傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

信号待ちの交差点で受刑者を見た話

 駅から職場まで歩きながらその日に済ませるべきことを頭の中で並べるくせがいつのまにかついていた。シャワーを浴びるあたりからそれらはぼんやりと私の中にただよいはじめ、けれども歯を磨いたり朝食を摂ったりするあいだはもっとずっとやくたいのない空想を捏ねまわしていて、職場が近づくとようよう現実的なものごとが前景に押し出されてくる。平日のほとんど同じ時間にほとんど同じ場所でそれらを遂行する手順ができあがる。だからそのときに見ている景色は私の中にくっきりと焼きついていた。
 その日は仕事納めで、私のリストは短く、それは今日までそれほど見当違いでない努力を遂行してきた証左で、信号は赤で、立ち止まった私は機嫌が良かった。よろしいのではないでしょうか。私は私に無音のままに呼びかけ、よろしいと思います、とこたえる。信号が青になる。浮き足立つ年末年始の東京を私は好きだった。
 落としましたよ。その声が自分にかけられたものだと、どうしてかすぐにわかった。その人は私の横を歩きながら私の手袋を差し出した。手袋という物体を私は愛らしいと思っていて、とても好きなのに、すぐに脱いでコートのポケットに入れるから、知らないうちに落とすことが二年に一度はある。お礼を言う。そうして気づく。この人はこの信号の手前によくいる人だ。
 その時刻のその景色の隅に彼は立っていた。大きい道の横の路地の少し入ったところに、ひっそりとうつむいていた。いかにも上等のスーツやコートを着て、わずかに白髪の入った髪はいかにも清潔に整えられ、けれどもその目は洞窟のように何も見ていなかった。彼が歩き出すところを私は何度か見たことがあった。おそろしく重い荷物を持つ人のように苦痛に満ちた動作で彼は一歩を踏みだし、それから後はまるきりただの通行人として雑踏になじんでしまうのだった。
 お仕事、お好きなんですね。手袋を受け取ってありがとうございますと私が言うと彼はそのようにこたえた。こたえというには奇妙なことばを、私はすんなり飲んだ。そうですね、仕事は好きです。いいですねと彼は言う。私は彼を見る。彼は私を見ていない。どこも見ていない、あの洞窟の目をしている。
 彼の仕事は良い仕事だと誰もが言った。彼はそのような職に就くために若いころから努力し、そしてそれはおよそ考えうるかぎりもっともよいかたちで叶えられた。その後の二十年近くのほとんどの平日、決まった時間に彼はその道を歩いて職場に向かった。彼は彼の仕事を好きではなかった。そのことに気づいたのは五年ほど前のことだった。彼は立ち止まった。歩いていられなかった。彼は倒れたかった。けれども彼は丈夫だった。丈夫な彼を崩壊させるほどの負荷がかかっているのでもなかった。だから彼はくずおれることがなかった。彼は吐きたかった。吐き気は喉より下にわだかまり、決してそこから出ず、消えることもなかった。それは日々に降り積もり、彼の足がそれに耐えられなくなるのは、いつも同じところだった。
 彼はただ立ちすくみ、それでもってかろうじて均衡を回復し、静かに苦痛を抱えたまま歩きはじめる。毎朝毎朝毎朝そうする。逃げるのではなく、倒れるのではなく、誰にも迷惑をかけず、人に変に思われることはひとつもしないで、石を引く受刑者のように。私は、それを見ていたのだ、と思った。かなしくて怖かった。
 休めばいいじゃないですかと私は思った。休暇を取って南の海辺で寝そべってピナ・コラーダを飲んだらいい。あるいはヨーロッパの数世紀前の建物のそのまま残る街路を、果物が山と積まれた東南アジアの市場を、奇妙な生き物がうろうろ歩く小さな島の山道を、歩けばいい。人生は私たちの手の中にあるのだし、世界は広いのだし、仕事は私たちに喜びを与えるもので、もちろん苦痛ももたらすけれども、私たちが世界とつながるいちばん太いロープで、ロープを選ぶのは私たち自身で、途中で変えることもできて、そうじゃなかったら、どうして毎日、そのことをできるのか。
 できるのだ、と思った。この人はできるのだ。だから私は黙り、彼は言う。信号のところで、よく、にっこり笑っているので、これから出勤するのだろうに、なんだか幸福そうなので、もちろんそうじゃないようすのときだってあるけれども、それだって、なんだか勇ましい顔をして、だから、この人は仕事が好きなんだろうなと思いました。そう思って、少しうれしかった。良いお年を。そのように言い残して彼は道を曲がる。誰もいない空間に私はつぶやく。良いお年を。どうぞ、来年こそ、あなたの、良いお年をお迎えください。