傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

バスタブの桃

 丸ごと皮を剝いた桃を片手に湯船につかる。指の腹に果汁がじんわりしみる。肩から下の温度を感じながら白い桃を眺める。それからがぶりと噛みつく。わたしが動くと湯気がぼわりと揺れ、浴室に桃の匂いがたちこめる。入浴剤ともハーブのオイルともちがう、気性の激しい果実の香り。わたしは鼻孔をひらき、口をひらき、まぶたをゆるめ、歯を剥きだしにして桃を食べる。

 わたしが小さかったころ、「お行儀のない日」という祝日があった。親が口にする冗談みたいなもので、国民の祝日ではない。でも未就学の小さな子どもにとって、自宅での特別な日はそれと同じようなものだ。「お行儀のない日」は一年に二回くらい来た。今にして思えば、それは母とわたしをとても親密にした。

 わたしの基本的な生活習慣を躾けたのは父だった。父はまめな男で、家にいるときはしばしば掃除をしていた。手を洗うついでにシンクに残った食器を洗うような人だった。幼いわたしは父に爪を切ってもらい、髪を結ってもらい、歯の仕上げ磨きをしてもらい、日焼け止めを塗ってもらった。そうして何百回も「夜は決まった時間に眠らなければならない」と諭された。わたしは父を好きだったけれど、ちょっと煙たくなることもあった。だって、お父さんには、嫌いな野菜さえないんだもの。

 母は生のトマトと加熱したにんじんが嫌いで、気を抜くと箸の持ち方が変になってしまう人だった。家庭における母は豪快な料理を作って笑っている係で、台所以外では家事をせず、よく飲みかけのコーヒーカップを置きっ放しにしていた。しかもほとんど必ず少しコーヒーを残していた。父はそれを洗いながら、食器は一度使ったら洗うものだ、と言った。はあい、と母は言った。そしてまたカップを置きっぱなしにした。母なりにきちんとしようと努力していたけれど、どうしても追いつかない。そんなふうに見えた。

 父の泊まりがけの出張をねらって、母は宣言した。「お行儀のない日が来ました」。わたしはものすごく喜んだ。わたしたちはベッドの中でチップスを食べたり、おたがいの顔に母の化粧品で落書きをしたり、落書きした顔のままファンキーなダンスを踊ったり、夜中までテレビを観たり、パジャマを着ないで眠ったり、した。

 お父さんには内緒よ。外ではやらないのよ。母はそう言った。わたしの答えは決まっていた。はあい。とても良いおへんじ。だって、「お行儀のない日」は特別で、頼まれたって母以外の人と過ごしたいものではなかったから。わたしと母のふたりきりの日、外の人はみな知らない日であってほしかったから。「お行儀のない日」、母はいろんなことを提案したり、許したりしてくれたけれど、悪いことはひとつもなかったと思う。わたしたちの秘密はとても無害なものだった。誰にも迷惑をかけないこと、でも人には言わないこと、お風呂の中で桃を食べるようなこと。

 不器用な子どもが桃の種のまわりをかじると顔も服もべたべたになる。母がお風呂に桃を持ち込んだのはそのためだったのだろうと思う。ベッドでチップスを食べたのはシーツを洗う直前のことだし、夜中までテレビを観ていいと言われても、幼いわたしはわりとすぐに眠ってしまったはずだ。子どもはほんとうに起きっぱなしになりたいのではなく、起きていてもいいというシチュエーションにはしゃぐだけなのだ。母はああ見えてけっこう合理的に判断していた。そう思う。

 頭まで湯につかる。バスタブの底の栓を抜く。居間でぼんやりする。寝室で眠る夫も二歳の息子も、わたしがお風呂で桃を食べたことを知らない。わたしは自分の子とふたりきりで特別な「祝日」を過ごすことがあるだろうか、と思う。あるにしても、わたしと母のことは秘密のままにしたい、と思う。わたしも母親になったけれど、だからといって母の子でなくなったのではない。子どもであるわたし、保護される側のわたしがいなくなったのではない。お母さんはお母さんのままだ。まだ六十代なのに、ときどき台所のコンロに火をつけたことを忘れるようになり、親族の総意で家をオール電化にしたけれど、お母さんはお母さんのままだ。なんにも変わっていない。

 大人になってから母と過ごす時間にはだいたいほかの家族がいて、母とふたりで話すことはあまりない。けれども、次にそういう時間ができたら、きっと言おうと思う。わたしが小さかったころ、お母さんとわたし、お風呂の中で桃を食べたよね。お母さん、とっても楽しそうだった。