巨大で清潔で管理された水たまりに行った。凶暴な日差しが濃い影を作る水辺、といったら楽しそうだが、なにしろ膝までしかない水たまりなので、それだけあっても楽しいものではない。幼児を解き放って水遊びさせるための設備だ。プールより手数をかけず安全に子どもを水につけておける。家庭用のビニールプールのものすごく大きいバージョンと思えばだいたい合っている。都市のマンションにはなかなか置けないから、代わりに公共のビニールプール的なものがあるのだろう。保護者たちがなぜそんなにも夏の子どもを水につけたいかといえば、彼らが自主的に良い運動をして疲れてすっと眠ってくれるからである。仕事で疲れきって週末も延々幼児の相手をするなんて保たない。
息子は少し大きいお兄さんたちをちらちら見ながら遊んでいる。彼にとっての「お友だち」はまだ、そこいらにいる子たちである。選択的な友情を知るのはもう少し先だ。小学校あたりだろう。小学生にもなれば泳げる子もあるし、年齢二桁に達すれば子どもだけでプールに行ったりもできるだろう。そう思う。遠い、と思う。
僕の息子はもうすぐ四歳になる。生まれて二年は妻ともども記憶が途切れ途切れだ。いちど大きな病気をしたこともあって、なんだかよくわからないほど大変だったのだ。子どもが生まれる前、仕事して子育てすることを当たり前だと僕は思っていた。自分はそれくらい当たり前にできると思っていた。ぜんぜん当たり前じゃなかった。正直なところ、ゼロ歳からのプロセスをもう一回やる気がしない。妻によると僕は「夜な夜ないかれたミッキーマウスみたいな声で」息子をあやしていたということである。小さい子どもは高い声によく反応するから自然とそうした発声にはなるのだが、そこまでだったろうか。半ばやけになっていたのかもしれない。
息子はもうすぐ四歳になる。ある程度ことばが通じるから、楽になったと思う。思うが、まだまだ手はかかる。そのうち手がかからなくなることが信じられない。息子はまだ時間の概念があいまいだ。つられたように僕も妻もどこか刹那的に生きている。永遠の四歳弱とその両親。いくつと問えばいつまでも三本指が差し出される気がする。薬指を完全に上げることのできない、不完全な三のジェスチャ。季節は夏だ。水面が輝き、僕は疲れていて、いつでも睡眠不足で、甘ったるいめまいがする。
子どもが生まれてからというもの、ときどき驚くほど感傷的になってしまう。自分の中の感情がキャパシティを越えている。僕はそんな経験をしたことがなかった。こんなにもいろいろな感情が始終行き来する心であったことはなかった。間欠的に湧く新鮮な驚き、慢性的な疎ましさと多幸感、衝動的な憎しみ、目の前にいないときの開放感と寄る辺なさ。
思春期も、恋愛しているときも、僕はわりと静かな人間だった。子どもができたってそうだろうと思っていたけれど、なんだかぜんぜん違ってしまった。あなた、二倍くらいになった、と妻は言っていた。体重じゃなくってね、体重はもっと増えていいよ、そうじゃなくって、あなたという人が、わたしが思っていたよりもずっと、豊かだった、なんていうか、月の裏が見えたみたいに、地層の奥があったみたいに。
息子が戻ってくる。息子は大人のそばで遊んでいるとときどき戻ってきてがばと抱きつき、何をするでもなくそのままぷいと遊びに戻る。その一瞬、息子は頭を僕に押しつけ、僕は息子の背を一度だけぽんとたたく。ぽん、というか、ぼん、というか、けっこう強めに刺激する。寝かしつけのときも強めに背をたたいてやるほうがよく寝る子である。
子どもが好きだと思ったことはなかった。もうひとり欲しいとも思わなかった。僕はただ、理不尽にこの子だけが好きなのかもしれなかった。偶然に、特別に、排他的に。いいじゃない、と妻は言っていた。今いる息子が可愛いならそれでいいじゃない。よくない、と僕は言った。こんなに入れ替え不可能ではだめなのだ。病気で死ぬかもしれないのに。あした死ぬかもしれないのに。
僕はそのときの記憶があまりない。妻もよく覚えていないというが、嘘だと思う。僕は大病をした息子のそばにいることに耐えられず、妻にすべてを押しつけて逃げたのだから。たとえそれが数日のことだとしても、覚えていないはずがない。「月の裏」は、「地層の奥」は、そのようにろくでもないものでもあった。
僕は息子を呼ぶ。そろそろ水を飲ませて帰り支度をさせようと思う。息子が歩いてくる。僕の息子が水を蹴って歩いてくる。季節は夏だ。永遠のような夏だ。