傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

私のうつくしい老後

友だちとバーゲンに行って、いいだけ買い物をした。私たちはそんな日の夜、油っこいものを食べながらビールをぐいぐい飲む。欲望のすべてを肯定する日、と友だちは言う。節約?ノー。ダイエット?ノー!
私たちはそれぞれが買ったサンダルの革細工やワンピースのカットワークがいかにかわいらしいかを話し、黒ビールをいきおいよく空けた。彼女があなた靴が好きだよねえ、服を選ぶときの三倍くらいの熱意で選んでるよ、と言うので、私はにわかに心配になり、やっぱり私は靴が好きすぎるよね、今はまあいいけど、年とってから箍が外れて大量の靴を買ってためこむようになったりしたらどうしよう、と言った。
彼女はにぎやかに笑って、そんなの全然たいしたことない、と言った。私なんか確実に他人に文句つけて歩くおばあさんになっちゃうね。だって今でもいろんなことにすぐ腹が立つから、押さえが利かなくなったら独りでぶつぶつ言いながら近所を歩き回って子どもが騒いでたらどなりつけたりして、小学生から「恐怖の説教ばばあ」とかあだ名つけられる。
私も笑って、それから、靴をいっぱい買うのはリアルじゃないな、と思う。私はもっとびくびくした、猜疑心の強い老女になるんじゃないだろうか。ホームヘルパーを呼んでおきながら泥棒したんじゃないかと疑って帰りにポケットの中身を全部出させるとか。そう話すと彼女はあなた自分のことよくわかってるねえと言い、私はできればちょっと否定してほしかったなと思う。
彼女は自分の老後も容赦なく描写する。民生委員とか来てくれても追い返すんだろうな、うるさい、あたしゃ生活保護なんか受けないよ、お上の世話になんかなってたまるもんか!私はそれを受けて民生委員役をやる。まあまあ、おばあちゃん、私はただおばあちゃんが心配で来てるだけなのよ。おばあちゃん今日お誕生日でしょう、しろたえのチーズケーキ買ってきたの。みんなには内緒にしてね。
彼女は甘いものに懐柔されて弱音をはく場面を演じたあと、フィッシュ&チップスの残りをつまみながら言う。いやあ、これ盛り上がるね、飲み会で話の種に困ったら使うよ、「いやな老人になった自分」ごっこ。みんなどんなのを想像するかな。
私たちはそれから、孤独死をとげた場合にすぐ発見してもらえるよう、老後は今より頻繁に連絡をとりあおうと話した。私たちはなぜだか自分たちが長生きすると確信していて、家族がいたって自分より先にいなくなると思いこんでいるのだ。でも具合が悪くなったら連絡があったこと自体を忘れちゃうんじゃないの、と彼女は言った。あなたは心配性だから、連絡があったのにないないって訴えるんじゃないの。
私は感心して、その通りだねと言う。私きっと、藤井さんから連絡がない、もう一ヶ月もないんだ、あの人きっと部屋で腐っちゃったんだよ、行ってあげておくれよって、誰彼かまわず言う。彼女は笑って、年をとった私のそばにいる介護士のふりをする。おばあちゃん、藤井さんならさっきいらしたでしょう、ほら、舟和の芋ようかん持って来てくれたでしょう。嘘だ嘘だと私は言う。あんた私が耄碌したからって騙そうとしてるね、藤井は来てなんかいないよ、ずーっと来てくれない。私のことなんか忘れちゃったんだ。
私は手振りつきで小芝居をして、それから急に、そんな老女になれたならどんなにか幸せだろうと思った。会ったばかりの人や縁が切れてしまった人やもうこの世にいない人の名を呼んであの人はどうしたのと何度も何度も訊いて誰かを困らせるなんて、夢のようにうつくしい老後だと思った。霞んでしまった私の頭の中に会いたい人がたくさんいるといいと思った。誰のことも求めない人はさみしくない。でも私はそんなのいやだ。私はさみしいのがいい。幾人もの人を求めて会いたい会いたいと泣いて死ぬのがいい。