいんじゃない。友人が言う。あんたの場合、それ以外の戦略は、ちょっと思いつかないもん。あんたは、図太いから、若いころから、ご両親は?とか言われたら平気で作り話して、そんなのなんでもないって顔してきたわけだけど、それは、意地だよね、そんなことでダメージを受けているとはぜったいに思いたくないから、全力で意地張ってたわけだよね、なんでもないわけ、ないよね、あんたはたぶん、自分の仲間がいてほしかったんだよ、フィクションでもいいから、いてほしかった、同じような境遇で同じような感情を持つ誰かがいてほしかった、でもちょっと似た顔つきのキャラクターがいても、よく見たらべつに仲間じゃなかった。それであんたは「なんだ」と思って、そいつを燃えるゴミの日に出した。頭の中から消した。最初からどう見ても仲間じゃないものにはそういう感情は起きない。仲間かな?と思ってそうじゃなかったから、あんたはそれを憎んだんだ。そしてあんたが何かを憎むときのやりかたは「忘れる」なんだ。かまいやしないよ、消しちまいな、あんたの世界から。

何者かにならない

 古い友人が試験勉強をはじめた。友人は不動産を扱う会社に勤めていて、不動産鑑定士というのを取るのだそうである。記憶力が落ちていて困る、年は取りたくないものだ、などとと言う。彼女の高校時代のあだ名は「人間手帳」である。やたらと記憶力がいいのだ。手帳の大きさが半分になったって試験には通るんじゃないかと思う。

 資格をとったら、お給料があがるの。私が尋ねると、たぶんねと彼女は言う。あとは社内転職がしやすくなる。うちの会社は希望を出さないと異動はないし、不採算部署はすみやかに取りつぶされるから、資格のひとつも持っていたほうが有利ではある。そういうのも動機ではあるんだけど、えっと、なんていうか、いい年になったし、業界をまたぐ転職はしなさそうだし、そろそろ何者かになっておこうと思って。

 何者か。私が言うと、何者か、と彼女はこたえる。「会社員です」でもまあいいんだけど、ちょっとぼんやりしすぎている。お免状があると格好がつく。だから取ろうかなって。職業人としての自分を飾ろうかなって。真珠のネックレスを買うような動機だよ、本質的には。

 私はそれを聞いてびっくりした。いろいろな人が「何者か」になりたいというのは知っている。ただ、その内実がどうもよくわからない。「何者かになる」というのは何か希少な、相対的に数の少ない肩書きを得ることのようだけれど、希少って楽しいのだろうか。たしかに「ナイフ投げ師」とか「冷水塔守」とか聞けば、すごい、と思う。何とすばらしいお仕事でしょう、と思う。でもなりたいかといえばそんなになりたくはない。ナイフを投げたくはない。もう少しレア度の低い、たとえばミュージシャンにもなりたくない。歌があんまりうまくないし、知らない人がいっぱい自分を見に来るのもいやだから。医者とかも絶対なりたくない。こんなに薄ぼんやりした人間が病気の人を診たら殺してしまう。そして薄ぼんやりしない人間になりたいかと言われたら、なりたくない。薄ぼんやりものを考えるのが何より楽しいのだ。

 私は「何者か」になりたいと思ったことがない。生きて屋根の下に住んで食事をして布団で眠る者になれたらそれでよかった。苦痛が少なければなおよかった。そのうえやりがいや喜びなどあった日にはもうハッピーハッピーパッピイナ、ミュージカルみたいにくるくる踊る。

 私がそのように話すと友人は笑う。サヤカは雑だなあと言う。私はいささかの不満を感じる。この友人の考えは、つまり「この先、不動産業界から離れることはなさそうだ、そしたら不動産鑑定士を取れば何者かっぽくて気分がよさそうだ、よし取ろう」ということだ。それだって雑ではないか。そもそも国家資格というのはそういう動機で取るものなのか。私がそう言うと友人はじゃあ賭けようと言う。他の資格持ちもたいして立派な動機で取ってないよ、お金のためと、あとは、レアでいいじゃん、くらいの動機で取ってるとわたしは思うよ。私たちは各々のスマートフォンを操作し、何らかの肩書きを持っている知人たちに連絡した。むつかしい試験に通ったり、資格を取ったりしたのはなぜ?取ったときには何者かになった気がした?

