傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ホストが好きで何が悪い

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために打撃を受けたのが「夜の街」である。疫病流行当初は人の足が途絶え、その後は反動で人があふれ、自治体から制限が課され、解除され、また課され、解除された。その過程でしだいに「これくらいはいいんじゃないか」という合意が形成された。しかし、みんながみんなそのように行儀よく夜を楽しむのではない。夜は逸脱を含む。逸脱した者たちが集まって、外の世界とは別の常識をつくる。

 わたしの娘は高校一年生である。夜の街には縁のない年ごろだ。と思っていたのは親だけで、「中学のときクラス一緒だった子、よく歌舞伎のストーリー投稿してる」と娘が言う。わたしは「その子、歌舞伎ファンなのかな」と思い、次にそれが歌舞伎町のことだと理解し、仰天した。十五、六の子どもが東洋一の歓楽街でいったい何をするというのだ。
 目の前の娘はぜんぜんまったくちっとも大人でなく、わたしが「メイクに興味を持つ年ごろでしょ、何か買ってあげようか」と言っても「うーん、めんどくさいからまだいいや」と言うような子なのである。背ばかり伸びた棒っきれみたいなからだつきで、スポーツをやっているせいか夜は十時に寝てしまう。わたしが十六のころは日付が変わるまで布団の中で深夜ラジオを聞いていたものだけれども。そして最初のボーイフレンドがいたけれども。
 そう、十六歳はそれほど子どもではない。わたしは自分の子があんまりかわいくて、もう少しだけ子どもでいてほしくて、だから「こんな子ども(の同級生)が夜の街で何をするというのだ」と思ったのかもわからない。

 ホストのために行くんだよ、と娘は言う。年齢確認をしないバーにお客さんとしてホストがいて、ほぼホストクラブみたいなことして、十代の子を自分のお客として育てるんだって。
 わたしはふたたび仰天した。その営業形態はめちゃくちゃまずくないか。というかそもそも、十代の女子がホストに行きたい理由がまったくわからない。
 個人的には行きたくない、と娘は言う。知らない人と話すのめんどくさいもん。わたしは少々ほっとして、しかし歌舞伎町に行っているという女子のことも気になり、質問を重ねた。その子たちは楽しいのかな、えっと、その、ホストが。ホストの人が言うことやすることは、商品でしょう。そういう遊びが楽しくなるのは、もっと年をとってから、一部の人にだけ起きることだと、お母さん思ってた。
 すると娘はわたしを二秒眺め、つぶやいた。商品だからいいんだと思うよ。

 娘の話を要約すると、どうやらこういうことらしかった。
 ホストはホストとしてのコミュニケーションをとる。お金を払える、払う見通しがある相手のコミュニケーションを切らない。そしてホストクラブには一定の型がある。どうすればいいのかをホストが教えてくれる。それはある種の人間にとって「安心」なのである。そのうえで好みの外見の相手にあれこれしてもらえて、競争相手がホストの価値を示してくれて、競争に勝てば優越感も手に入る。
 ホストでない相手はそうではない。自分とのコミュニケーションを突然切るかもしれない。自分がどんなに努力してもそれを認めないかもしれない。自分が理解できない行動をとり、それについて説明しないかもしれない。というか、ほとんどはそんな感じだろう。なぜそんな連中を相手にしなければならないのか。

 わたしは非常に驚いた。それから反省した。
 わたしの恋愛観は狭かった。人間と人間が向かい合ってガチでコミュニケーションをとり、一対一で選び選ばれ、たがいを理解する、それが恋愛だと思っていた。でもそれはたしかにものすごく「コスパが悪い」。そうしたくなる相手を探すだけで時間が過ぎていくし、報われない可能性が高い。ぜんぜん合理的ではない。
 「純粋な」恋愛をしろ、若いうちからお金を介在させるなんてよくない。そんな気持ちをわたしは持っていたのだけれど、よく考えたらそれはただの気分である。根拠はない。
 どうしてお金を介在させてはいけないのか。どうして一対一でなければならないのか。どうして相互理解とやらがなければならないのか。
 いけないなんてことはない。そんなのはわたしの趣味である。彼女たちがそれにしたがわなければならない理由などない。

 わたしは娘を見る。娘はわたしを見る。それから言う。わたしはそういうの興味ないから安心しなよ、お母さん。