寝苦しいのは冷房のせいだと思っていた。このところの気温の高さで、眠るときにも冷房をつけたままにしているからだ。でもそうではなかった。うとうとし、何度か目が覚め、そのたびに「悪い夢を見ているんだな」と思った。そうして何度目かに認めた。これは現実だ。
胃のあたりに焼けるような痛み、吐き気、背中を主とする全身のみしみしとした痛み。息をするのも不快で、でもしないわけにはいかない。しかたなく呼吸をする。眉間の少し下、鼻の隆起がはじまるあたりに痺れるような不快感が通る。鼻も口も肺もふだん軽々とこなしている仕事を不承不承やってくれているという感じだ。
一大決意をして立つ。歩く。「立って歩く」が重労働である。とにかく何もかもが痛いので、買い置きの痛み止めを服用する。この痛み止めを買ったのは十ヶ月ほど前、歯痛に悩まされたときだった。歯痛の原因は未だ不明である。歯科医に駆け込んだが、該当箇所に虫歯も歯周病も見られないまま治ってしまったのだ。その後、一ヶ月ほど前にも強い胃痛があったが、一晩で治った。このたびは一晩で済みそうにないと直感した。
痛み止めが効いて朝まで眠ることができた。起きると立って歩くことができたので、ぬるま湯と、カップに梅干しを入れて番茶を注いだものをのんだ。胃はそれさえも不服のようだったが、水分と塩分がみるみるうちに身体にしみわたったように感じられた。いつもは朝からごはんをもりもり食べるというのに。
慎重にシャワーを浴び、慎重に髪を洗い、慎重に乾かした。身体はだいぶ回復したが、ふちまで水の入った壺を運ぶようで、揺らしたら痛みがこぼれそうである。通勤はタクシーですることにした。職住近接最高だなと思った。今日までにどうにかしなければならない作業はなく、出なければならない会議などもなく、すべてを後回しにできるし、退勤も早めにできる。しかも金曜日だ。具合が悪くなるにはうってつけの日である。そんな日があると実感したくはなかったが。
今晩食事をするはずだった友人に繰り延べをお願いする。すぐにメッセージが返ってきた。もちろんいつでもいいよ、無理しないでくれてありがとう。無理しないでくれてありがとうってすごくいいフレーズだなあと思う。今度使おう、と思う。
職場の近くのクリニックに向かう。外は酷暑である。目の前は白っぽく現実感が薄いが、汗は流れ落ちてくる。汗が流れるという身体機能が動いていることに少し安堵する。医師の見立ては予想どおり「胃腸が荒れているようだが、詳しくは専門的な検査を受けるべき」というものであった。発熱も三十七度台、自宅静養の範疇である。まあそうだろうな、と思う。こういうのってだいたいすぱっと診断がおりたりはしないんだ。
帰宅する。念のため二名の友人に「かくかくしかじかの症状が出ている。まんいち日曜日のうちに再度連絡がなかったらうちに来てほしい」と連絡する。独居者同士のネットワークである。
それから三十時間ほどのあいだに考えたことは「痛みが強くなってきた」と「弱くなってきた」と「早く時間が経ちますように、今でなくなりますように」の三つしかない。およそ思考というものができなかった。頭の中には仕事で大きな、しかも自業自得の失敗をする、むかし死んだ誰かがそこにいてこちらを見ている、飼ってもいない生き物の世話ができず苦しませている、といった幻想が行き交っていた。幻想は過去にあったこととなかったこと、ありえたこととおよそ生じにくいことがないまぜになり、しかしその最中の現実感は同じなのだった。取れる姿勢は仰臥と横臥のみである。立って歩くことはふたたび重労働になった。痛みの少ないタイミングをみはからって立ち歩いた。
日曜日になると、痛みと不快感が明瞭に小さくなった。痛みに芯がない。独居者ネットワークに回復を報告する。それから人間ドックを予約する。検査したところでわからないことのほうが多かろうが、やるだけやっておこう、と思う。検査のあとは専門医かなあと思う。生活習慣を見直す必要もあるだろう。心あたりはいろいろある。起き抜けのコーヒー、空腹時のアルコール、食事を摂る時間の不規則さ。
一方で、改善はそれほど見込めない気もする。もとからけっこう健康的な生活をしているのだ。もう四十年も生きたからガタもくるさ、と思う。いい人生だったなあと思う。まだ死ぬ気はないが、平均寿命の半分くらいは過ぎたわけで、その半分に感謝してもいいだろうと思う。今まで生きていてよかった。とても楽しかった。そして少し疲れた。