傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

フラジャイルのゆくえ

恩師は会場を視線で走査して私と近い年代の卒業生の名を次々と口にする。カキハラちょっと太ったよね、でも前よりいい男になった、サカモトの子、でかいな、うちの子とおんなじくらいに見える、ハヤシはナチュラルメイクに転向したのか、うん、結構なことだ。十年ちょっとだと極端な変化はないかな、でも安定感は出てくるな、昔はみんな危なっかしかったけど。
私は在学中に講座責任者だった教授の最終講義に出て、パーティにうつり、別の恩師にあいさつしたところだった。恩師は異常といっていいほどすぐれた記憶力を持ち、わけても人の顔は何度か見たらたいてい覚えているのだった。大教室の授業に三分の二も出席した学生だったら、しばらく経ってからでも見分けられる。私の在学中、彼はそう言っていた。関心とか感情とかあんまり関係ない。目から入った情報がそのまま残る。そういう頭なんだ。
三十過ぎて危なっかしい人はそんなにいませんと私は笑う。私たちあのころの先生と同じくらいなんですよ。マキノもいっぱしの大人になっちゃったもんなあと彼は言う。棒っきれみたいな女の子だったくせにさ。丸太のように頑丈な大人になりましたと私はこたえた。ほかの丸太と並んでこの世を支えて立ってる、結構なことだ。彼はそう言ってうつむき、でもマキノの認識は甘いよとつぶやく。
あのころのフラジャイルな若者たちがみんな丸太みたいにずうずうしい大人になったとマキノは思ってる、みんなが自分と同じように脆弱性にパッチをあてて安定したと思ってる、でもそれは違う。それに失敗した人間はただ目の前から消えただけなんだ、たまたま無事にできあがった人間だけが着飾ってほほえんでここにいるんだ。
私は氷を投げこまれたみたいな気になって口をひらく。みんな無事ですよ、きっと。私たちが知らないだけです。マキノは人間がだめになるところを見たことがないからそう思えるんだと彼は言う。人間は崩れるし、腐敗するし、消滅する。死ぬということだけではなくて。
若いって崖からぶらさがってるみたいなことでさ、と彼は続ける。上半身が地上に出てるのもいれば指一本で引っかかってるのもいる、そして同時にみんな崖の目の前に立ってもいる、落ちそうな人を助けたいと思っている。落ちそうな側はすべての力を投じて引きあげられるか、でなければ一緒に落ちてもらうことを望んでいる。すべての力を与えるなんて滅多にできることじゃない、半端に手を出すようなおこないはむしろ相手だけが落下することに荷担する。そういうのわかる?
わかりますと私は言う。私は自分が口にしようとしているせりふが事実ではなく願望であることをわかっていた。でも言うしかなかった。わかりますけど、でも、みんな、最後は自分で崖から這いあがってくるはずなんです。そして半端な助力は裏切りなんかじゃなくて愛情で、誰かにすべてを捧げるような愛なんて不可能だって、あるいは間違っているって、理解するはずなんです。
それが成熟というものだと彼は言う。マキノはそれがすべての人に訪れると信じて半端な助力も愛に含まれる、あるいはそれこそが正しい愛だとジャッジする。でも俺はそう思えない。成熟に失敗した人間のゆくえを見届けたことがあって、その人にとって全力でないことはただの裏切りにすぎなかったとわからされたから。それで俺はあるとき、二十六のときだけど、人が落ちていくことに荷担するのはもういやだと思った。ただ傍観して崖からある程度あがってきた人間とだけ手をとりあってやっていこうと思った。
でも今でもそれがいやなんですねと私は言った。だから丸太たちを眺めてそうならなかった人を幻視しているんですね。彼は小さくうなずき、教師なんて、と言う。大学の教師なんて、次々とやってくる脆弱な若者をただ見ているだけみたいな仕事じゃないか、俺はさ、覚えてるからさ、みんなのこと覚えてるから、ときどき自分が目録だけの陳列品を管理している博物館の学芸員になったみたいな気がするよ。
フラジャイル博物館、と私は言う。それからにわかに興味をかきたてられ、つまりなんかあったんですねと訊く。学生とややこしいことになっちゃったんですか、もう時効だろうし話しちゃいましょう。さあどうぞ。
彼は苦笑して、マキノはあいかわらず下世話だなあと言う。相手は学生じゃないよ、俺が院生だったときの話、いつか気が向いたら話すよ。つまんないのと私は言い、それから会場に入ってきた誰かが私に手を振るのを見つけ、恩師に会釈してその場を離れた。