傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

自己決定しないためなら何でもする系

 部下がヤバイ。まじヤバイ。何がヤバイってホウレンソウがすごい。

 同僚が、自分は管理職に向いていないかもしれない、と暗い顔で言うので、とりあえず話を聞いた。やばいのはきみの語彙だ、まず、やばさの内実はプラスかマイナスか。私が尋ねると、意味するところはマイナス、すなわち「上司である自分に対する報告・連絡・相談が多すぎて危機感をおぼえる」ということらしかった。

 いいじゃん、と私はこたえる。うちのチームでは進捗確認と問題の共有をルーティン化してるよ、部下が勝手にやってくれるならこっちはラクじゃん。そのように煽ると彼は大きくかぶりを振り、「ヤバイ」の内実を言語化してくれた。

 彼の問題視する部下は非常に素直でまじめで、何ごとにも前向きに取り組み、入社一年半を迎えようとする現在も緊張感をうしなわない。それだけ聞くと良いことのようにも思えるが、誰が相手であっても、聞き流す、反発するといった態度はあってしかるべきだというのが、彼の言いたいことなのだった。仕事のしかたに完全な正解はないし、上司はもちろん不完全である。一年半も一緒に働いていれば「それは違う」「この上司はこの部分はたいしたことないな」と思うのが当たり前で、いつまでも目をきらきらさせてぜんぶ言うこと聞くのはおかしいだろうと、そう言うのである。最近はそのきらきらした目に恐怖を感じるとさえ言う。

 まあねえ、と私は言う。素直ないい子って、ある意味で怖いもんね、鵜呑みにされるのは怖い、生きた教科書じゃないんだから、見本は複数持ってほしい、そういう気持ちはわかる。でもそれだけじゃないでしょ、素直でいい子っていうだけじゃ、自分に管理職はできないのではないかと思うところまではいかないでしょ。

 彼は声のトーンを一段落として話を続けた。すごくいい子ではあると思う、ルールはきっちり守る、だから、まさかとは思ったんだけど、どうも妻子持ちのチームメンバーとつきあってるっぽいんだよね、俺と同い年の。

 私は椅子に座り直した。それから告げた。その人、「自己決定をしないためなら何でもする系」かもしれない。え、と彼はつぶやいた。いや、少なくとも仕事では、やり方教えればなんでも自分で決めてくるけど、決めてきて報告するけど。

 自己決定とはそういうものではない、と私は説明する。自己決定というのは基準をもらってそれに即して決めることではない。基準を自分で作ることだよ。いっけん自分で決めているように見えて基準はぜんぶよそから持って来たものだっていう人間はけっこういる。進路は親や先生が良いとされているものに近づける、外見は仲間うちで良いとされているものに近づける、趣味は他人から素敵だと言われやすいものを選ぶ、世間が悪いと言うことはしない、それがなぜ悪いかは吟味しない。私はそういう人を「自己決定をしないためなら何でもする系」って呼んでる。

 他者の基準に合わせるのって努力が必要なことだから、がんばり屋ではあるし、結果を出していることも多い。でもそういう人は、基準のあいまいなところに差しかかると新しい基準を探して更なる努力をする必要がでてきて、疲れる上に報われなくなってしまう。基準のないところに放り出されるとガタガタに崩れてしまう。

 それがなんで不倫に結びつくの。彼が訊くので、想像だけど、と私は言う。想像だけど、基準があいまいな中で不安になっていたところに、自信をもって仕事をしているように見える先輩が「俺の言うとおりにすればいい」と言ってくれて、しかも自分を特別扱いしてくれるから、世間で悪いと言われることだというストレスを感じつつも陥落するんだと思うよ。なんで結婚してる人と寝るのが悪いかとか考えたことがない若い子だったら、手練れの悪い年長者に言いくるめられてもおかしくない。女子の場合はさらに「自分より優れた男に付き従う恋愛は良いものだ」っていうしょうもない通念もあるし。直属の上司がいちばんそのポジションに近いんだけどね、きみはよほど好みじゃなかったんだね、彼女の。

 彼は行儀悪く背筋を曲げてテーブルに顎をつけ、がー、と唸った。がー、と唸り返すと、やだやだ俺もうやだ何でそんな人間ができあがっちゃうんだ、と嘆いた。自己決定する自由を得るためなら何でもするだろ、普通そうだろ、何で反対側に行くんだ。そうだねえと私は言う。私もそう思うけど、「普通」っていうのはたいそう恣意的なものだから、私たちはその言葉を捨てて他者を見なければならないと思うよ。がー、ってなるけど。