傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

十五歳までにしておくべきこと

私が中学生だったころ、誰かとつきあっている女の子は、ときどき自転車に乗らずに学校に来ていた。男の子の自転車の後ろに乗せてもらって帰るためだ。彼女たちは少しはずかしそうに、でもどこか誇らしげに、幼い「彼氏」の肩に手をかけて河川敷を走っていった。ときどきどちらかが何か言い、ふたりで笑っていた。何を話しているのかな、と私は思った。とってもうれしそうだ。私もいつかああいうことをするのかしら。
十九になったとき、仲の良かった男の子が川の近くに住んでいた。私は彼に訊いた。自転車もってる、あのね、自転車の後ろに乗せてほしいの、そういうのやってみたかったの。
彼は親切な男の子だったので、もちろんそうしてくれた。春の終わりの晴れた日の、風の弱いきれいな昼下がりに。でもそれはただの二人乗りだった。その日はただの春の日で、私たちがしたことはただのデートだった。
私はありがとうと言った。私はかなしかった。私はもうすぐ成人で、男の子の自転車の後ろに乗ることが特別であるような年齢ではなかった。そのことがよくわかってしまった。自転車の後ろに乗って河川敷を走るのは、十五歳までに済ませておくべきだった。その行為はその年齢においてのみ、恋のアイコンとして機能する。十九になってしまったら、もうそれを手に入れることはできない。
それから更に十数年が過ぎて、私のアイコンはさらに少なくなった。時間が過ぎてゆくごとに、いろいろなことが当たり前になってしまう。同じ行為をなぞってみても、かつてそこにあったはずの特別さはきれいに失われている。
最初にアルバイトをしたときには、タイムカードさえ特別だった。それは自分が誰かの役に立つことができ、それによってお金を稼ぐことができることを示す、たのもしい記号だった。私は誇らしくそれを押した。がちゃんと音がしたことをよく覚えている。いい音だった。私はもうあんなふうに働くことはできない。
私はすべての特別さを消費してしまったのだろうか、と思う。すべてのあこがれを、すべての熱を、世界とじかにつながるための神聖な儀式を。
そんなはずはない。私はまだそんなに長く生きていない。私はこれから、三十二歳のうちにしておくべきこと、三十五歳までにしておくべきこと、四十歳になったらするべきことを探さなくちゃいけない。そのときだけ特別に感じられることは、この先にもきっとあるはずなのだ。