傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

少女と狭量

私そんな簡単にかわいいなんて言えませんよ、こわくて。今春入社の後輩はそうつぶやいてフリーズドライの中華スープにお湯を注ぎ、持参のおにぎりと並べ、両手をあわせていただきまあすと言った。私も同じポーズで唱和した。今日のランチは原価約200円ですと後輩は自慢した。彼女の趣味は節約だ。なにかほしいものがあるんですかと質問してみたら、別にないですという答えが返ってきた。お金が浮くこと自体がたのしいんです、暗いやつですよね。
かわいいって言うのこわいってどういうこと。私は訊く。同じ職場の別の人がなにかというと「かわいい」と言うので、動物はともかく植物までかわいいというのはちょっと変わっている、という話を、もともとはしていたのだった。
彼女は小さいスプーンでスープをくるくるかきまわし、だっていろいろばれちゃいますよとこたえた。私がかわいいと思うものって私がどういう感覚を持った人間かをすごく鮮やかに示すじゃないですか。そんなのばれたくないです。
どうしてばれたらいやなんですか。私が訊くと彼女はおにぎりをもぐもぐ噛んでからおもむろに口をひらく。たとえば私の部屋ってディズニーグッズがけっこうあるんです。いいじゃない、それこそ、かわいらしくて。私がそう言うと彼女は信じられないという顔をして、全然よくないです、と言う。ディズニーですよ、ベタすぎる、それもちょっと前の、私が子どもだったころの、王子さまに幸せにしてもらうディズニープリンセスものですよ、そんな古くさいファンタジィをいまだにいいものと思ってるとか、ほんと恥ずかしい、ありえない、あらゆる側面でそんなことは望まない生き方をするつもりでいるのに。
彼女は私の顔を見とがめて、なんで笑うんですかと不満そうに言う。今の笑うところじゃないです。
自分の「かわいい」に過敏になるのは、あなた自身、他人がかわいいって言うものに対して「うわあ」って思うことが多いからじゃないんですか、と私は訊いてみる。彼女はうなずく。うん、私、いやなんです、いかにも扱いやすそうなものをね、かわいいって言うじゃないですか、言うこと聞く子はかわいい子みたいな、あれがすごくいやで、それをかわいいと思うおまえの願望がうすぎたない、って思っちゃう。
そして、これをかわいいと思う自分の願望を恥ずかしいと思って、不用意に見せない。そう念を押すと彼女は眉間に皺を立てたままうなずき、二つ目のおにぎりにとりかかる。こっちはしゃけです、さっきのは冷凍しておいたたきこみごはん。いいですねと私は言って、コンビニエンスストア冷やし中華をすする。
じゃあ、かわいいって言われるのもいやですね、相手によっては。そう訊くと案の定、そりゃあそうですと彼女は言う。そういうのっておおかた、私の見た目とか仕草とか言ったこととかが、その人がもともと持ってる幻想みたいなのに合ってるように思えたときに言うせりふじゃないですか。勝手に決めるなって思いますね。黙って思いこんでるんならべつにいいんですけど、親しくもない相手によくそれ言えますよね。私、そう言われたくない相手にかわいいって言われると切れそうになる。基本上から目線のせりふだっていう認識はふつうにありますよね、なのにどうして平気で言えるんでしょう。ありえない。
上だと思っているんじゃないでしょうかと私は言う。げーと彼女は言う。いいなあと私は思う。若い女の子って実に狭量でへんに潔癖で何かというと怒る。それはとてもすてきだ。好むのも嫌うのも全力で、感受性のあらゆる部分で神経がむきだしになってるみたいなんだ。私はそういうものを少女性だと思っていて、目撃するとかわいい、と思う。もう大人であるはずの二十三の後輩には十四歳のようなそれがくっきりとあって、かわいい、と思う。でもそう言うと彼女はきっと腹を立てるから、黙ってにやにやしている。