傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

私たちが広場ですること

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために休日の公園にやたらと人がいる。私の家の近所には大きな都立公園があり、よく飼い犬を連れて散歩に行く。今日も行った。そうすると疫病の前の二倍くらい人がいるのだった。遠出も屋内レジャーも禁じられたので、休みの日にやることがないのだ。
 ベンチは等間隔で埋まり、人々は本を読んだり音楽を聴いたりおしゃべりしたりしている。なかには自前の折りたたみ椅子を使っている人もいる。芝生や落ち葉のスペースの上にレジャーシートを広げ、家族や大人同士で寝そべっている人も少なくない。なるほど、「屋外で寝る」というのは考えうるかぎりもっとも害のない娯楽である。
 公園の敷地は広い。何もない空間が続く。ふだんはよくここに大道芸人がいるけれど、今日はいない。きっと人が集まるから禁じられたのだ。その代わりといってはなんだけれど、ものすごく上手なサックス吹きがいる。商売ではなくやっているようだけれど、お金をもらってもいいのではないかと思うくらい聞き応えのある演奏だ。

 私は公園を横切りながら人々の娯楽を数える。読書、音楽鑑賞、おしゃべり、楽器演奏、飲食、ジョギング、キャッチボール、スケッチ、写真撮影、コスプレ、ダンス、スマートフォンのゲーム、落ち葉のかたまりへのダイブ(主に子どもがやる)。地面があるだけでいろんなことができるものだ。疫病前はこの公園でここまで多くの娯楽を観察することはできなかった。
 でも私はそのような光景に見覚えがあった。まだ海外旅行が一般的な娯楽であったころ、東南アジアでよく見かけたのだ。
 たとえばホーチミンシティに行くと、街を細長い公園が横切っている。細長い公園には夕食後の時間帯まで人々がいる。それで何をしているかといえば、運動をしている。チームスポーツをしている一群もあるし、ジムにあるような器械を使っている人もいる。どうやらホーチミンシティの公園はジム代わりになっている。道路のふちに腰掛けて小さなダンベルを上げている人までいる。東屋の下には大音量で音楽をかけて社交ダンスを踊る年配の男女がいる。
 彼らはもちろん運動のほかの娯楽も楽しむ。道ばたに椅子を出してお茶を飲み、話をし、恋人の肩にもたれる。道ばたで食事をし、運動し、ボードゲームをし、スマートフォンで何かに接続する。酒を飲み、音楽をかけ、あるいは演奏し、踊る。子どもと遊び、犬を走らせる。人生の楽しみがすべて路上にあるようだった。喧噪、におい、排気ガス。イラ・フォルモーサ。

 今や東京がそのような場所になったのだ。冬の寒さのある国の、その冬のさなかにも、人々は広場に娯楽を展開している。それは疫病によるさまざまな社会活動の制限の結果だ。それでも私はそれらを豊かさと呼びたい。
 まだ海外旅行が一般的な娯楽であったころ、寒いさなかの公園で口をあけたウォッカの瓶を持ち歩いていたために警察官に連れて行かれた人を見た。ニューヨークでのことだ。ニューヨークの公園や路上での飲酒が禁じられていることを知らなかったのではあるまい。住んでいて、知っていて、それでも酒を飲まざるをえなかった、そういう人だったのだろう。リスのいる林も、素晴らしいジョギングコースも、敷地内のスケート場も、彼の気を引くことはできなかったのだろう。まったくもって他人事ではない。
 楽しいことがないとき、そして楽しいことを作り出せないとき、私たちは簡単に麻痺することを選んでしまう。何もなければ内側から不安が湧いて出るのが人間の仕様であって、それを外に逃がす方法がなければ薬物を使うか、さもなくば別の嗜癖に耽溺するかして、湧いて出る不安から目を逸らす。そういうことをやりかねない心性はもちろん私にもある。麻痺はいつだって私を待っている。辛抱強く私の体内に苦痛を送り続け、自分のところに駆け込んで来るのを待っている。
 だから私は自分にとっての人生の喜びのひとかけらを(たとえば飼い犬のリードを)握り、大きい公園に行く。そうして赤の他人が持って来た人生の喜びを見せてもらう。彼らが家にこもらず、その素敵なものを持って公園に出かけてきてくれて、ほんとうにありがたいことだと思う。病的な人間関係、病的な飲食、病的な活動はもちろん彼らの中にもあるだろう。でも私はそれらを仮定しない。美しい人生の印象だけを、彼らの姿からもらう。