傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

マテリアルガール2011

結婚はいつしたいと訊くと二十六と彼女はこたえる。微塵の迷いもない。あとね、したいんじゃなくって、するの。そうつけ加える。いいねと私は言う。いいね、相変わらず、西村さんは、とても。彼女は上品にほほえみを返す。私は大学生のときに彼女の中学受験の面倒をみた。干支がひとまわりした今でもときどきこうしてお茶をのむ。
それでベントレーはどうするのと私は訊く。ベントレーは今日の彼女の話に出てきた男性のあだ名だ。ああいうタイプは私の人生に立ち入らせないと彼女はこたえる。ああいうのとつきあうとろくなことにならない。なんでかっていうと、きちんとする気がないから。きちんと役割を果たすつもりがなくって、ただおいしそうな餌をぶら下げて自分を好きにさせたいだけなの。
いいねと私は繰りかえす。男の人にあだ名をつけるのは、私や私の友だちもよくするけれど、車の銘柄というところが、非常に即物的で、いいね。彼女はほほえみ、悠然とコーヒーをのむ。上品な角度。上品な指。爪は適度に長くネイルアートはなくただ隅々まで磨かれて薄いパールピンクに光っている。
好きにさせてどうするんだと思う、と私は訊く。問題、と彼女は言う。小テスト、と私は言う。彼女は下半分だけゆるくカールさせたつやつやの髪をわずかに動かす。きれいな女の子だ。そしてそのことを自分でよくわかっている。
でもベントレーくらいのお金持ちがいいんじゃないの、と私は尋ねる。西村さんの彼氏だってもちろん裕福だけど、でもそんなばかみたいなお金持ちじゃないでしょう。私の大学の後輩でとってもお金持ちのお嬢さんがいてね、それでもっとお金持ちの男の人と結婚した。きれいな子だったけど、西村さんはその子よりきれい。
私がそう言うと彼女は首を横に振り、先生わかってない、と言う。顔だけじゃないの。その人はたぶん私よりクラスが上なの。つまり女のクラスね。あ、女って、先生とかは入らないよ、そういうふうに生きてる人のことね。お金持ちのおうちの女の子はいろいろといいものを育ててるの。それはあとからじゃ身につかないの。でもそういう人はふつう女子大に行くんだけど、先生の学校だったなんて、変わってる。
私はその人のことを思い出す。そうだね、少し変わっていたかもしれない、とても頭のいい子だった。勉強がしたかったんだって言ってた。
好きにさせると勝った気がするんだと思う、と彼女は言う。彼女は自分に出された問題を忘れない。自分が、なんか足りないから、貴重に見えるものを手に入れた気になりたいんだと思う。そういうのって数が多ければ多いほどいいでしょう。正解?
正解はないよと私はこたえる。でもいい答えです。好きというのはいわば白旗を揚げるようなものだからね。白旗を集めてたのしむ人もいる。彼女は可笑しそうに、ベントレーみたいな人、好きになんかならないのにね、と言う。なると本人は思っているのでしょうと私はこたえる。その人はきっと真実の愛を探しているんでしょう。お金や物に惑わされずに真実の彼を愛する女を。彼女は声を出して笑う。いい冗談でしょうと私は言う。私は彼女が十二のときから彼女を知っていて、彼女の身も世もない恋の話を聞いたことがない。彼女の「好き」は、いくつかの条件をクリアしていて、わりあいに広い範囲の彼女の好みに合致していて、彼女を大切にするという意味だ。正しい、と私は思う。正しいマテリアルガール。都合の良い幻想を持たない。
彼女は可愛らしく首をかしげて質問を重ねる。先生はどうして私のこと軽蔑しないの?先生は結婚しなかったし、定年まで働くんでしょ、そういう人は私みたいなのを軽蔑するでしょう?
軽蔑する理由がないと私はこたえる。それに嫌いでもない。あなたは、そのゲームのルールをきちんと把握して、自分の商品価値を理解して、よい交換をしようとしている。私が男の人でもきっとあなたを好きになる。あなたはただきれいなだけじゃない。あなたはあなたの目的に沿った加工を徹底的に自分にほどこしている。ある種の男の人を快くさせることに特化している。ただぼんやりして、「お嫁さんになりたい、生活レベルを下げたくない」なんて言ってたら、失せろ、茶がまずくなる、って言うけどね。
彼女は私の回答をしばらく検分し、それからうなずく。良い子だねと私は言う。他人のせりふを丸呑みにしない。彼女は声を出して笑い、先生私のことずっと十二歳だと思っているんでしょう、と言う。西村さんだって私のことずっと先生だと思っているでしょうと私はこたえる。