傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

洗いたてのタオルのために

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。その後しばらくして増え、いまだ数を減らさないのが自殺である。逃げる道のない者が家に閉じこめられると死ぬ、とわたしは思う。そして寄付などする。
 なぜするかといえば、わたしが無力だったころ、世界はたまたま疫病下でなく、わたしにはたまたま逃げ出すだけの足腰の強さがあったからである。そんなのはただの運で、わたしが死なずに別の誰かが死んでいる理由にはならない。その理不尽のもたらす苦痛を少し減らすために、わたしはときどき寄付をする。

 わたしがはじめて洗いたてのタオルを使ったのは家を出て進学した十八のときのことである。それまでは風呂に入るときには洗面台のタオルを取って新しいものをかけ、古いほうを自分が使用するきまりだった。それがすでに水を取る能力を持たなければ、家の者の、つまりわたしより先に風呂に入る全員のうち誰かの使い古しを使用した。わたしが先に風呂に入るということは確実にない。なぜなら湯を抜いて風呂掃除をするのはわたしで、それは当然のことだからである。
 バスタブには入らなかった。何かが浮いていたりするし、それをほのめかされもするからだ。タオルも先によく調べてから使わないと、何がついているかわからない。シャワーを派手に出すと嫌みが(もっとひどければ乱入者が)やってくるので、カランの湯を細く出してそれを使った。もちろんドライヤーも使用しなかった。
 わたしの生家には女が三人いた。わたしの母親と姉とわたしである。しかし生理用品は目につかないところに置かれ、その場所はしばしば変更された。わたしは学校のトイレでトイレットペーパーを詰め、足りないぶんは見つからない程度に家のトイレットペーパーを使った。なぜなら生理用品を得たところで使用後に捨てる場所がないし、台所の生ゴミ入れに隠しても「臭い」と言われるので、水に流せるトイレットペーパーを使用したほうがまだ快適だからである。
 わたしには自分の下着と家族の下着を手洗いする役割もあった。これの気味が悪いことは言うまでもない。しかし洗濯機を回して洗濯物を干す役割の姉がしっかりと見張っているので、必ず素手で丁寧に下洗いしなければならない。そのほかにも「大事なものがまぎれこんでいるといけないから」ゴミ箱のゴミを手でつかみ出してゴミ袋にまとめるという役割もあり、このゴミ箱は家中のすべてが対象だった。父と弟が使用しているものについても。

 わたしは非常に生意気な子どもだったので、それが何を目的とするものか、小学校五年生のときには言語化していた。「生意気を言わせないため」である。中学校に上がったときの語彙では「身分を思い知らせるため」。この家には身分制度がある、と中学生のわたしは思った。
 しかしそれが特段に不当なものなのかはわからなかった。本を読むと不当だと思うのだが、中学校にも家よりははるかにましとはいえ身分制度めいたものはあって、わたしはその中でそれなりに立ち回っていたからである。高校に上がると「どうやら身分制度は不当であると言い張ることは可能だ」と思った。
 わたしが図書館に通ってやたらと本を読んだのは八割が現実逃避のためで、二割は死なずに生きるためだった。だから八割が小説で二割がノンフィクションや専門書だった。

 わたしは字を読む能力がたまたま高く、そうでなければ今のように生きていないだろう。家の中に身分を作ると「上」の者の精神が安寧するが(そういう人間は少なくない。わたしの父親のような、そしてそれに追随する他の家族のような)、「下」の人間はその後生きることに苦労するし、「その後」すら得られずに死ぬこともある。そういうのも本を読んで知った。知ったので死ななかった。「くそが」と思ったからである。「あいつらは全員うそつきの人でなしだ」と思ったからである。うそつきの人でなしのすることを真に受けてはいけない、と決めていた。
 しかし、素直ないい子はそれをしない。親の愛を求めたり、認めてもらいたがったりする。本によればそちらのほうが正常なのだそうである。「異常な環境に対する正常な反応」。
 わたしは正常じゃなくてかまわなかった。

 わたしがそう思うようになったのはたまたまである。わたしは自殺するか、緩慢な自殺を志す可能性が高い人間だった。でもそうはならなかった。たまたまそうはならなかった。わたしは家を出て愉快に生きて暢気な中年になった。
 だからわたしは寄付をする。わたしとわたしに似た誰かの、洗いたてのタオルのために。