傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

連休の繭

連休中はどうしてたと訊くと、彼女はうっとりと笑い、なんにも、と言った。なんにもしなかったし、どこにも行かなかった。私はすぐにことばが出てこないときいつもそうするように自分の指先をながめた。そこを走る神経に電気が流れ、それが脳に到達するところを想像した。
彼女はもう一度、さっきより淡く笑った。お風呂上がりみたいな顔してる、と私は思う。きれいにお化粧して、髪をカールさせて、骨の細さがそのままわかる足首から先には工芸品めいたハイヒールシューズをぴたりと張りつけて、でもやっぱり、お風呂上がりみたい。
ここしばらく、私は彼女を気にかけていた。彼女はいつか言っていた。任意の晩ごはんはあと一万回くらいしかないのに、その貴重な一回をどうしてないがしろにできるの。任意の晩ごはん、と私は繰りかえした。その一度たりともあきらめたくない人がこの世にはいるのだ。彼女は一人暮らしだけれど、自宅での料理を欠かさない。外で美味しくないものを食べるとあからさまに機嫌を悪くする。彼女はどこか漠然とした人で、食べもの以外のことで機嫌を損ねるところを見たことがなかった。
二ヶ月ほど前、メールをやりとりしていたら、最近全然ごはん作ってない、と彼女は書いた。私は仰天してどうしてと尋ねた。忙しいの。忙しさは彼女にとって台所に立つ妨げにならないと、訊きながら知っていた。彼女は案の定べつにとこたえた。どうしてかわからないけど、昔からそうだったみたいにしてない、お米も炊いてない、それが普通みたいな感じする。
それで私は心配になって、半月に一度のペースで彼女に尋ねた。ところでどう、ごはんのほうは。相変わらずだねと、そのたびに彼女はこたえた。何かあったのと訊いても彼女は例の茫漠とした調子で、ううん、なんにも、とこたえるばかりだった。
連休の初日、自宅で目を覚まして、ああ私ここからしばらく出ない、と彼女は思った。何人かに何日かメールできないと書いて送った。家の中で過ごしていると食料がなくなり、ネットスーパーにアクセスした。寝て起きてレトルト食品と冷凍食品を食べ、長いことお風呂に入って、本を読み、歌を歌った。何度目かの眠りはチャイムで中断した。食料品の配送だった。その包みには野菜と肉と米が入っていた。なるほどと彼女は思った。これを食べよう。
好物の空豆を塩ゆでにして食べると彼女は料理をしていなかったときの気持ちを思い出せなくなっていた。昨日冷凍食品を食べたのにと彼女は思い、それから具体的に何を食べたのかわからないことに気づいた。彼女は台所のごみ箱に捨てられたパッケージの文字を読んだ。彼女はどうしてもそれを食べたことを思い出せなかった。冷凍食品を食べたことは覚えているのに、それを個別の食品としてうまく認識することができなかった。
彼女は昨日より前の食事について考えた。その外見、味、感触、食べたときの気分を振り返ろうとした。でもそれらはすべて匿名的な、総体としての姿しか見せなかった。まあいいやと彼女は思った。そんなことより台所の隅で味噌がだめになっていた。由々しきことだ。浄水器のフィルタも取り替えたほうがいい。それにバター。バターを買っておかなくては。
彼女はそこまで話すとストレートのダージリンを飲み、果物がたくさん載ったタルトを食べて、満足そうにうなずいた。おいしいと尋ねるとおいしいと言った。つまり、と私は言った。ひきこもって、いわば繭の中で組成を整えていたわけね。彼女は紅茶のポットを傾けて、私はサヤカみたくものごとに理由をつけないから、とこたえる。だから、なんでもいいんだけど、たしかに、整った感じはするね。
あのねと彼女は言う。連休明けに会社の配置換えがあって、それで、斜め前に座った人、顔くらいは知ってたんだけど、好き、と思った。それはよかった、と私は言う。私は彼女を恋少なき女と呼んでいる。人を好きになることが稀で、しかも「言い寄られたから」とか「退屈だから」とか、そういう理由で誰かと一緒にいることがないのだ。彼女のそのような性質はときおり私を落ち着かない気分にさせた。それは純粋すぎるようにも見えたし、贅沢すぎるようにも見えた。
中身を組み替えたから好きになったのかもねと私は言う。繭に入る前はあなたに必要な人ではなくて、出てきたらぴったりの人になっていたのかもね、つまり、あなたの側の変化によって。ほんとにいろいろ理由つけるねと彼女は可笑しそうに言って、もう一度、お風呂上がりの笑いかたをした。