傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

広場と安心

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから三年が経って、いわゆる行動制限が緩和され、実質的に何をしてもよいということに、政治の上ではなっているのだけれど、かといって疫病自体がおさまったのではなくて、みんななんとなく左右を見ながらおおむねマスクをつけて暮らしている。

 この間についた習慣が住居から徒歩十五分ほどの大きな公園への散歩である。
 疫病流行当初は県境を越えてはならないとされており、商業施設や飲食店も早々に閉じてしまうので、休日の気晴らしに困った。それで目をつけたのが大きな都立公園だった。疫病は主に飛沫感染で広がったので、屋外の公園は開かれたままだったのである。

 休日の昼間、飲み物と敷物を持って出かけると、そこはなんだか外国の広場のようだった。
 わたしは海外旅行が好きで、疫病前には毎年一回か二回は海を越えていたのだけれど、その八割がアジアとヨーロッパだった。アジアのそれほど寒くない地域の都市にはたいてい大きな公園があり、人が夜や休日を過ごす場になっているのだった。ベトナムなどでは人生のほとんどすべてが公園で展開されているように思われた。
 彼らはそこでおしゃべりし、食事をし、子どもや犬を遊ばせ、知らない人に声をかけ、仲間うちでゲームやダンスに興じ、あるいは一人でエクササイズマシンを使い(公園に筋トレマシンみたいなのがあるのだ)、親しい人と肩寄せあい、あるいは本を読み、書きものをし、繕いものをする。そのなかでぼうっとしていると「人生をやっている」というような気持ちになるのだった。
 ヨーロッパの広場には強烈な自由の感覚があった。歴史的な経緯を知らなくても行けばそれを感じるのではないかと思う。さまざまな集会の場になってきたはずのそこは、ふだんはやはり「人生」の場なのだった。人々はそこここに座って延々と話し(フランス人などはほんとうにずっと話している。広場を通って買い物して戻ったら同じ組みあわせでまだ話していたりする)、いかにもやんちゃな若者がスケートボードを乗り回し、夜中に近くなっても人は減らず、翌朝通ると巨大な掃除機がすべてのゴミをなぎ払っている横で、出勤前の誰かがパンをかじっていたりするのだった。

 疫病下の都立公園にはそれに近い感覚があった。
 なにしろほかに行くところがないのだ。みんな公園で「人生」をやっているように見えた。ピクニックシートを広げているのも幼い子がいる家族だけではない。一人でも五人でもやっている(それ以上はたぶん疫病下だから遠慮しているのである)。おしゃべり、飲食、うたた寝は定番として、読書に写真撮影、ゲームにデッサン、歌の練習、楽器の演奏、衣装まであわせたダンスの披露。いいね、とわたしは思った。そうした性質は疫病前からそなわっていたにせよ、こんなに人が増えたのは疫病の影響だろうと思った。

 そうした環境のせいだけではもちろんないのだけれど、わたしは犬を飼うことにした。犬は公園を歩き回るのが大好きだし、犬の飼い主同士は簡単におしゃべりをする。犬を触りたそうにしている子どもの保護者ともちょっと話したりする。公園の「広場度」が高いと、犬を連れていないけれど犬好きな人が話しかけてくる率も高いように思う。
 わたしはなんでもないすれ違いざまの会話がゼロだとちょっとしんどくなってしまうのだ。そこいらの人にやたらと話しかけるエリアの出身だからかもわからない。
 疫病前にニューヨークに遊びに行ったら、普通の路上でも(ナンパとかではなく)めちゃくちゃ人に話しかけられ、わたしはそれだけで「わたしここ好き」と思ったものである。ドイツの人もよく話しかけてくれて好きだった。すれ違いざまの、てのひら大の親切。

 疫病はないほうがもちろんいいのだけれど、東京の大きな公園の「広場度」の高まりはなくなってほしくない。よき遺産として受け継いでもらいたい。
 わたしは公園を歩く。今年は春の訪れが早く、今日にはもう満開になってしまったから、公園にはいつもよりさらにたくさんの人がいる。わたしは花見もかなり好きである。知らない人が楽しそうにしている中にいるのが好きで、それが屋外ならなお気分が良いのだ。親しい人と密室にいるときの絶対的な安堵と充足も大好きだけれど、知らない人と気分よく空間を共有するちょっとした安心感も好きなのだ。なんていうか、戦争が起きなさそうじゃないですか。