傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

お正月に帰る

 あー疲れた、まじ疲れた。盆と正月ほんと嫌い。きみたちは俺の心のオアシスだよ、まあ飲んでくれ。正月だろうと何だろうといつも通りぼけっと過ごしているきみたちは最高だ。

 盆と正月は妻の実家に行くんですよ、一日ずつ。泊まりだと耐えられないから、この数年は日帰り。子どもに手がかかるっていう言い訳をしてるんだけど、ほんとは俺の心が保たないからなの。俺の実家は、すごく遠いし、親もべつに正月に来てほしがるタイプじゃないから、適当な時期に子ども連れていけば、それでいいんだよね、だからスケジュールがきついわけでもないんだ、拘束されるのは元旦だけだから。

 でもそのたった一日がものすごく疲れる。もうびっくりするくらい疲れる。いや、何もしないよ、妻の実家でこき使われるみたいなことはない。逆に何もしない。上座に座らされて飲み食いしてるだけ。子どもの面倒は妻が見る。俺はなにもしない。そうでないと妻の実家の連中の機嫌が悪くなるから。俺が子どものおむつ替えるだけでひっくり返りそうにびっくりして妻を別の部屋に連行する。だから妻はその一日だけ、俺に何もして欲しくないんだと言う。

 傅かれるのってひとつもおもしろくない。まともな精神を持っていたら不愉快でしかない。でも行かないといけないんだ、行って「立派なお仕事をなさっているやさしい旦那さま」をやらなくちゃいけないんだ、義母はね、そういうのが大好きなんだよ。俺が立派で、うちの上の子がすごくいい子で、そうでなければ下の子を許してやらないんだ。下の子はまだ小さいから、自分が義母の「マイナス点」だということを知らないで、にこにこして、おばあちゃんに会いに行くって言うんだよ。お年玉くれる相手が少ないからかなあ、お年玉うちで倍やれば行かなくていいかなあ、ほんとに迷うんだ、毎年。

 子どもだってそのうち自分が蔑まれていることを理解するだろう。義母は自分を差別者だと思っていない。差別する人間はだいたい自分を差別者だと思っていない。うちの下の子の難聴は治るものじゃない。原因だって特定できるものじゃない。でも義母にとってはそうじゃないんだ、二番目の子に障害があったのは「至らない娘」のせいなんだ。そして俺に謝るんだよ、そして俺を持ち上げるんだよ、それが義母の価値観では正しいことなんだよ。

 俺は義父母の言う「立派」な人間ではぜんぜんない。収入がすごく少なかった時期は妻が借りたマンションに住まわせてもらってた。あ、あのころはまだ結婚はしてなかったかな。俺は、どちらが稼いでいようがそのカップルの勝手だと思う、立派もなにもないと思う、でも義父母はそうじゃない、義父母は男が稼いで女がそれに傅くのが正しいと思っている。あと「いい仕事」とそうじゃない仕事があると思っている。なんかさあ、ぜんぶにランクがあるみたいなんだよね、あの人たちの頭のなかでは。職種、勤務先、家庭の構成員、住居の形態、その他もろもろにおいて。ばかみたいだと思うだろ、俺もそう思う。みたいっていうか、完全にばかだと思う。ばかというのがものを考えないという意味なら、これ以上のばかは存在しないと思う。

 でも俺はそこに行くしかない。妻が絶縁すると言わないで子どもが行きたいというなら行くしかない。そして消耗する、とても消耗する、上げ膳据え膳されて晴れ着で写真撮って子どもにお年玉もらって消耗する。

 俺はほんとうは暴露したい、俺が少しも立派じゃないって。今だって収入は妻とそう変わらないし、家事のための機械をばんばん買ってて、女だけが動き回ってる家なんか大嫌いだって言ってやりたい。長女一家はおまえのアクセサリーじゃねえんだ、立派な旦那さま?お利口な子どもたち?そんなもんどこにもない、あのじじいとばばあの頭の中にしかない。

 俺の子どもの障害をないものとして扱うのをやめろ。子どもの耳が聞こえにくいことがそんなに恥ずかしいか。恥ずかしいのはお前らの頭だ。「でも上の子がいるから」だと?人間が人間の代わりになるわけがないだろうが。なるんだったらお前らの代わりをよこせよ、俺の子を愚弄しない、俺の妻をおとしめない、代わりの「義父母」に取り替えさせろよ。

 ああ、すっきりした。ただいまって感じ。言いたいこと言えるの最高。俺は、盆正月に実家に帰りたいなんて思わないけど、自分の価値観には帰ってきたいと思う、自分が何を憎んでいて、何を大事にしているのか、わかってくれる人がいるところに帰ってきたいと思う。あけましておめでとう、今年もよろしくお願いします。