傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

魔法使いの種類とその資格について

 忘れたころに電話がかかってくるのはいつものことだ。最近どうと訊かれるのもいつものことだ。だから私もいつものように近況を報告する。私が先に話し、彼があとに話す。電話はいつも彼からであり、私はそれが取れなかったときは必ず折りかえす。
 いつのまにかできた長電話の慣習を、私たちは律儀に守る。友情においては不確定性を減少させる努力が重要だ。突発的なできごとを排除し互いに楽をさせる。二者関係の領域を暗黙のうちに注意深く定めそれを決して侵犯しない。私たちはその種のふるまいを親切あるいは礼節と呼ぶ。
 ひとしきり近ごろの仕事について話してから、でもそういうのあんまり興味ないよねと私は言う。だってお金にならないもの。そんなことないと彼はこたえる。金には魔力があるから俺はその流れにいつも興味を持っててそういう仕事をしてるけど、でも、金にならないのに成されるものごとには別種の魔法が働いてるわけだから、興味あるよ、それは。なるほどと私は言う。つまり、自分の興味のある魔力をより深く知るための対象物として?まあそんなところ、と彼は言う。
 魔力が好きなのと尋ねると彼は笑ってだって人が死んだりするだろと言う。大量の人間が生きたり死んだりするだろ、そんなにおもしろいものってあるか。私はパラフレーズを提供する。経済はなにより強い魔力だとあなたは考える、政治よりも愛よりもあるいは科学や芸術よりも。彼はそれを聞いて鼻で笑う。そんなのものの数じゃない、束になったってかなわない、でもそういうの興味ないだろ、いいから本読んで寝てな。
 私は笑って毎日まいにち本読んで寝てるよとこたえる。それから尋ねる。そんなふうにお金が好きになったのってなにか理由があるの。好きじゃねえよべつにと彼はこたえる。興味がある、そのことについて知りたいっていうのと、個人的に好きっていうのは、ぜんぜん別の話だろ。
 私は少し驚いて個人的にお金が好きなのかと思ってた、という。預金通帳をながめてにやにやしてるタイプかと思ってた、あるいはお金にあかせたたのしみを求めるタイプかと。
 いつそんな話したよと彼が言うので、してないけど、そう思ってた、と私はこたえる。金持ちになりたいと思ったこと、ない、と彼は断定する。だって個人で余分な金つかって何すんだよ、ほしいものなんてそんなないし、今とたいして変わんねえだろ、たとえば部屋が倍の広さになって、そしたら、ちょっと気分がいいけど、でもそれだけだろ、金は生活できるラインを下回ったらえらいことになるから、必要だけど、ある程度以上あれば、たいした魅力にならない。彼はそう言い、そのとおりだねえと私はこたえる。彼は幾度かかちかちと軽く奥歯を鳴らして(ものを考えるときの彼の癖だ)、それから話す。
 俺は思うんだけど、金の魔力で解決できることに個人的に執着しているやつは、金の魔力を生みだす側に回ることができない。少なくとも大きな魔力を扱うことはできない。買うことに依存しているやつは買う力を支配することができない。芸術に幻惑されきってしまう人間は芸術家になれないか、なれても長く続けられないだろうし、わからないことに耐えられない人間はきっと科学者になれない。そういうもんだと思う。
 私はいたく感心して、頭がいい、と言った。彼はまた鼻で笑い、「よくできました」?と尋ねる。たいへんよくできました、花丸です、と私はこたえる。彼は私をセンセイと呼ぶ。
 でもセンセイ今の根拠ないよ全然。そう訊かれて私はこたえる。根拠のないことをぼわぼわっと考えてもっともらしい枠組みを捏造するのは根拠を積みあげてなにかを明らかにするのと同じくらい重要なことだよ、なぜならその枠組があってはじめてそのなかの個別の事象を裏づける根拠を探すことができるからだよ、枠組みを作ることができなければそこは永遠に荒野のままでしょう。
 ふうんと彼は言い、そういうことするのって、どんな種類の魔力、とたずねる。私は少し迷って、それからこたえる。物語。