傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

アムステルダムの彫金師の一族

 友人が何人か集まったときの話題のうち、仕事のそれに関する比率が高まっている。学生時代からの友人で、職場どころか職種もばらばらであるにもかかわらずだ。私たちもすっかり中年だなあと思う。中年はなにかというと仕事の話をし、健康診断の結果や持病の話をし、後者はどんどん深刻になり、気がついたら定年間際になっているのだろうと、なんとなく想像している。もしかすると世のなかには中年になってめっきり文学の話が増えたというような人もあるかもしれないけれども。
 長時間残業をしろというのではないの、と一人が言う。ただただ、定時内に終わる量を、しっかり片づけてほしいだけなの。楽をしよう、手抜きをしよう、できるだけ自分に何かの役割がやってこないようにしよう、という姿勢があまりに露骨だと、上司としてはどうしていいかわからなくなっちゃう。もちろん都度注意はしてるんだけど、糠に釘だし、そもそもそういう子をうまく扱えない私にも問題があると思うのよね、なめられているというか。
 そのせりふを聞いた藤井が片眉を上げて視線で全員の注目をあつめ、それから言う。あなたはまちがっている。なめられる上司が悪いなんていうのはまったくナンセンスな物言いだ。誰かがそう言ったならそいつはまちがってるし、あなたが考えたなら考え直したほうがいい。私だって長時間の残業や休日出勤はできるだけ避けてる。でも仕事をしている間は全力でやってる。魂をかけて全力で取り組んでいるし、たいしたことないかもしれないけど成果だって出している。成果はともかくとして、若いうちから手抜きばかり考えていてそれが見え見えのやつなんかだめだ。仕事をするなら魂をかけろ。かける元気がなければ仕事なんかどうでもいいからちゃんと休んで、それで元気になってから、かけろ。
 私たちが「おおおお」と言いながら拍手をすると彼女はそっくりかえってみせ、それから真顔で言った。仕事なんかやりたくてやってるんじゃないっていう若い人は多いし、やりたかったことができなかった、こんなところに来たのは生活のためにしかたなく、という人もいる。けっこうたくさんいる。もちろん、そういうのは個人の価値観で、私が文句言うことじゃない。だから黙ってる。でも私は、そいつと友だちになりたくない。魂をかけるのが正しいって、わりと本気で信じてる。「子どものころからの夢を叶えてやっている仕事」とかじゃなくて、いわばたまたまやってる仕事ではあるけど、手を抜くなんて気持ち悪くてできない。
 私は話をする。藤井とその、手を抜く若い子は種族がちがうんだよ。世のなかには就いた仕事に自然にコミットする人とそうでない人がいるんだよ。それこそ「小学生のころからの夢だった野球選手になりました」とか「子どものころから努力してきた甲斐あって激戦を勝ち抜き高所得・高ステータスの会社に入りました」とか「他の誰にも真似できないクリエイティブな仕事で認められています」とか、そういう、いわば理由ある仕事愛じゃなくって、それが雪かきみたいな作業でも、ある種族はそれを自らの一部とするし、ある種族はそうしないんだ。私ね、旅行したときに、アムステルダムでちっちゃいアクセサリのお店に入ったの。たまたま目についてね。四畳半とかそれくらいの、ささやかな空間に商品が並べてあって、カウンタの向こうが工房で、レジに持っていくと工房から職人さんが出てきてお会計してくれるの。ちょうど今の私たちくらいの年齢の女の人で、もちろんオランダ人なんだけど、私の外見を見て気を遣って英語で話してくれた。私、話の流れで、「すてきなお仕事ですね、クリエイティブで」みたいなこと言ったんだけど、彼女、こんなことを話してくれた。
 私は私の仕事を愛してますが、注文どおりに作るだとか、とくにクリエイティブとはいえない部分も多いし、他の仕事よりクリエイティブであるとは思いません。ずっと彫金師になりたかったのでもありません。縁があってたまたまそういうことになりました。でもどうですか、この場所は私にすっかりなじんでいるでしょう、とても感じが良いところだと私は思っています、仕事とよき関係を築くことに成功したと私は思っています、もちろんお金が儲かるのでもないし、とくにいいところがないといえばそうかもしれません。でもそういうことは問題ではないんです。私は私の仕事と私の人生に満足しているんです。
 一族、と藤井が言った。これから、仕事と人生のよき関係を築き、仕事にしっかりコミットしている、私にとって友だちになりたいタイプの職業人を、アムステルダムの彫金師の一族、と呼ぼう。