傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

オオカミたち

 待ち合わせに遅れるという連絡を受けてひとりで本を読んでいるとごめんねえと言いながらちっとも罪悪感のないようすで彼女はあらわれた。そうとう上等ではてしなく地味なスーツ、匿名的な時計、そのほかのアクセサリはなし。そんなはずはないのにモノクロームの印象を与える色数の少ない化粧をして、そのなかの目が爛々と光っている。戦闘の日ですかと私はたずねる。戦闘の日でしたと彼女はこたえる。たのしかったんだねと私は言う。けっこうダメージくらってるよう、と彼女は笑い、それがたのしいんだなと私は思う。
 会社の利益を背負ったタフな交渉のダメージって、どのへんに受けるの、頭、気力、それとも、自尊心とか?尋ねると彼女はお行儀わるく首を反らしてグラスをあける。こういうときの彼女の動作はふだんより粗雑で、目つきは野蛮で、注意深く纏わせたパッケージをばりばり破いちゃったみたいに、純度が高い。椅子の背をめいっぱい使って両腕を肘掛けにあずけて顎を上げた傲岸な姿勢で私を眺めまわしている。
 私は知っている。彼女はいま私を、なんにもわかってない人だと思っている。実にいろいろなことを知らない無力な人だと思っている。気の置けない友人からそのように扱われることを、私は好きだ。すぐれた人に可愛がられながら見下されるのは、どうしてこんなに気持ちがいいんだろう。なんだかうれしくって私は、だらしなく笑ってしまう。劣等を認めることは受け身の立場に特有の甘味をもたらすのだし、なにかにひれ伏せば頭は薬に浸けたみたいに麻痺する。関係の基礎が対等でさえあれば、私たちはいつだって劣等と敗北の快楽を味わうことができる。いつもいつも持ち上げあうなんて貧しいことだ。あるいは常に優っていることも。
 そのように話すと彼女はまじめな顔になる。マキノほどそれを好むのは変態だと思う、とはいえその感覚自体は、わからないことはない、と言う。わからないことはないけど、わかっちゃいけないのよ、私は、ほんとはね。今日だって、仕事の上では、ぜったいに競り負けちゃいけない場面で、それなのに私、けっこう負けた。そこそこ負けた。でもねえ相手がものすごいできる人だとなんかこう、全力で殴り合うこと自体が楽しくって、だって相手が強くないと全力の殴りあいってできないでしょ、あ、比喩ね、もちろん、うん、それでどこか、満足してて、だから今、機嫌良くて、でもそういうのは、だめなのよ、ほんとは。さっきの質問に答えるなら、自尊心がぜんぜんダメージを受けなくって、気力もむしろ満ちちゃって、頭だけ使いすぎで疲れ切ってる、みたいな状態だけど、それは、だめなの。そんなだから、私は彼らに勝てないの。
 どうしてと私は尋ねる。部分的に負けながらも全力だった、そういう仕事に満足するのはいいことでしょう。誰だっていつも完全に勝つわけにいかないよ。いつも完全に勝たなきゃいけなくて、そうじゃなかったら満足できないなんて、しんどい人生だよ。賢明な選択とはいえないんじゃないかなあ。彼女は静かにこたえる。満足のないしんどい人生を選んだ一部の人間のなかに、そうしなければたぶん得られなかった強度を持つ連中がいるの。私が犬なら彼らはオオカミなの。犬はオオカミに勝つことができないの。そして私は職業上、ときどきオオカミやその群れを相手にしなくてはならないの。今日みたいに。
 そうかなあと私は思う。彼らはほんとうにオオカミなんだろうか。彼女だってはたから見たらオオカミに見えるだろう。いまはきつい仕事を終えたあとで、だから洞穴に戻って汚れた毛皮をぺろぺろ舐めてるかわいい犬みたいなものだ。彼女が対峙した相手だって、おんなじなんじゃないかと思う。今ごろは独りで口あけてベッドで弛緩してたり、誰かに甘えてたりして、そうして内心では、負けたけどまあ別にいいやとか、そんなふうにつぶやいているんじゃないかと思う。どんな人だって誰かの前で、それも私的な場面だけじゃなくて仕事の上でだって、腹を見せたり這いつくばったりするはずだし、それはすごくいいことだって、ほんとはみんな知ってるんじゃないかと思う。
 そのようなことをだらだらと話すと、彼女は笑う。相変わらず私を、ものを知らないかわいそうな子のように見ている。小さい声で言う。そんなことはない、マキノも彼らとやりあってみたらわかる、彼らは負けを排除したから、敗北という安逸を退けて勝ち以外は認めないという苦行を選んだから、あんなにも強いのよ、あの頭のいい、いけすかないオオカミたちは。