疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために「なんとなく人と会う」ということがなくなった。誰かに会うなら意思をもって会わなければならない。
そんなわけなので、私に会うことにさほど乗り気でない人と会う機会が激減した。私はどうもそれがしんどい。複数人なら会う、とか、誘われたから行こうかなとか、そういう相手と会えないのがつらいのだ。そんな相手は疫病関係なく必要ないだろうという人もあるだろうが、私には必要である。おしゃべりが好きなのだ。たまに会う人だからこそ楽しいおしゃべりだってあるのだ。自分だけが誘うことにもなんら抵抗がない。
疫病の流行が続くこと一年数ヶ月、私はおもむろに「私と会うことに積極的でない相手」と会うことを再開した。
そのような相手のひとりが高校時代の同級生のSである。Sは人付き合いに関してたいそうな不精で、私や共通の友人が引っ張り出さないと社交をやらない。会話の能力が低いのではない。話題の引き出しが多く、無邪気でかわいらしい人柄で、場をともにすると楽しい人物である。でも本人は人と会うのが面倒なのである。
そのSを久しぶりに引っ張り出すことに成功した。疫病以降はじめてのことである。Sはオンラインのコミュニケーションも嫌いだから、会わないと話さない。
なんでそこまで不精なのよと私は言った。昔はそれなりに人と話したりしていたでしょう。ひとりでアメリカに働きに行ったときだって向こうで友達を作っていたじゃない。
Sはいくつになっても少女のような声を出す。その声で言う。だってアメリカに行ったら友達つくらなきゃ生きていけないもん。だから作ったの。職場の友達もそう。ほんとは大学くらいまでで必要な友達はできてて、それ以上はべつにいらない。あとの友達は必要だから作った。みんなしょっちゅう人と会って疲れないのかと思う。
いや私もそんなに友達多くないけど。私がそう言うと、Sはふーんとつぶやいて私を眺めまわし、友達二桁いれば多いよと言うのだった。一桁でいいよ友達。それで年に一回ずつ会ったらもうじゅうぶん。二年に一回でもいい。ちなみに夫の単身赴任もとくにさみしくない。毎月帰ってくるけど半年に一度でいい。
そんな生活で暇にならないのかと問えば、最近は放送大学の授業がおもしろいのだと言って、楽しそうに小難しい話をするのだった。
そう、Sはものすごく勉強ができるのである。高校の時分には予備校の奨学生をやっていた。そして私に余った受講チケットとかをくれた。なんで予備校が授業料を取らないどころかプレゼントをくれるんだ。意味がわからない。私がそう言うと、受かるからだよ、とSは言うのだった。合格数が予備校の実績になるから、受かる人間は囲いこんでおくんだよ。
そんなだからSは高校生の段階で三カ国語を話した(のち五カ国語まで増えた。なお、高校から一貫して理系である)。私は彼女の流暢な英語をうらやみ、いいなあ、私、英語できなくてさあ、と言った。するとSは実にかわいらしいようすでこう言った。サヤカが英語しゃべれないのは勉強してないからじゃん。
おお、そのとおりだ、と思った。そのとおりだが、言うか、それを。高校の教室で机に突っ伏して笑っている私の横で、彼女は「箸が転んでもおかしいとはまさにこのこと」などと言っていた。私はそれでいっぺんに彼女を好きになったのである。
Sは「科学の力で地球を救う」と宣言して進学し、さっさと博士号を取り、「地球、どうも救えないっぽい」と言いながらしばらくアメリカの研究所で働いていたが、やがて帰国して不動産の運用で生計を立てはじめた。地球を救えないし満足なポジションを得る見通しが立たないので拗ねたのだそうである。後者はまあわかるけど、地球を救えないからといって拗ねるのはどうなのか。拗ねのスケールがでかすぎやしないか。
それ以来ずっと拗ねてひきこもっているというのが本人の弁だが、疫病が世に広がった今、そのライフスタイルはある意味で正しかったのかもわからない。Sはもともと体が強いほうではない。二十代には死をも覚悟するたぐいの病気になったし、今でも定期的に検査を受けている。
私はいまだに、Sがそのうち世界を救うんじゃないかと思っている。だって、あまりに頭のつくりがすごくて、ほとんどマンガみたいなんだもん。私がそう言うと、Sはやっぱりかわいい声で「そんなわけないじゃん」と言うのだった。