傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

記念写真の日

 息子が卒園式でスピーチをすることになった。どうして選ばれたか知らない。保育園は学校ではない。成績とかはない。息子は引っ込み思案ではないが、人前に出ることを好むタイプでもない。発話能力だってとくに早熟なほうではない。だからたぶんてきとうに指名されたんだと思う。

 親が子のスピーチの原稿を作るのはどうかとは思うが、六歳児にゼロからお任せというわけにはいかない。わたしは息子の話を聞き、ホワイトボード(うちには脚のついた、まあまあ大きなホワイトボードがある。家族会議や落書きに使用する)に書き留めた。もちろんさりげなく、というか、かなりあからさまに枝葉末節を切り、誘導し、穏当なところに落ち着けた。最初からわたしが書いたほうがどんなにか早いかわからない。しかしながらわたしは家族と感情を交換するときの手抜きはできるだけしない。そのぶん炊事の手はがんがん抜く。昨夜は一昨日の鍋の残り汁にうどんをぶちこんだだけの晩ごはんを出した。汁が足りなかったのでお湯を足した。よくやっていると思う。

 息子は彼の祖父、わたしの父、通称「じいじ」を強く愛している。息子にとってじいじはゲストではない。レギュラー家族である。じいじは労働時間の調整のきくフリーランス、無類の子ども好き、高い家事能力、近居という四点セットをそなえ、息子の養育の一翼をになってきたのだ。じいじ抜きにはわたしか夫の会社員生活が完全に破綻していたと思う。

 息子はじいじに手紙を書いた。覚えたての文字で、このように書いた。じいじ そつえんしきにしょうた い します。3がつ 9にち 9じ

 じいじはいつも午前4時に眠る。年寄りが早起きになるというのは嘘である。以前は午前3時に眠っていたので、むしろ夜更かしが悪化している。息子の急な発熱であれば、寝ぼけまなこをこすって我が家に来てくれるだけでありがたいのだが、このたびはなにしろ式であるから、ちゃんとしてもらわなくてはならない。じいじにはそういう社会性がぜんぜんない。才能と技術だけで生きてきた人なのである。善良ではあるのだが、式とかにはまったく向いていない。

 じいじは深刻な声で、がんばる、と言った。具体的にどうがんばったかというと、寝ないで卒園式に来た。来て、せいいっぱい元気そうな顔で、クローゼットの奥から引っ張り出したのであろう襟のついた服を着て、ちゃんとした大人みたいにふるまおうとしていた。卒園式の後は園庭でのランチ休憩があり、わたしたち夫婦と息子は近くの仕出し屋のおいしいお弁当を食べた。じいじはそのあいだわたしたちの家で寝ていた。

 わたしはお弁当を作らない。保育園のみんなで食べるイベントのときくらい作ったほうがいいという人もいるだろう。小学校の入学グッズだって手作りしろという人がいるだろう。でもわたしはしない。誰かが作ってくれたものをお金を出してありがたく購入する。無理な手作りを繰りかえしたらわたしはきっと幸福な人間でいられない。わたしが幸福でいなければ、息子は幸福ではない。

 じいじは朝起きることができない。じいじには、わたしの母(ばあば)と結婚するまで「洗濯」という概念がなかった。服は腐るまで着ていた。服が腐るというのはどういうことか。ばあばは「とにかく腐っていた」とだけ言うので、詳細は知れない。

 わたしたち家族はきっと、誰も満点を取ることはできない。全員が、人生のうちの複数回、世間とか社会とかそういうところから、不合格のジャッジを受けている。ちゃんとしていないと言われている。でもそんなのはどうでもいいことだ。できないことはできない。ちゃんとした母親、ちゃんとした父親、ちゃんとした祖父母、そういうジャッジを、わたしたちは受け付けない。わたしたちは助け合って子どもを育てている。子どもだって育児雑誌のとおりに育ってきたのではない。でもそんなことは、いいのだ。この子の特性に合わせた環境を用意してやることができれば、それでいい。卒園式のスピーチの原稿を作るような、クローゼットから襟のついた服を引っ張り出すような、その程度の繕いは、わたしたちもする。そこにはほころびがあり、失敗もある(襟さえついていれば礼儀にかなっているというものではあるまい)。それでもわたしたちは澄ました顔で記念写真におさまるだろう。すべてのジャッジをしりぞけて、わたしたちはこれで完璧だという顔をして、四角い枠におさまるだろう。