傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

あの人たちいったいどこに行っちゃったんだろう

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにオンラインでのコミュニケーションが活発になり、ふだん会わない人とのインターネットを介した「再会」が(わたしの周辺で)ちょっとしたブームになった。今どうしてる。そう、それはいいね。

 疫病のはじまりから一年、再会ブームもひととおり落ち着いた。なにしろふだん会わなかった人なので、十年二十年ぶりに連絡がついたからといって、そのあと濃密な人間関係が生じる確率はきわめて低く、「どうしてる」「それはいいね」が終わればだいたい用はないのである。「久しぶりに集まろうよ」ができないご時世だから、なおのこと。

 そうしてわたしたちはいつもの人間関係に戻った。戻ってだらだらとオンラインで話をする。今日は高校生の時分からの友人と、高校生のとき空き教室やコーヒー二百円のカフェで延々と話していたように話している。

 わたしが再会ブームを話題にすると、そうだそうだ誰それはこうだった誰それは意外なことにこうだった、とちょっとだけ盛り上がった。それから彼女はおそらく手元の皿かなにかを下げて(そういう音がした)、低い声で言うのだった。あのさ、こういうときにも連絡を取らない、取れない、なんなら思い出さない、大学出て何年かのあいだにわたしたちの前からいなくなっちゃった人たち、いるじゃん、この世からいなくなったわけじゃないはずなのに、再会ブームでも名前があがらない人たち。それから低い声のまま当時教室でいくらか話をする仲だったクラスメートの名を複数挙げた。

 わたしたちはいわゆる就職氷河期世代である。就職先がなかった。それはもう、ぜんぜんなかった。そんなだからわたしの同世代の友人には外資と公務員と資格職がやたらと多く、一部が大学院進学やベンチャー立ち上げを経験しており、転職経験のない者がきわめて少ない。職業生活の初手からけちがついたので景気がよくなってから転職するのは当たり前のことだったのだ。

 でもそれはいわばコミュニティに残った人間から見える景色である。

 もちろん、このたび再会しなかった人々が不本意な人生を歩んでいるとはかぎらない。彼ら彼女らは単に高校大学の薄い友人たちに愛想をつかしていて、誰にも連絡を取りたくないだけかもしれない。その後の人生が幸福にすぎるのでインターネット経由で誰かと再会するなんて思いもよらないのかもしれない。たいへんなお金持ちになったので下心のありそうな連中とは接点を持ちたくないのかもしれない。

 しかしそうとはかぎらない。もちろん。なにしろたいへんな不景気だったのだ。都内有数の進学校で、あるいは有名大学で、自分はできるのだという意識をすくすくとはぐくみ、努力もして、そうしてまったく報われず、白紙の値札を下げて労働市場で買いたたかれた、そういう人がいっぱいいたのだ。全員が全員「じゃあしょうがねえな資格でも取るか」とか「日本がだめなら外資に行きましょ」と思って白紙の値札の重みに長いこと耐えられるわけではない。

 実際のところ、失踪は多かったよ、と友人が言う。友人は理系だったので、少々専門を変更してまで修士卒の需要が多い工学系の大学院に進み、修士課程に入るなり研究そっちのけで就職対策を打って、景気がよくなったところで転職した。そうして大学院時代に幾人もの「失踪者」を見たと、そのように言うのだった。休みがちになり、他人を拒絶するようになり、そうして次の進路も決めずいなくなる人がそれなりの数いたのだと。

 疫病なんて不景気よりなお悪いよ。友人が言う。もっと理不尽で、もっと突然なんだから。わたしが今の就活生だったとして、どうして一年前に大学四年生じゃなかったんだろうって思うよ。今の進学率は半分くらいだっけ、そしたら半分近くは高校三年生で就活してるとして、十八でそんなのに耐えられる?
 わたしだったら耐えられないな。大学四年生でも耐えられないかもしれない。あのころだって「どうしてバブルに間に合わなかったのか」「せめてここまで冷え込む前ならどんなによかったか」「こんなの一生不利になるじゃないか」と恨みに思ったし、実際、世代として一生ものの不利を背負っているでしょう。

 失踪した人がみんな幸福ならいいな。友人はそう言う。単に幸福にすぎてわたしのことなんか忘れてて、それで連絡がつかないならいいな、全員がそうであったら、いいのにな。でもきっとそうじゃないんだろうな。