傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

黒い犬の会

 ごちそうさま、うん、人の手料理はいいわあ。旦那に作ってもらえばいいじゃん。旦那の手料理はあれよ、人の手料理というより分担してる家事の一部だからさ、いやあ、別世帯の手料理はいいわあ。なるほど。ねえここ、何畳。その仕切りの向こうもあわせて十二畳。向こうはベッドか、よかったねえ、学生時代あんた納屋みたいな部屋に住んでたじゃん、廊下に共用キッチンがついててどんだけ掃除してもねずみが出てせっけん囓っていくとこにさあ。ね、あの家はすごかったねえ。やだなあ学生時代だけじゃないよ社会人三年目までいたよ。
 いまとは雲泥の差だね。ほんとほんと、よかったねえ。そうなのかな、えっと、お子さんは元気。元気元気、また来て遊んでやって。なに。なにって、そうだなあ、あんまりうれしくなさそうだから。なにが。引っ越しが。引っ越し祝いの場のわりに。そうかな、うれしいよ、うーん、でも、たしかに、べつにうれしくないといえば、そうかも。どっちやねん。
 なんていうか、私も、もっとうれしいと思ってたんだ、経済的に余裕ができて、住む町を好きに選んでいいなと思う部屋を借りて、家具を買ったりして、そしたら、なんていうか、劇的な感じ、変化する感じがあると漠然と期待してた、何かを達成した気分になるんじゃないかと思ってた、でも私は相変わらず、月に二度ばかり、なんにもしたくなくなって、なんにも好きじゃない気がして、あした世界が終わればいいのになー、とか思ってごろごろしてて、それで一日が終わってたり、する。
 黒い犬がいる。そう黒い犬がいる。なつかしいね、由来、なんだっけ、それ。チャーチルがそう名づけてたんだよ、彼の途方もなく強大な憂鬱と無気力と死への欲求を。そうそう、それで私たちは、黒い犬を持つ仲間であるわけだけれども、相変わらずそれはいると、そういうことね、うん、私にもいるなあ。
 へえ、やっぱりまだいるの、私みたいな独り者じゃなくって、結婚してかわいい子をふたりもうけていても?そのうえフリーランスの仕事を続けていても?そうとも、黒い犬はいる、でも、もしかするとそれは、子育てのために仕事を全力でやっていなくって、プロフェッショナルとしていちばんいい時期を犠牲にしているという意識によるものかもしれないな、よし、スーパーウーマンの意見を聞いてみよう、おい、そこの官僚にして一児の母、なんとか言え。
 なに、スーパーウーマンって。恋愛も仕事も家庭も何ひとつあきらめず、ときに矛盾する「あらまほしき女の道」をぜんぶクリアする女のこと。なにそれ、あたしは、男と住んでたら、みっともないから結婚しろって親がうるさくって、そんで結婚したらいろいろだらしなくなって、できちゃったから、産んだ。あはは、だめな女。でも結婚したから相手は絞った、そこは褒めてほしい。こいつ、だめだ、清廉さに欠ける、知ってたけど。あはは、清廉、清廉。ねえ清廉の反対ってなに。本来は、すごく色っぽい、みたいな感じだけど、この場合はビッチでいいだろ。あはは、やーい、ビッチ。あんたら笑いすぎ、なんだよ役人が避妊さぼったらいけねえのかよ。役人じゃなくたって避妊はちゃんとしろ。ね、スーパーウーマン、まだ突然どうしようもなく消えてなくなりたくなる?なるよ、そりゃ。
 さて、あたしたちのなかには相変わらず黒い犬がいる。いるね。私にもいる。多少は飼い慣らしていて、いわゆる社会生活ってやつを送ることはできているけれど、それも綱渡りみたいなもので、この先もベッドから起き上がれなくなっていろんなものを投げ捨てたくなるかもしれない、そのまま死体になることを望むかもしれない。その可能性はおおいにある。
 貧乏でなくなっていい部屋に住むようになって、それで治るものなら、よかったのに。うん、結婚して幸福な家庭を築いて治るものならよかった。十全なキャリアを築きながら恋愛したり子ども産んだりすれば治るなら、よかったのにね。世界が私たちに押しつけてくる幸せの要件みたいなものにあてはまっていても、自分たちが望んで選んで努力したことを達成しても、私たちのなかには、黒い犬がずっといる。それはたぶん、ずっと続くことなんだ。
 なんか、絶望的だね、黒い犬が起きているときって、けっこう、というか、かなり苦しいのに。抜本的にどうにかならないのかな。社会生活送れる範囲だと医療もあんまり、あてにならないかな、残るアプローチは宗教とかか。あー、しんどいねえ。しんどいねえ。ね、持ってきてくれたデザートワイン冷えたかな。あ、いいタイミングじゃない、そろそろ飲もう。乾杯。乾杯。何に?私たちのなかの、大きな黒い犬に。