傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

子どもの日の思い出

これ撒いて、私のまわりに。彼女はそう言って私に小さい四角い紙包みを手渡した。私たちはターミナル駅の真上のビルディングに入った店で待ち合わせをして、軽くおしゃべりするつもりでいた。それなのに彼女は非日常的な飾りけのない黒い服を着てあらわれた。それは完璧な黒さだった。隙のない襟元、膝下数センチの裾、布張りの小さい鞄、匿名的なかたちのローヒールシューズ。
あの、こんなことしてて、いいの。席に着いてからそう訊くと彼女は眉を上げ、片手を上げてジントニックをくださいと注文する。いや、不幸があったみたいだから、みたいっていうか、そうなんだよね、だったら、私と会うのなんか、いいのに。私がそう言うと彼女は、気が滅入るから少し話してくれると助かる、と言った。死んだのは父なの。
彼女は早くに家族と連絡を絶って働きながら大学に行き、職を得た。二年前に住所を変えたとき、ちかごろは引っ越しが楽だよと言っていた。不動産屋が保証機関を斡旋してくれて、お金を少し出せば保証人を探しまわらなくて済む。なにしろ今はとても楽だよ、そのほかのことも。
彼女がそう言ったとき、私は訊いた。でも個人でなくて法人に保証してもらうと、家賃を滞納したらすぐ追い出されてしまうって聞いたよ。追い出す仕事をしている人が賃借人の権利とかには関心がないことだってあるんでしょう。彼女は左右非対称の笑いかたをして、私は滞納しないとこたえた。
いやだ、と私は思った。彼女は自分と同じような後ろ盾のない状況にあって職業的な価値や経済的な基盤を充分に作れなかった人たちのことを想像する気がない。運と意志と一定の能力に恵まれて安定した生活環境を手に入れることができた自分のことだけ考えてあとは切り捨てるつもりでいる。そういう人間にしか言えないことばを、彼女は口にした。いやだ。
でもそれは身勝手な願望の押しつけにすぎないと私は思う。私はたったの十八で路上にきわめて近いところから自分の生活をはじめた人間ではない。私は彼女の経験した荒廃と惨めさと失望を知らない。私は彼女に、自分の友だちはやさしい人であってほしいという欲望を押しつけていい立場ではない。
以前もそう思い、今も同じことを思う。不仲でも血を分けた親が亡くなったのだからせめて敬意を払ったほうがいいなどと言うことはできない。だから私は口をつぐむ。そうしてなるべく一般的な質問を吟味して口をひらく。ご親族とは何年ぶり。彼女は指を折って数え、七年、と言った。誰か死ぬと連絡があるんだ。
彼女が家族と極力関係せずに人生を築いた主な原因は父親だと聞いていたので、だいじょうぶと私は尋ねる。誰かを強く憎むのは危険なことだ。誰だって年をとるし、いつかは死ぬ。相手が弱って死んだら憎しみをどうしたらいい。憎しみはほかのあらゆる感情より長いしっぽを持っている。それはこまかく枝分かれして植物の根のように持ち主の心にくいこむ。そこから養分を吸い、生まれたての熱をうしなった後も、長く静かに生き延びる。
告別式で私はまともな娘のように振る舞ったよと彼女は言う。私は彼女をうまく見ることができずに、彼女の飲みものを凝視する。彼女のグラス、彼女の透明な甘い水、彼女のこまかい泡、彼女の八つ切りにされ押しつぶされたライム、彼女の依存性の薬物。
どうしてと私は訊く。お葬式は一日で終わるからと彼女は言う。私は父親に一日の借りがあってね、私は七歳と三ヶ月のとき、父親に連れられて子ども向けの映画を観て、帰りにおもちゃを買ってもらって、私はものを買ってもらうのが恐ろしくて棒立ちになっていたのに父親はそれを咎めないで映画の主役の人形を買ってくれて、ずっといい機嫌で笑っていて、私はその夜眠るまで子どもに言ってはいけないせりふをひとつも聞かず、してはいけない行動を見ることがなかった。
それが借りなの、と私は訊く。彼女はにっこりと笑う。そうだよ、それは完全な子どもの日だった。私はあの日だけ完全な子ども、幸福な子どもだった。それだけが心残りで、だから私は今日、その借りを返してきた。