年に一回、化粧品を買う。毎日きちんと化粧をするのではないから、スキンケアと日焼け止めと粉は買い足すけれども、色を塗るものは一年保つし、なんなら余る。なにごとにも流行はあり、最新の、とは言わないけれども、年に一度、簡易なメイクとフルメイクを更新するくらいの手間はかけようと思っている。
本質的に化粧を好きなのではない。面倒だと思っている。それだから、年に一度の更新は自力ではない。いつも同じデパートの、化粧品ばかり売っているフロアの、決まった店のカウンターに行く。そうして注文を伝え、普段着とドレスアップ、ふたとおりの化粧をつくってもらう。今回は久しぶりに眉墨を買った。メイクをしてくれている美容部員の女性は私の眉の(多少整えただけの)形状をほとんどそのままなぞり、眉の中央にだけ別の色を乗せた。ご面倒でも二色使いされると、このように瞳が大きく見えます、と女性は言った。眉頭は描かなくていいでしょうかねえ、と私は訊いてみた。眉と眉が離れ気味なので。
もちろん、そのほうが黄金比に近づきます。異国の祭りの拵えのようにも見える、服でいえばコレクションラインの化粧をほどこした女性が、ゆったりと回答する。ほんとうにそうなさりたいのなら、眉のほかに、そうですね、この部分、いわゆるエラですね、ここを削って、鼻を、幅・高さともに縮めて、二重の幅をすこしだけ広げ、目頭を切り込んで目と目も近づけます。いえいえ、整形じゃありません。メイクでできます。ほんとうです。でも、わたしはそういうのはおすすめしません。手間がかかりますし、だいいち、つまらない顔になります。
つまらない顔、と私は言った。つまらない顔です、と女性はこたえた。生きている人間は、絵に描いたような造作であれば美しく見えるのではないんです。どこか崩れていて、その崩れかたが魅力になるんです。お客さまの場合は左右の目と眉の距離で抜け感が出ていますから、それを生かすことをおすすめします。一般に欠点とされる特徴を強調したほうが魅力が増すケースはざらです。女優さんだって完全な顔なんかしてません。目は大きければよいのではないし、鼻は高ければよいのではない。同時に、バランスが取れていればよいというものでもないのです。そんなに簡単なら、毎日お客さまに化粧をしているわたしは退屈で絶望してしまいますよ。
なるほど、と思った。それから十数年ぶりに、モデルちゃんのことを思い出した。
モデルちゃんというのはもちろんあだ名で、顔だちがあまりに整っているために、誰かが影でそう言いだしたのだった。職業ファッションモデルではなくて、「模範」「模型」というようなニュアンスで、だから職業名の「モデル」とはアクセントがちがう。
モデルちゃんは私の大学の同級生で、語学のクラスが同じで、あとはとくに接点がなかった。口をきいたこともほとんどない。それでも誰かがあだ名をささやくのが耳に入るくらいには有名な学生だった。正面から見ても斜めから見ても横から見ても絵に描いたような美人顔で、たとえば「彼女の顔を修正せよ」と言われたら困る、と私も思った。直すところが見当たらないのだ。
絵に描いたような模範的な顔、でも絵に描いたような顔の女の子がいいかっていったら、それはまた別の話。男の子のひとりがそう言っていた。モデルちゃんは完璧な顔してるけど、完璧じゃないのにモデルちゃんより人気がある女の子は何人もいる。内面はこのさい無視して、完全に外見だけの話として。えっと、外見と内面をそこまで明確に切り分けられるかって言われたら、無理なんだけど、とりあえずそれは措いといて、ずっと見ていたい顔とか何度も見たい顔って、模範的な造作じゃないんだよね、実は。それに気づいたのは、もちろんモデルちゃんを見てるから。目に入れば、おお、相変わらず人形みたいだ、と思う。でもそれだけ。
もとの顔立ちが黄金比で、その上に薄化粧を重ねた、直すところの見当たらない人が来たら、どうやって接客しますか。化粧品カウンターで、私はそう訊いてみた。そんな人はいません、と美容部員はこたえた。生物ですから、かならずアンバランスなところはあります。それを見せないようなメイクをなさっているのだと思います。薄化粧に見せるなんてテクニックとしては初歩です。その顔がお好みならいいんですけど、何かご不満があっていらっしゃったのなら、まず、その方のお化粧をぜんぶ取らせていただいて、それからじっくり拝見します。そうすればかならず見つかります。その人にしかない、美しい欠点が。