 私は賭けに負けた。もちろんたいていは生活費を稼ぐ手段として肩書きを得たと答えたけれど、それに加えて「なんとなく素敵だと思って」「外聞がいいから」「何者かになった気はした。いい気分だ」という回答がばんばん返ってきたのだ。なかには「カネにはならないけど、かっこいいと思って博士号を取った。かっこいい気分になった」と書いて寄越した者もいた(専門分野の能力は高いのかもしれないが、言うことが小学生みたいである)。友人はげらげら笑ってそれみたことかと言った。みんな簡単なんだよ。レアならいいんだよ、レアなら。ポケモンと一緒だよ。

 友人は言う。あんたが肩書きなしで平気なのはあんたがわけもなく自分を超レアだと信じているからだよね。「何をどう考えても自分は伝説のポケモンだ。疑いの余地はない」と思ってるところあるよね。「そんなの当たり前だ」と思ってるでしょう。誰もそんなこと言ってないのに、「誰かに言われる必要ってあるの?」くらい思ってる。「なんでそんな必要あるの?」とか思ってる。わたしはそういうの、いいと思うよ、社会性が足りないなあとも思うけど、社会性がありすぎるよりは、健全、健全。

 私は尋ねる。社会性がありすぎるって、この場合、どういうこと。友人はこたえる。ポケモンがたかがポケモンじゃなくなっている人ですよ。そんなのいっぱいいる。

迷信の誕生

 炭酸の摂取がアルツハイマー病の発症と相関関係にあるという説があるらしいんです。同僚が言う。私たちはたがいの手元を見る。そこにはビアグラスがある。炭酸ガスがその存在を主張している。どこの説ですか、と私は尋ねる。そういう言い方から推測するに、たしかな話ではないのでしょう、そんな風説を思い出してはいけません、思い出すならどこの誰が発表したかくらいチェックしなくては。そうですよねと同僚が言う。エビデンスもない話を思い出すだけ損ですよね。そうですと私も言う。ファクトをチェックしなくてはいけないです。引用元がないものはだめですからね。そうです、孫引きも有罪です。

 私たちはビールを飲む。彼女がその胡乱な説を思い出した原因は明白である。最近、彼女のいわゆるママ友のひとりが、若年性アルツハイマー病を発したのだ。近くの人がかかったからといって自分がかかる可能性が上がるような病気ではない。そんなことは彼女にもわかっている。それでも恐ろしい。恐ろしくて、それが確実なら報道されるようなうわさ話を「もしかしたら」と思ってしまうのだ。きっと、炭酸ではなくて、炭酸を含む、たとえば添加物を大量に含む甘い飲み物の常飲との、因果もわからない相関関係についての話なんだろう。気にするような内容ではない。彼女だってふだんは気にしないだろう。でも今は気にかかってしまう。恐ろしいからである。

 エビデンスだのファクトチェックだのと唱えて落ち着くのは、彼女の持つ不安が軽度だからだ。もっと強い負荷がかったときには、あるいはもっと弱っているときには、そんな理屈で不安をおしとどめることはできない。多くの人はそのような精神を持っていない。私だってもちろん持っていない。ちょっと弱っているときにあれこれ言われたらパニックに陥って機能を停止する。

 私がそうぼやくと、同僚は宙をちょっと見て、言う。うちの妹、医者なんですけど、今は町医者で、えっと、その妹が、研修医だったときの話なんですけど。

 その医学部では、忘年会の開始時刻を遅くするのが慣例だった。連れだって神社に行ってお祓いをしてもらって、それから忘年会を開くからだ。お祓いへの参加は任意で、プレッシャーはまったくかかっていなかった(「別に来なくてもいい」というくらいだった)けれども、九割がたが参加していた。

 つまりですね。同僚が言う。ふだん論理でものを言って迷信を退けていても、人の死をしょっちゅう見るような、そして人の強い感情にたくさん接するような仕事をしていたら、日常的な回復手段では歯が立たないような何かが精神にべっとり貼りついてしまうんです。それをどう落とすかは、それぞれやり方があるんだろうけど、お祓いには一理ある、というのが妹の意見でした。死への恐怖に理屈で立ち向かうなんて常人のすることではない。宗教者は何百年も「とりあえず今は生きているし、大丈夫、OKOK」という気分にさせる様式を研いていて、だからお祓いされればなんとなく清らかになった気がする。人の死に疲れた集団が年に一度お祓いしてもらうのは効率がいいのだと。

 同僚はそこまで話して、ひといき置く。それから宣言する。つまりですね、マキノさんが鼻で笑うスピリチュアル、あれは少なからぬ人にとって必要なものです。しょっちゅう死に目にあう仕事じゃなくても、生きていれば不安になります。そして人間はいろんな要因で不安をコントロールできなくなります。不安をこじらせると死ぬことだってある。そういう気持ちをまぎらわせるためにスピったっていいじゃないですか。半信半疑が本気になって、パワーなストーンを集めようが、パワーなスポットを巡ろうが、占い師を頼ろうが、いいじゃないですか、それでどうにか生きていられるなら。

 私はビールをのむ。それから反論する。いや、石を集めたりするのはいいんです、好きにしたらいいんです、ちょっとお金はらって人に会って気が済むならそれでいいと思います。でも私は、そういう心性を利用した、還元主義と選民思想にまみれたカルトがやたらとあるのがいやなんです。そんなね、すぐ救われるわけないでしょうよ、日常的に超越者を想定する必要があるなら、搾取されない信仰をしたらいいじゃないですか、まともな宗教団体、いっぱいあるじゃないですか。

