傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

失言を待ち続ける

 部下からのハラスメント報告を持って担当部署に行く。私の部下にハラスメント発言をした人物はもともと私にも失礼で、ハラスメント防止などというかけ声がかけられる前から失礼だったので、新卒三年目あたりで反論と録音と当時の人事部責任者への報告を実行したところ、その後は申し立てるほどの被害がなくなった。けれどもそれは私にかぎってのことで、容易に言い返さない者には差別的な発言を繰りかえすのである。

 人権感覚がなく意識しないまま他者を侮辱するのであれば、単に教育が行き届いていないだけの人間である。それはそれでもちろん迷惑だが、私がより軽蔑するのは、相手を見て差別的な発言をおこなうかどうか決めているタイプの人間だ。石を投げれば噛みつかれるとわかった相手にはしない。噛みつかない相手にだけ石を投げる。石を投げるのが不当だというコンセンサスがこの世にあることは知っているのだ。知っていてなお「自分には石を投げる権利がある」というような、理路のない特権意識を持っている。こういう連中には一刻も早く絶滅してほしいと思っている。

 私が報告を終えると、担当の一人がもう一人の顔を見た。そうして言い合った。どうですかね。どうでしょうねえ。残念ながらこの程度では。ええ、そうですね。私はがっかりして小さい声で言った。そうですか、この会社では今回の報告をハラスメントと判断しないと。

 担当者たちは苦笑した。まさか、と言った。裏付けはとりますが、この発言ならハラスメントは成立しますよ、かなりあからさまです、見過ごされるはずない。私はほっとして、良うございました、と言った。それから尋ねた。ならば、残念ながら、というのは、何のことですか。彼らはさらりと言った。この程度の発言では残念ながらくびにはできないってことですよ。

 私が黙っていると、彼らは言う。これから一般論を話します。特定の誰かの話ではない。ええ、一般的な話です。あのね、勤務中に会社で、人前で、人種差別発言や女性差別発言を繰りかえしている人間が、差別発言だけしていると思いますか。「自分は外国にルーツを持つ人や女性を見下せる立場である」という意識がダダ漏れなわけですよ、そういう人間が、周囲の社員への軽い暴言程度でおさまるはずがないんですよ。たとえばですね、本来の権限を越えて誰かに業務命令を発したり、会社の備品をちょろまかしたり、パートナー企業や顧客に失言をしたり、すると思いませんか。そうしたら経営陣としてはくびにしてやりたいと思いませんか。でも正社員は簡単にくびにできないんですよねえ。証言だけで証拠がないケースも多いし。

 そういう人は、自分の何がいけないのか説明されても、理解できないのでしょうか。私が暗い心持ちで尋ねると、彼らは笑った。笑われたのはハラスメント加害者ではなかった。私だった。何かおかしなことを申しましたか。私がそう尋ねると彼らは、だって、と言った。あんな人間に、説諭なんて、やってもどうせ無駄だけど、やりませんよ、あなた、可笑しなことをおっしゃる、僕らは彼が決定的なことをやらかすのを待っている。小さな不祥事を積み上げて合わせ技一本で首にできるのを待っている。それまでは形式的に始末書を書かせるだけですよ。早くじゅうぶんな「実績」を積み上げてほしいものです。

 私はおじぎして退出した。私はさみしかった。私は、どんなにいやな人間でも、一緒に働いている仲間だと、どこかで思っていたのだった。話せばわかると思っていた。話してわかってもらいたいと思っていた。ハラスメント加害者は制度にのっとって適切な説諭を受け、時に研修を受け、意識を変え、適切な行動をとるようになる。そういう筋道を想像していた。誰かが諄々と話せば加害者だってわかってくれるんじゃないかというような、幼稚な期待を持っていた。

 でもそんなのは持っても無駄な期待なのだった。自分の子どもでもないのに、教育サービスを提供しているのでもないのに、ただの従業員の人格を向上させる義務なんて、企業にはもちろんないのだった。企業の中核にある人々は、態度には出さないまま、ただただ「あいつ、いなくなってほしい」と思っていて、そのためなら誰かがまたひどいことを言われてもかまわないとさえ思っているのだった。