友人の職場は景気がいい。右肩上がりのベンチャーで、何度か大幅な事業拡大をして、都度求人を出している。友人はその求人の波のひとつに乗った。二年前のことである。私たちはいわゆる氷河期世代ど真ん中の、しかも女で、同世代の仲間うちに転職経験のない者がいない。みんなわりと平気で職場を変える。生き延びるために、私たちはそうしてきた。
生き延びるために必要なことは何かと問われれば、私たちはおそらく同じ回答を返す。変化に応じること。環境に飲まれないこと。勉強と訓練を厭わないこと。何もかもできるようになろうなんて絶対に思わず、手持ちのカードでどうにかやっていくこと。何かが与えられなかった事実を認め、そののちに忘れること。選択肢がないと思わないこと。明日失職しても自分の価値がそこなわれるのではないと思うこと。明日失職したら食べ物や宿や気晴らしを提供しあえる仲の友人を複数作っておくこと。すなわち、戦略的に群れ、自分だけの基準で群れる相手を選択し、同時に自立を徹底すること。
この友人はとにかく丈夫でハードワークをものともしない。天敵は退屈、そして裁量のなさ、というのが本人の言だ。とても若い時分に結婚して早々に離婚してしばらくしてから事実婚をしてまた別れて今は新しい恋人と住んでいる。元気な人である。
職場ねえ、と彼女は言う。うん、いいんだけど、みんな、なんていうか、恋愛しすぎなんだよね。そう言う。人のこと言えるのかと私は思う。思ってそのままを口にする。彼女は言う。
いや、あんたはね、「先の別れののち、恋人がおりません」とか言ってぼけっとしてる間に一年とか二年とか過ごしてへらへら笑ってるじゃん、そういう人にはわからない、あんたはほんとうはさみしがりじゃない、わたしたちはさみしがりだからそこらへんで恋愛をする。うちの会社はねえ、もうとにかくくっついて離れてくっついて浮気して離れて結婚して離婚して子どもつくって子連れ再婚してその相手がぜんぶ社内でなおかつ不倫相手も社内みたいな感じなの。しかもみんなその状況を知ってるの、当人たちがしゃべっちゃうから。
彼女のせりふを聞いて私は仰天する。なんだそれは。うちの職場にはぜんぜんないよ、ちょっとあってもいいと思うくらいだよ。恋愛とかしたくなったら相手を探しに行くか、職場以外で見繕ったらいいのではないか。人間はいっぱいいる。探しに行けばいいじゃないか。私たちの仲間うちには待ち合わせで立っていても友人同士で美味しいものを食べに行っても、何なら歩いているだけでも、どうにかして話しかけようという連中が出現する女がいるくらいだ。突っ立っていて声がかからないなら自分からかけたらいいだけの話だろうに。声をかける相手が見つからないならインターネットのアプリケーションなどを使用すればいいのではないか。
私がそのように話すと、友人はかぶりを振る。探しに行くのがめんどくさいんだよ、たぶんね、うちはそこそこ老舗だけど、でもベンチャーだから、年齢構成が若い、それで、よけいにね、あと時間もないしね、いや、それだけじゃないな、うちの会社の連中はさあ、プライドが高いんだよ、つまり、「自分はたまたますれ違った人間で妥協するような者ではない」とか思ってる。
自分にもそういうところちょっとあるから、言いにくいけど、まあそういうことです、ばーって走って野原に出てちょっといいなと思う人を目視して息せき切って走っていって「ヘイ、ビューティ」って言えないんだよ、あらかじめ選ばれた人間を供給してほしいんだよ、つまり自分の価値観とか、えっと、あからさまな言い方をすると、自分の中のカーストの上位の人間がいいんだ、選ばれた人間がほしい、そして、大量の人間の中からそれを選ぶのはめんどくさい。その結果がうちの会社の現状だ。社内恋愛、社内浮気、社内乗り換え、社内不倫、結婚、離婚、ふたまた三つ叉よつどもえ、三角関係四角関係。
私は再度仰天する。そちらのほうがよほどめんどくさいだろう。人間はいっぱいいる。億とかいる。そりゃあ隣の席の人を好きになることもあるだろう。よく接する人に愛着を持つのもわかる。しかしそんなややこしいことになってまで、どうして色恋の相手を探しに行かないのか。彼女の会社のようなアグレッシブな環境で生き延びた人々が、なんでそんなにめんどくさがり、というか、受動的なのか。広い世界に出て、そこでやったらいいのじゃないか。そう思う。でも言わない。彼らのめんどくささの範疇と私のめんどくささの範疇が決して重ならないことを、なんとなく理解したからである。