 同僚はビールをのむ。それからちいさく言う。まともな場所や人はね、自分にもまともさを求めます、たぶんね。だから不安で恐ろしくて、あるいはさみしくて、まともでなんかいられないときには、たいして頼りにならないんじゃないかなあ。

字がきれいで、声がいい

 私が小さかったころ、土曜になると近所の保育園に書の先生がやってきて、行くと教えてくれた。私は大人になるまで習い事というものをしたことがなくて、この書道教室だけが例外である。要するによぶんなカネを費やさず家事をするという身分で育ったわけだが、書の先生が来る日に保育園の入り口にかかる札には、麗々しく「生徒募集中 月謝千円」と書いてあったから、まあ千円なら、ということだったのだろう。

 保育園でいちばん大きい部屋に入ると長机がいくつかあって、子どもたちはそこに座って書く。床で書く子もいる。実にいろんな年齢の子どもが出入りしている。先生は午後いっぱいいて、子どもたちは好きなときに来て好きなときに帰る。授業のようなものはとくになくて、小学校で使うお習字セットを持って行き、保育園の本棚の上のほうに仕舞ってある「千字文」というお手本を見て書く。練習は新聞紙でやる。半紙を使うのはよく練習してからである。半紙に書くと何枚かに一枚はいい感じに見える。それを持って行くと先生が朱を入れてくれる。一文字にどれだけの時間をかけるかも自分で決めていた。

 小学生が多かったように思うが、高校生も来ていたし、未就学児もうろうろしていた。保育園の時間外保育も兼ねていたのかもしれない。今にして思えばいろいろとめちゃくちゃだった。でも先生はいつも「世界はこれでよろしいのです」みたいな風情で座っていた。白髪をきりっと編んでいて、あまり笑わず、でも怒っているのではなくて、いつも明るい色の服を着ていた。

 その教室にひところ、小学校高学年の生意気盛りの男の子が来ていた。よしおくんと呼ばれていた。よしおくんは保護者に強制されていやいや来ていたのだと思う。そして教室で仲良くする相手もできないのでますますおもしろくなかったのだと思う。その日は特段に機嫌が悪く、近くの子どもにからみはじめた。先生はふだん、さぼっている子もあまり注意せず、うるさいときにだけつかつかと近寄って行くのだが(そうするとみんな黙った)、そのときは立ち上がらなかった。よしおくんの声がだんだん大きくなった。字なんかきれいでもしょうがねーじゃん、と言った。得になることないじゃん。バカだろ。

 最後はしんとした教室に男の子の声が響き渡った。先生は席を立たず、でもいつもより大きな、教室中に聞こえる声で述べた。字がきれいだとわたしは気分がいい。字がきれいなのは話し声がいいというようなものです。なんにもなりやしないと言う人もあるでしょう。よしおくんに誰かがそう言ったのかもしれません。でもわたしはそうは思いません。自分の気分がいいことよりだいじなことなんかあるものですか。その次にだいじなのは人の気分をよくすることです。よしおくんはそのどちらかができますか。先生はよしおくんがいっしょうけんめい書いたらいい気分になりますよ。

 私は思い入れをもって書をやっていたのではない。義務教育の授業時間は短い。とにかく家にいたくないので、できるだけ友だちの家に上げてもらって、あとは図書館で本を読んだ。そうして歩いて、たくさん歩いて、疲れたら座る。いつもすごく眠たかったけれど、河川敷で本格的に眠れる季節ばかりではない。だからただ座って、目の前にあるものをじっと眺めていた。河川敷に行くのでなければ、駐輪所で自転車を眺めているか、住民のふりをして団地の階段に座っているか、そんなところだ。それに比べたら千字文を見ているのはけっこういい。見て書いて、退屈がまぎれる。それに「何を習っているの」と訊かれたら「お習字」と言える。だからやっていた。

 先生は字がきれいだと気分がいいのか、と私は思った。それから話し声がいいと好きになるのかと思った。よしおくんはばつが悪そうに知らんぷりをして、それでも出て行きはしないから、そんなに悪い子ではないんだなと思った。

 それからまたしばらく経って、帰り際の誰かが、せんせえ、と訊いた。いい声でおはなしするにはどうしたらいいですか。私をふくめて皆がいっせいに視線を上げた。先生は質問をした女の子からまったく視線を動かさず、それはですね、と言った。まずは自分の声を知ることです。おうちのカセットテープで録音して聞いてみるといいでしょう。それから女の人のなかにはやたらと高い声を出す人があるけれど、あれは実にいけない。きんきんした声はほんとうにいけません。それだけ覚えていらっしゃい。

 私の話し声が低めで、字がまあまあ整っているのは、そういうわけである。