疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。医療福祉職は「エッセンシャルワーカー」という、疫病下で新しく作られたカテゴリの筆頭とされ、だからわたしの仕事はずっとよぶんではない。
よぶんでない仕事の負荷は高まり、それが改善する見通しはない。わたしたちの忙しさや危機感は居住地の感染の状況と社会の気分(実はこちらも非常に大きなファクターである)によって右に左に振り回される。極限状態、小康状態、取り残された過去の仕事の回収、取り残された自分の将来のための勉強、ふたたびの多忙、そしてまた取り残されるさまざまなものごと。待遇? 上がるはずがない。手当だってつかない。なんなら疫病への対応のための出費のために給与が切り下げられているケースもある。
「エッセンシャルワーカー」とはなんなのかと思う。もしかするとそれは、ご立派な呪いをかけられた人間たちのことではないかと思う。「大多数の生活のために長期間におよぶ過酷な労働に耐え、感染症のリスクはもちろん非常に高く、給与は切り下げられ、でも『これがわたしたちの使命ですから』と笑っていろ」という呪いをかけられた人間たち。報酬は「感謝」。わたしの勤める病院にも千羽鶴が飾ってある。
でももちろんそんなことは口に出さない。わたしだって「感謝」を嫌いなのではない。感謝さえされることがなくなれば、とうに辞めていただろうと思う。そうは思うが、同時に犠牲的労働を長期間続けることも好まない。
自分の所属する組織が非常事態にどう対応するか、非常事態が長期化したときにどのようなヴィジョンをもってことにあたるか、わたしはこの半年、注意深くながめてきた。そうして出た結論は、「長くいるものではない」というものだった。わたしは長いつきあいの転職エージェントに何度も相談し、恨みを買わぬようあれこれと根回ししたうえで、新しい職を得た。
公共性がより高い職場にいるのが非常時の医療者のつとめだと考えるなら、わたしは職場を変えるべきではない。比較的若くて身体頑健なのだから勤務内容が相対的に過酷でない職場は年長者に譲るべきだという意見もあるだろう。
しかしわたしはそれをしない。わたしはひとりの労働者であり、ひとりの生活者である。疫病下にあって心身をすりつぶされるまで働いて倒れて千羽鶴を折ってもらう犠牲者ではない。それこそが正しい医療者で正しい「エッセンシャルワーカー」だというのなら、わたしは失格である。失格で結構だ。
わたしは子どものハロウィンパーティに出る。友人たちの年齢の近い子が五人あつまり、独身の子ども好きも参加するホームパーティである。
子の髪を編んでオレンジのリボンをつけ、子が選んだオレンジの地に黒いチュールのロングスカートを着せてやる。子は上機嫌で、保育園で入ったという「まじょのかい」について話す。ママも入りたい? と訊くので、大人でも入れるのかと訊きかえすと、もちろん、と言う。まきせんせいもはいってるもん、と言う。おとこのこもはいれるんだよ、と言う。りょうくんもはいってるの。
じゃあ入れてもらおうかな、とわたしは言う。女の子だけとか言われたらママ絶対はいらないけど、誰でも入れるんなら入っちゃおうかな。
だれでもじゃない、と子が言う。まじょはだれでもじゃないの。まじょはとくべつなんだよ。そうかそうかとわたしはこたえる。そりゃあそうだよねえ、魔女だものねえ。
子どもたちが乾杯する。大人たちも乾杯する。わたしはかたちだけグラスを掲げる。そうか、と誰かが言う。家族以外と飲食しちゃ、いけないんだよね。たいへんだなあ。近所のお医者さんにも感謝しなくっちゃ。
わたしはあいまいに笑う。以前の職場ではたとえ飲食しなくても私的な集まりに出てまんいち感染したら何を言われるかわかったものではなかった。だからわたしは誰とも会わなかった。そもそもそんな気力も体力も残っていなかったし、あったとしても人と休みを合わせるなんて不可能だった。
わたしはその状況を続けるべきだったのかもしれなかった。それこそが正しい医療者の姿なのかもしれなかった。わたしが医師免許を取ったとき、そういうキラキラした自己犠牲にあこがれていなかったとはいえない。けれどわたしはもう自己犠牲をよいものとは思えない。自己犠牲を求める連中を糾弾したいと思う。犠牲を生むシステムを維持するな、犠牲のないシステムを考えろ、と思う。
それを堕落と呼ぶ人もいるのかもしれなかった。わたしはだから、ほんとうに「魔女の会」に入ったのかもしれなかった。