傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

私たちはいけすかない

 マキノさん今日誕生日なんだよねと上長が言い、はい三十四になりましたと私はこたえた。おめでたいのでビールを飲むと良いというせりふとともにグラスが手渡される。残業していたら上長がああやめ、もうやめ、仕事はやめだ、と宣言し、ふだん話す機会の少ない同僚たちが来ている飲み会に連行されて、それで私はこの場にいるのだった。反対側に座っていた顔見知りの別の部署の社員が大きい声をそこにかぶせる。マキノさんそんな三十四歳とか、言わなきゃわかんないんだから、大丈夫、黙ってりゃ大丈夫ですよ。私は彼のことばをうまく理解できなかった。大丈夫ってなんだろう。
 お誕生日おめでとうと言われたら、ありがとう、何歳になりましたとこたえる。それについて深く考えたことがなかった。でもそれを止める人がいる。きっと私の年齢が好きじゃないんだと私は思った。だから黙っていろと言うんだ。中年であって、女であって、家庭を持っていないことに、なにか関係があるのだろう。でもそんなのはただの彼の趣味だ。私は自分の年齢を悪いものと思ったことがなかった。
 私の口と鼻をふさぐと十分で死ぬ。みんなそうだ。硬いもので殴られたら死ぬ。あるいはなんにもされていないのになにかの拍子にふと心臓が止まる、自分で高い建物の屋上にのぼって手すりを乗り越えてしまう。そんなにも私たちは脆いのになんだか長いことずっと、生きていて、喜んだり悲しんだりして、人と話をして、あまつさえ仕事なんかして、屋根のある部屋に住んで美味しいものやそうでもないものを食べて、寝て起きている。
 毎日毎日そうしていて私たちは、今の今まで、死んでいない。すごいことだと思う。ぽかんとする。私のそれが三十四年間続いていることをこの人はどうして恥ずかしいことみたいに言うんだろうと思う。私が生きていないほうが彼にとって良いのだろうか。
 でもきっとそうじゃないんだろうと思う。私が生きていることを認識するほどの関心を彼は持っていないんだろう。彼はただ若い女性が好きなんだろう。好きなのは問題ない。けれども他人が若くなくなったのを恥ずかしいことみたいに言うのはまちがっている。あなたの恥の感覚はまちがっていると私は内心で告げる。他者の恥じらいの感覚はその他者のもので、あなたのものではない。そう思って私は間の抜けた顔をして間の抜けた声でことばを返す。すいませーん、それちょっと意味わかりませーん。
 話題はそのまま流れ、私は隅の席におさまってビールをのむ。ビールはおいしいなあと言うと隣に座っていたふたつ年下の、やはり顔見知りの、臈長けた女性がまじまじと私を見る。なにしろ美しいので他人の顔を覚えるのが苦手な私も識別している相手だった。華やかにしているときもそうでないときも、どうしてか同じような印象を彼女は与えた。なんだかいいものを見たというような。
 どうしましたと訊くと彼女は今の、と言う。今の、格好良い、でも、いけすかないです。私は笑って続きをうながす。彼女はもうだいぶ飲んでいるのかもしれない。彼女は言う。私たちくらいになったら年齢を気にするでしょう、気にする人が多いってさすがにそれはわかってますよね、わかっててあんなだったら、いけすかないですよ、それは。
 私は少し驚く。いけすかないのはどう見ても彼女のほうじゃないかと思う。そしてそれを口にする。それはねあなたが美しいからですよ。あなたは、持っているから、それをうしなう苦しみを感じる。私は、若くったってたいしていい思いをしなかったし、そんなのでいい思いをさせる人間のほうがまちがっていると思っていて、しかも、残念ながら皺が入っても損失がさほど大きくない造作なので、年をとるのがいけないことみたいに言われると、まったく意味がわからない。そのような通念を持つ文化圏があることは知っているけれど、それを押しつける感受性はなんなのかと思います。彼女はけたたましく笑って、顔なんか、と言う。こんなもの、なんでもない、つまらないものじゃないですか。そんなのより私は、マキノさんみたいに「意味がわからない」と言い放てる精神がほしい。精神がほしいっていいせりふですねと私は褒めた。
 それから一年と少しの時間が過ぎた。相変わらず彼女との接点はほとんどない。今日は洗面所で一緒になった。マキノさんは相変わらずいけすかないんですかと訊くので、はいとこたえた。それからまじまじと彼女を見て、ため息をつき、その感情が伝わるように、ゆっくり丁寧に伝える。あなたも相変わらず、とってもいけすかない。