傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

あなたの夜はいつから

陽が落ちたので、もう夜ですねと私は言った。そうですねと彼は言い、夕暮れの色は複雑ですねえ、もうすっかり暮れているのに少し色が残っています、空がみんな夜の色にならないと夕暮れが終わらないような気もします、と続けた。
彼はそれから、何時からが夜ですか、と訊いた。私はびっくりした。よく知らない相手にそんなこと訊くなんて、思った。それから、何時から夜かという話題がプライベートな領域に属するというのは私の個人的な感覚で、それを口にしたからといって奇異なことにはならない、と思い直した。
私は四季を通して、何時から夜かという基準を決めている。春夏秋冬の境目は日付では決めず、年によって変えている。「この感じ、今日から春だ」と感じるのだ。その日からはどんなに寒くなっても春で、春になったらロングブーツは履かない、といった決まりごともある。もちろん、私の中だけに。
そういった決まりごとは時間や季節以外にもあって、私はそれを私の世界の法律だと思っている。私の世界を守る呪術だと思っている。正しく決まりを守り、必要な呪文を唱えていれば、私の世界の時間はきちんと流れ、四季はうつろい、健やかで穏やかな生活をいとなむことができる。
いろんな人がそういう決まりを持っているはずだと、私は思う。ある人はストイックなルールで身をかためてハードボイルドに生きているし、べつの人はここぞというときだけに発動させる儀式を持っている。個人的なルール、儀式、験かつぎ。とてもプライベートなことだ。
横を歩いている人はどうもそうは思っていないらしく、世間話の一環としてごく暢気に、彼の世界の決まりごとを開示している。
僕の夜は七時からです。だって七時になったらもう暗いじゃないですか。夜がいつからかを決めるのって子どものときですよね。だから七時は夜。外にいるのが怖くなるくらい暗いから、夜なんです。六時前からなんだか怖い。八月の長い日の終わりはとりわけ怖い。傾きかけた陽の後ろから夜がのぞき見しているみたいで怖い。あの感覚はいつどこに消えてしまったのかと思います。夜が怖くなくなると僕らは子どもじゃなくなる気がする。
そうですねと私は言う。その条件は私にとっても子どもではなくなる時の定義に含まれる。私はそれを明瞭に定義している。もちろん。