傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

持ち上げられ中毒

 私の連絡先リストには見えないタグがいくつかついていて、つまり私にだけ認識されているタグということなんだけれども、そのうちのひとつに「待てない人」というのがある。どんなに些末な用件でも二十四時間以内に回答しないと追撃が来るのだ。最初のメールが休日でも深夜でも早朝でも、待たない。二十四時間の人はまだましで、十時間待てないことが判明している人もある。
 全員、所属が私と同じではない。直接の上長などではない。私に仕事上の直接の権力や影響力を持っているのではない。全員、友人ではない。仕事などにからんだ知人だ。全員、私より年長で、全員、私の所属より大きいところや有名なところに勤務しており、全員、男性で、全員、文面は横暴ではない。たいへん丁寧に督促する。
 十時間の人については最近メールの数が多いので少々難儀した。私が回答する義務のある用件ではないうえに、他人に確認が必要な事項であったためだ。そこでやむなく書いた。本メールアドレスは社用であり、土日など返信できないこともございます。また、恐れ入りますが、私はお問い合わせの内容について即時把握・回答できる状況にございません。加賀と相談のうえ、お問い合わせいただくによりふさわしい者を推薦いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
 送信前にその文面を見せて、いいですか、と尋ねたら、いいよお、と加賀さんは言った。加賀さんは私の所属を取り仕切っている。加賀さんは「待てない人たち」とおおよそ同年配であり、少なくとも私よりは「えらい人」であり、男性だ。だからとはっきり言わなくても加賀さんはわかっていて、だいじょぶだいじょぶ僕の作業きっとゼロだから、という。そのメール出した段階でね、たぶんもうなにもないから、来たら僕のアドレスをCCに入れてくれたらねえ、もう確実に、そのあと、こない。だいじょぶ。彼らは愚かじゃないから、マキノさんにあれこれ質問して答えさせるのが正当だと信じこんでいるわけじゃあ、たぶん、ない。ただなんとなくやっちゃって、それで、第三者が出てきたら、なんとなくイヤな感じがして、それで、なにごともなかったような顔して、やめる。きっとそうだよ。
 なぜでしょう、と私は尋ねる。なぜ、ほぼ無関係な、余所の人間の即レスをほしがるんでしょう。私、友だちのLINEだって、些末な話ならすぐ返信しないことも多いんですけど、誰も怒りません。しかも彼ら、友だちじゃないし、訊かれるのは業務上必要だとも思われない事項ばかりです。質問とか確認自体が実は要らない、みたいなのがほとんどなんです。それに対する返信が十時間待てないって、どれだけせっかちなんでしょう。部下の人とか土日もなにもなく十時間以内に回答してるんですかね。その人の世界ではそれが当たり前なんでしょうか。
 さみしいんだよう、と加賀さんは言う。もちろん誰もが即レスするなんてことはない、僕なんか休日に会社のメール見ない。見る必要あるなら出勤する。仕事があるってことだから。そんで休みなら見ない。休みだから。うん、その人たちは、部下にはプレッシャをかけて常時即レスさせてる可能性はなくもないけど、ちがうんじゃないかって、僕は思う。彼らは、直接の部下にはむしろ、パワハラにならない線を守って仕事をしてると思う。僕の想像だけどね、うん。
 あのね、ある種の人たちは、自分に影響力があることを随時確認できないと、薬が切れたヤク中みたくなっちゃうんだ。映画とかであるじゃん、「うう、ヤクを、ヤクをくれえええ」みたいな。あのレベルでジリジリしちゃう。自分の影響力の証左を補充しないと苦しい。でもそこまでの影響力をオールウェイズ保持してる人はいない。そこそこの企業のそこそこのポジションにいて、年齢が五十だか六十だかで、だからって、ねえ、そんなのは、ありふれた事実でしかないよ、特別なんかじゃない。
 でもある種の人々は自分が特別だと思いたくてたまらない。いつも最優先でケアされたい。持ち上げられていたい。「誰の金で食ってる」系の圧力をかけて家庭内で傅いてもらえることもあるけど、そうはいかないことだってある。それで、足りないと、余所の人間にまで手を出す。迷惑だよ、マキノさんは僕の業務上のリソースなんだから、勝手に使うな、だよ。うちの人間になに要求してくれちゃってんの?って訊きたいよ。でも訊かない。大人だから。
 どうしてそうなっちゃうんでしょう、と私は尋ねる。さみしいんだよう、と加賀さんは繰りかえす。自分はえらいんだって思っていつもいつも確認したいくらい、あの人たちはさみしいんだよ。