傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

少し忘れた

彼女の息子は私と目があってもお母さんのスカートの後ろに隠れようとしなくなった。初対面から一時間、それなりに認知されたようだ。彼女はそうねもう大丈夫かな、ちょっとだけ見ててもらってもいい、と言った。もちろんと私はこたえた。
五歳になったばかりの男の子とふたりでベンチに座ってペットボトルのお茶をのむ。五歳児ってどんな世界に生きているのかしらと私は思う。ほとんどの記憶をうしなう三歳を過ぎて、もしかしたら今日のことを覚えているかもしれない。知らない人があらわれただけで場所はいつもの公園だから、すっかり忘れてしまうかもしれない。彼はどういうかたちで記憶を保持しているのだろう。ことばの数はそんなにないはずだ。でもそれなりに抽象的な思考をしているようにも見える。
彼は水筒を口にあてて、それから少しこぼした。私は、ああそれおばちゃんもよくやっちゃうんだよね、と言いながら、ハンドタオルを手渡した。彼は目を大きくして何秒か私を見てからそれを受けとり、小さい子に特有の、あぶなっかしくて一生懸命な印象を与える仕草で拭いた。動きが大雑把だからそう見えるんだろうなと思う。こまかい制御が利かないのだ。
私は彼をなぐさめようとして「よくやっちゃう」と言ったのではない。私は実際によく飲みものをこぼす。みんながどうして常に正確な角度でカップやグラスや缶やペットボトルを傾けることができるのか、私にはわからない。中身がオレンジジュースやエスプレッソのとき、そして服の色が白っぽいとき、私は派手なしみをながめながら、私はなぜみんなのように上手に飲みものをあつかうことができないのだろうかと考える。
私は彼からハンドタオルを受けとり、残っている水滴をみつけて拭いながら、運動神経の問題かな、というようなことを思う。
彼女が戻ってきた。彼の服に残ったあとをすばやく見とがめて、こぼしちゃったね、と言った。彼はうなずいた。彼女は私にタオル貸してくれたのね、ありがとうと言い、ちゃんとありがとうした、と息子に訊いた。彼はためらい、私の顔を見て、母親の顔を見て、それから小さい声で言う。うんとね、少し忘れた。
少し忘れちゃったかあ、と彼女はくりかえし、彼はこくんとうなずく。今度はちゃんと言うんだよと彼女が諭すと、と彼は元気よく言う、と宣言した。そして私に向きなおり、やや緊張した面持ちで、ありがとう、と言った。どういたしましてと私はこたえた。
彼はふたたび私に関心をうしなってブランコに駆けていった。少し忘れたっていうのがすごくいいねと私は言った。僕は恒常的にお礼をしないような無礼な人間ではないのですよ、よく知らない人だから緊張して忘れちゃっただけなんです、これは偶発的で例外的な事態なんです、という感じがよく出てる。足りない語彙をおぎなって複雑なニュアンスを表現していて、とてもいいと思う。子どもがあつかえる道具は少ないし、手つきもこまやかにはできないから、そういう能力が付随的に発達するのかな。
彼女は笑ってうなずく。ほんとにうまいこと言うのよね、初歩的なことばで複雑なことを言う、あの能力って、意味の狭いことばをいっぱい知ってしまうと、やっぱりなくなっちゃうのかしら。