傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

シャワーヘッドとゾンビの映画

彼女はずらりと並んだシャワーヘッドを軽く撫でて、世の中にはたくさんのシャワーヘッドがあるんだね、と言った。私たちはちょっとした贈りものを選ぶために東急ハンズに来ていた。そしてやたらと陽気になり、贈りものとはぜんぜん関係ない商品まで見てまわっていた。
こういうのってなにが楽しいのか考えたんだけど、と彼女は言う。商品が珍しいとか、ディスプレイがきれいっていうのもあるけど、これを使う他人の存在が私には楽しいんだと思う。
私が軽く首をかしげると、彼女は続ける。
たとえば私ね、近所のTSUTAYAに行ったとき、たまにゾンビ映画のコーナーに寄るの。いや観ないよゾンビ映画。すべてのゾンビ映画が消滅しても私はちっとも困らない。棚に並んだゾンビ映画がぜんぶおんなじに見える。でもゾンビ映画が好きな人が見ると、大好きなゾンビ映画とそうでないゾンビ映画があるんだよね。恋人と観た甘い思い出のゾンビ映画、青春の蹉跌と結びついたゾンビ映画、故郷がちょっとなつかしくなるゾンビ映画なんかもあるかもしれない。
なるほど、と私は言う。つまりあなたはそこに他者を感じるわけね。
そうそう、と彼女は言う。そういうのって愉快じゃない?
愉快だねと私はこたえて、でも、と訊いてみる。でも、たとえばその他人と仲良くなって、一緒に住んだとするよ。そしたら毎週末、おうちでゾンビ映画を流される。どうする?
話しあう、と彼女は即答した。それでも延々とゾンビ映画ばかり流すとしたら、その人はだめな人だね。私はゾンビ映画ばかりじゃいやだってこと、うちのテレビは一台しかないことをわかってくれる人だったらだいじょうぶ。
彼女はたくさんのシャワーカーテンを見上げながら続ける。
私、自分と似てるけど話しあいで意志をすりあわせることができない人と、いろんなところがちがうけどお互いのことばは通じる人だったら、ことばが通じる人のほうがいい。なまじ生活環境や価値観が似てて摩擦が起きないと、実はことばが通じない、実は相手を尊重するつもりなんかないってことがわかったときに、かなりのダメージを受ける。あれはきついね、それなら最初から齟齬があったほうがわかりやすくていいくらい。