傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

お正月を許す

 元旦の昼、「東京の伯父さん」という役割を果たすために新幹線の切符を買う。

 平均寿命の半分近くまで好き勝手に生きてきた。堅実な教育を受け、こつこつ勉強し、十八になって、好きな数学をやろうと思ったけれども、あれは完全に才能の世界で、僕にはそんなに才能がないこともすぐにわかったので、どうしようかなと思って、そのころコンピュータがインターネットにつながって、いわゆるITバブルというのが来て、それでプログラミングをやるようになった。時代の子というやつだなと思う。

 みんながやっていることをやらなきゃいけないと思わないこともなかった。僕は男のからだをしていて、自分を男だと思って、それを疑ったこともないから、当時の感覚では女の子とつきあわなくてはいけないのだった。たまたま同級生に言い寄ってもらって、いやじゃないかなと思って、みんながするようなことをひととおりやってみたけれど、控えめに言ってぜんぜん楽しくなかったし、どう考えても継続は無理で、でも、やってできないことはないから、不可能なのではないから、要するに、僕が悪いんだ、と思った。何かが故障しているのだろうと。

 ひとつも悪いことないし、悪いと言うならあなたがつきあってたリンちゃんに対して少し悪いけど、まあ、人間は、人間を、ふるので、ただそれだけで、あとは何も、ひとつも、あなたは悪くないので、故障はぜんぜんしていない、ばかか、本を読め。あとリンちゃんにはもう新しい彼氏がいる。

 友だちがそう言うので、そうか、と思った。それならよかった、と思った。本は借りて読んだ。文系の人はむつかしいことを考えるなと思った。人間の行動はしばしば文化に規制されるが、それにそぐわない者が自分を悪いと思う理由はないのだ、というようなことが書いてあった。そうか、と思った。たまには本を読むものだなと思った。

 僕の弟は「正しい」男である。高校までは僕と同じ学校に行っていた。それから地元の大学を出て新卒で地元の酒造メーカーに勤務し、同じ会社の女性と所帯を持って三年後に子をなした。完全な人生である。僕の貧しい感受性では、そういうのが完全な人生なのである。友人には叱られるだろうが。

 姪の名をリコという。理科の理に子どもの子である。今年六歳になった。六歳ともなるともう知恵がついているので、自分の父に兄がおり、東京に住んでいて、計算ができて、それを仕事にしている、というようなことを知っている。そうはいっても六歳なので、「たぶんレアなポケモンみたいなものだと思われている」と、二年ぶりに電話した弟が言っていた。

 ポケモンというのを知らないのではない。広くとらえたら僕たちの業界はゲームなしに生きてはいかれない。それでも自分がレアポケモンだと言われると、そうか、と思う。僕が悪かった、と思う。

 みんなが許してくれるから、僕はしたいことと生きるためのことのほかに何もしなかった。僕は、好悪の情にかかわらず、誰であっても接触されたらいやで、よほど慣れた人間なら隣の席に座っていてもいい。それくらいの距離感が心地いいんだ。生活は規則正しく、静粛にしたい。騒音はかぎりなくゼロに近づけたい。住居には誰も入れたくない。僕は、そういう生来の自分の好みだけで人生を構築して、それを恥じることはないけれど、恥じてはいなくても、後ろめたかった。正しくはないと思っていた。正しさというものをちゃんと考えたことがないからだと今ではわかるけれど、そういうのは僕の専門ではないから、しょうがないだろう、後ろめたくても。

 悪かったから、姪っ子にお年玉を持っていく。生家には人がたくさんいるだろう。弟が帰るタイミングで戻るのは何年ぶりだろうか。僕はそもそも帰省というものをめったにしないのだ(僕は勝手だから。そしてそれが後ろめたいから)。

 そろそろ和解しようと思う。「普通」に生まれることのなかった、僕の天性と、それをもてあましながら迫害はしなかった、僕の生家の人々と。たまに理不尽なことも言うけれど、悪い人たちではない、僕の生家と、僕の親族の集まる、「正しい日本の家庭」の祭典のような、正月を。なに、たいした仕事ではない。新幹線に乗って一時間半、在来線で一時間、それからバスに乗って、贈り物をもって、彼らのもとに行って、ひとばん泊まって、帰ってくればいいだけだ。その家には、小さい女の子が、なんだかやけに算数を好きなのだという、僕の顔だちを女の子にしたような、六歳の子どもが、伯父さんは子ども慣れしていないからきっと遊んでくれないと言い聞かせられているのに、いちばんいい服を着て「東京の伯父さん」を待っている。