傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

さよなら幻の不惑

 今年はおたがいいろいろあったねえと藤井が言う。いろいろあったと私も言う。「いろいろ」の内容をおおむね話しおえるとデザートにたどりついている。いつのころからか年末にふだんより張り込んで祝祭的な食事をとることが、私と私のいちばん古い友人の年末恒例の行事になっている。人間が複数いて長いこと関係性を持っていると、なにも親族や家族でなくても、その関係性に応じた文化が生成されるものだ。「○○家の伝統」みたいなものに縁のない私は、若いころ、完全に自由で孤独な個人のつもりでいた。けれども友人たちや仲間たちのあいだにも、ある種の習慣が文化としてできあがる。継続的かつ変化する関係性を、結局のところ私は欲した。自分ひとりで生きていけると思っていた若いころの自分を、もちろん愚かだと思う。可愛いとも思う。
 再来年になると四十だと藤井が言う。そうだねと私は言う。おかしい、と彼女はつぶやく。小菓子をとる。フランス菓子はこれでもかというほど甘いのがいいのだ。頭がぼうっとする。シュガーハイということばを私は思い出す。いいだけワインをのんだあとの濃いコーヒーが頭をかきまわす。不良だ、と私は思う。過剰に快楽的な食事、あきらかに適量を超えたアルコール、濃いカフェイン。ドラッグ的にはたらく合法物質を「ぜんぶ載せ」したみたいな夜。そんな夜を、相手を替えて年に何度も過ごすなんて、不埒なことだと思う。
 私たちは大人になった、と藤井が言う。けれどもわたしたちは、さっき話したみたいに、身辺がすこしも落ち着かない。おかしい。わたしは、四十にもなれば、人生の方針が定まると思ってた。どんな方針を選んだ場合でも、四十歳にもなれば、どんと落ち着いて、残り二十年かそこいらを粛々と消化して現役を退くんだと思っていた。
 私はうなずく。でもそうじゃない、と言う。そうじゃない、と藤井は言う。追加でたのんだ二杯目のコーヒーを飲んでにんまり笑ってから、私をみる。天井をみる。そうして話す。若いころは、気持ちの上では大騒ぎをしていたけれども、できごと自体は実はそれほどたいしたことがない場合も多かった、若いとだいたい情緒不安定だからできごと以上に心が騒ぐんだ。
 私は彼女のせりふに読点を打つ。今は現実として、私たちの身辺は騒がしい。実に騒がしい、と彼女は首を横に振り、平坦な口調で話す。年をとると年上にも年下にも親しい人ができるから若くてフラジールで危ないケースと年取って健康上もろいケースが両方ある。それで倒れたり死んだりする。親しい人が倒れたり死んだりするともちろん疲れる。仕事はもはや人生の一部で、転職の機会だの会社の合併だのが提示されて、いちいち選んである種の賭けをしなくちゃならない。いまだに結婚話も周囲にあるし、自分がしないとも言い切れない。そのうえ離婚話も身近に出てくるから、もうぜんぜん、「方針が定まった」なんて思えない。今から結婚して離婚するかもしれない。
 そんなのってどう考えても若いころの中年のイメージとちがう。四十歳にもなれば恋愛なんかしないと思ってた。でもまだついうっかり、してしまう。あと二年もすれば死ぬまでしなくなるなんてあんまり思えない。若いから恋で頭がおかしくなるんだと思ってたのに。
 人も死ぬしね、と私は言う。人も死ぬ、と彼女は相槌を打つ。年をとるとまわりで人が死ぬ。若くても死ぬけど、年をとればとるほど、わたしたちのまわりでは人が死ぬ。ねえ、わたしたちはこうして年末になればちょっと特別な食事をするものだと、毎年そうするんだと思ってる、でも、そんなことはないんだ、来年はわたしとサヤカのどちらかが死んでいるかもしれない。あるいは会うことがなくなっているかもしれない。ずっと定期的に会っていた人と会えなくなることだって、あった。そんなのは当たり前に起きることだって、わたしたちにはもうわかってる。
 不惑は手に入らないねと私は言う。人生の方針が定まって粛々と引退まで立場をまっとうする四十代は、再来年になっても、来ないね。それは幻想だったんだ。近づいてみたら砂漠の蜃気楼だってわかった。私たちはたぶん毎年「いろいろある」。
 幸福なことも、かなしいことも、と藤井が言う。それから訂正する。十全な幸福や完全なかなしみは、たぶんすくない。胸を刺すような苦しみをはらむ幸福、なにかから解放されるようなかなしみ、そんなものから、わたしたちは逃れることができないんだろう。
 私は最初の乾杯とおなじ動作でコーヒーカップを掲げる。目の前の友人もそうする。私は告げる。さよなら、幻の不惑