傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

おかあさんの貯金

まだ荷物の検査をしなくて大丈夫ですねと彼女は言った。座って待ちましょうと私はこたえた。彼女は彼女の娘に低く甘い声で私にはわからないことばを与えた。
彼女は日本で八年働いて、これから中国に帰る。彼女の娘は七つで、就学に合わせて母親のいる日本に来て、もちろん一緒に帰る。彼女が日本を離れるのは日曜日だと聞いたので、お見送りをしますと私は言った。空港まで行きますよ、いつだったか、日本に来るとき旦那さまがお見送りしてくれてうれしかったって言ってたじゃないですか、日本から戻るときの見送りがあってもいいんじゃないですか。
彼女とは何度か一緒に仕事をした。私は彼女を頼りにしていた。彼女はたいていの場面で大丈夫ですと言ってのけた。そして実際に、大丈夫にした。
彼女は体調が悪そうなそぶりを見せず、定められた期限を過ぎず、声音や表情のつくりかたがおかしくなることがなかった。誰もが彼女を強靱な人として認識していた。私の上長は物言いがひどく率直で、あの人はマッチョだから、と言っていた。
娘を中国の夫と両親に預けて働いていたころ、彼女は私のデスクの横で立ち話をして、そのとき私しかいなかったパーティションの内側でふと目のふちに涙をぷっくりとふくらませ、私は悪いおかあさんですと言った。娘はさみしいです。娘は小さいです。
私は気晴らしの雑談で彼女の娘について尋ねたことを後悔した。そうして、私なんかもっと悪いですよと言った。私はおかあさんでないからもっとずっと悪いのです。役に立たないのです。無駄なのです。
彼女は青ざめて私の肩に両手を置き、誰がそんなことを言いましたかと言った。それは個人の自由ですね。少しも悪くないですね。誰がそんなひどいことを言いましたか。日本の政治家が言いましたと私はこたえた。そしてそれを支持する男の人たちがいます。日本男子は何を考えていますかと彼女は憤り、私はその物言いが可笑しくて笑った。なぜ笑いますかと不満そうに彼女は尋ねた。彼女はもう泣いていなかった。私はほっとした。私は彼女の「マッチョ」でない部分から、そうやって逃げたのだ。
今日を限りにきっともう会わない彼女を眺めながら、私はそんなことを思い出す。私はあのときどうして、あなたは悪くないと言わなかったのだろう。彼女が私にそうしてくれたように彼女のからだに両のてのひらを置いて、そこから彼女のかなしみを吸いこむことができなかったのだろう。
彼女の娘は椅子を降りて彼女にまとわりつく。どこの国の言葉も子どもが口にすると愛らしく響くけれども、北京語はことに甘く聞こえる。彼女は娘をなでてやり、それからため息をつく。赤ちゃんのようです。もう二年生なのに。
私は彼女の娘に呼びかける。繰りかえすのが子どもの名前ですと彼女は言っていた。名前そのものがあやすための言葉みたいだ。娘ははにかんで笑い、母親の服の裾をつかむ。七つにしては背が高くて、だから余計に仕草が幼く見えた。
しかたありませんね。娘には貯金がないですね。彼女はそう言う。貯金、と私は尋ねる。おかあさんの貯金と彼女はこたえる。小さいときおかあさんがいません、おばあさん、おじいさん、おとうさんは、おかあさんの代わりをしません。私のためです。誰かがおかあさんをすると私がすることがないからですね。すると娘はおかあさんが足りないです。だから娘は余裕がないですね。
貯金、ともう一度私は思う。なるほど。でも私は間違っていませんと彼女は言う。マキノさんがそう言ってくれました。ありがとう。私は戸惑う。私はそう言えなかったのだ。けれども彼女の記憶の中の私は、力強く彼女を肯定したらしかった。
私はあいまいに笑う。そうできたらよかったとずっと思っていた。だから彼女はそう思ってくれたのかもしれなかった。彼女はそのように強い人なのかもしれなかった。
飛行機の発着表示がかたかたと切り替わった。どうかお元気でと私は言った。北京に来てください、案内をします、と彼女はこたえた。私は彼女がいつか教えてくれた発音で再見と言ってみた。上手、とても上手と彼女は笑い、さようなら、とつぶやいた。とうとうネイティブのようにならなかった彼女の日本語を、私はとても好きだった。